15.夜中に書いたラブレター
翌日、出掛ける時間には雪はほとんど見当たらなかった。アスファルトの湿りや物体に残った水滴が雪の名残を留めている。街のあちこちから反射してくる陽に、僕はミラーボールを連想する。ミラーボールに恨みはないが、品のない連想だなとつい口元が緩む。
まず予約した美容院に向かった。
「今日はどうしますか?」
「さ、さっぱりさせて下さい」
具体的なイメージは湧かない。自分の髪質で成立する最適な髪型も知らない。
「ナチュラルウェーブを活かすような感じにしましょうか?」
『ナチュラルウェーブ』⁉ヤリ手を引き当てたか、さすがに洒落ている。僕の語彙では良くてクセ毛だ。
「あの……じゃあそういう感じでお任せします」
無知が余計な注文を出すと施術の邪魔になるだろうと、白旗を上げた。
髪をさっぱり切って白髪も染めてもらった。
美容院に予約を入れたのは寝る前に妄想……じゃなく、シミュレーションが止まらずその勢いで深夜のテンションのままに動いたからだ。床屋には申し訳ないが、床屋より美容院の方がイケてる感じに仕上げてくれるのではないかと期待した。
ワックスで髪型を整えてもらうと、髪だけでなく首から上の見た目が大分マシになった。絵を描く者として断言できる、大分マシになった。造形として髪の印象は顔に及ぶ、そんなことは絵を描く際には無意識レベルで承知の上なのだが、自分の髪や顔に当てはめることは今までなかった。髪型ひとつで僕でも変われるもんなんだな。ボサボサのくねくねの白髪交じりの髪のまま会いに行かなくてよかった。僕の髪は今まさにナチュラルウェーブである。美容院パワーすごいな……。若干お高いだけある。
さらに美容師さんには毛穴の向きに合ったスタイリングの指南をしてもらった。『毛穴の向き』?美容院に来てなかったら一生出会えなかった知識になるだろう。僕の場合、耳の上辺りの毛穴が前方に向いているので、その向きを活かして整えると収まりが良くなるとのことだった。初めての美容院で緊張したが、ヘアワックスの使い方なども実践しつつ教えてくれたりして丁寧に応対してもらえた。畏れることなどなかった。
だけど、ひげや顔は剃ってもらえないんだな。システムが違うようだ。
シャンプーをする時の顔の向きも違った。システムが違うようだ。
なんだかんだ断続的に話をふられたのはサービス過剰だ。システムが違うようだ。
もちろん床屋でオーソドックスにサッパリ整えてもらうのでも間違ってたわけではないだろう。会う前に髪をサッパリさせたのは、那青さんへの礼儀みたいなもんだった。ボサボサを自覚したまま、放置したまま会うのは失礼だと、昨夜の僕は結論付けた。それはなにゆえか、思考を辿ることはもうできない。『夜中に書いたラブレター』のようなものだろう。一晩超えても残ってた理由のひとつに、2人きりの対面ならば彼女に恥をかかせたくはない、という想いがある。煮詰めて残った理由なんだろうけど、やはりそこに至る過程は思い出せない。