1.オリヴィアとの出会い
65エピソードで完結します。緩く伏線をはっているので通しで見ていただけると嬉しいです。
2月上旬。晴れ。体調は良好。
喫茶店に約束の5分前に着いた僕は到着した旨をスマホで送信する。
店員さんの案内を断って何となしに相手方を探す。店はほぼボックス席、会話をするのに人の目が気にならないレイアウトで、意識高い系の客には媚びぬと言わんばかりの昭和を感じさせる佇まいは僕の嗜好に合っている。実際、中高年の客が多く目に付き、談笑しているおばさま方や休憩中と思われるビジネスマン、新聞を広げているおじいさんなどが喫茶店の風景として違和感なく溶け込んでいる。ボックスをいくつか目で追ううちに、『奥の席にもういるよ』とのメッセージが表示されたので、帽子のつばと正中線を合わせた後に何歩か進むと、視界にワイパーのような動きを認める。
十分に近付くと、
「ま、ま、座って座って」
と、4人掛けのボックス席の空いた側への着席を促され、それに従う。『従う』というのは、同世代のヒエラルキーの上の方の人から下の方の人への指示、というのを自覚している僕の卑下したソレだ。
対面には女の子2人。
僕は既知の人への挨拶はそこそこに、初対面の人の方へ少し向き直る。
「はじめまして、坂部弥太郎と言います」
「はじめまして、前田那青です」
それは何のロマンも期待できない出会いだった。
『私の友達にいい人いるから紹介するよー!』なんていうちょっと期待してしまうような出会いではなく、むしろ『その子さー、かわいいけど恋愛とか興味ない人だから期待しちゃだめだよー』と、釘を刺された始末だ。
そもそもなぜ出会いがあったのか……それは単に約束がバッティングしただけの話だ。
いや、バッティングさせるなよって話だが。
その集いを決行した友人、ツルさんーーー鶴岡明日香は僕のコーヒーを勝手に注文した後、他己紹介を始めた。
「ヤタ君は小学校からの腐れ縁でー」
『ヤタ君』とは僕だ。小学生時代からのあだ名だが、今現在僕のことをそう呼ぶ人はツルさんしかいない。
「那青ちゃんは同じ大学なのー。ヤタ君は1学年下だけど、みんな同い年だからフランクに、ねー」
ツルさんと同じ大学となると彼女も勉強ができる人なわけか、その程度の感想しかその情報からは浮かばない。
「『那青』ってちょっと変わった漢字でねー」
とツルさんから前田さんの名前についての説明が入る。
前田那青さんは恋愛とか興味ない……か。ぱっと見で判断するなら、彼女は男が放っておくようなレベルの容姿ではない。ミディアム……これ以上詳しい髪型の分類はわからないのだが……その髪の跳ねは意図的に作られているようでとても可愛らしく、顔のパーツの配置も僕の描写の好みからすると歪さは全く感じられなかった。物思いに耽っているような知性を携えた目。眉間から鼻の頭まで続く高い鼻。真顔でも口先を突き出したようないわゆるアヒル口と評される形の小ぶりの唇。まつ毛が天に向かって不自然に反り返ってなかったのも造形として好みだ。万人受けするかどうかは僕にはわからないし、一瞬だけ見て記憶した映像を反芻しただけだが、それでもこの前田さんという女性は綺麗な人の部類に入ると言って差し支えないだろう。でもそんなことを口にするわけはなく、視線をツルさんの目……ではなく眉間に向けて続きを促す。
「あたしさー、帰る前に会える人には会っときたかったから、今日一緒にしちゃったんだけど大丈夫だった?」
ツルさんは春になったら東京から離れて地元で就職することが決まっている。帰る前に会いたい人、やらなければならないこと、たくさんあるのだろう。
そんな状況だから「僕は別に他の日でも……」というのはむしろツルさんにとっては困る申し出なのかもしれない。バッティングを受け入れ、苦手な『初対面』に相対する。
「あ、那青ちゃんには話したよね。ヤタ君は例の『漫画家の卵』の人だよ」
急に僕の詳しい紹介に入ったようで、話を振られた前田さんは少し持ち上げたティーカップをすぐにそろりと置いた。
「うん、お噂はかねがね」
「漫画家の卵なんか紹介されても……ですよねぇ?」
相手は相当格上だと一瞬で判断した。初手は卑下から入る。人と目を合わせて話すのは苦手なので帽子のつばを下げ視線を遮る。
「ううん、そんなことは全然……私漫画好きだから興味あるかも」
「ヤタ君、絵とか習字とか昔から上手だったよね」
MCが僕にも発言を促してくれる。話を振ってくれなかったら多分ここで会話が途切れていた。
「比較的そうだったかもね」
途切れはしなくても、それで気の利いたことが言えるかどうかは全く別の話である。
「どんな漫画描いてるの?」
前田さんの方から話の流れに沿った質問が投げかけられた。
「いやーそれがさぁ、あたしにも全っ然見せてくれなくてさー!」
十中八九僕に対する質問だったのにツルさんが引き取っていく。
会話の輪の中に僕を入れたいのかどうしたいのか、ちゃんと方針を定めて言動に反映させて欲しい。
「なんで見せてくれないかなー。あ、裸とか出てくる感じ?」
「今のところ違うけど」
未熟な創作を友人に見せるのは恥ずかしいものなんです。あと裸はダメなのか?僕はアダルト系の漫画を下に見る気持ちはない。何しろ僕の画力では到底通用しない世界だ。あくまで、裸体の参考書として数点保有もしている。でもまあ女の子にはそういうのに対する抵抗があるんだろうな……
「まあ見たことなくてもあたしはヤタ君の未来を信じるよ!担当さん、付いてるんだもんねー」
「え、すごい」
前田さんの素朴な反応は意外で、既知の情報かと思っていた。なぜなら、これを開示することなく『漫画家の卵』について前もって何か話す意味があるとは思えなかったからだ。希少な人物だからバッティングを承諾した、というわけでもないと言うことか。
「い、言うほどすごくないかと。『位置についてー』くらいのもんだよ」
「いやいやいやー、位置につけない人もいっぱいいるでしょー?」
「業界については詳しくないけど、私もそう思う!」
本心では『位置について』いる現状に多少の安堵はある。しかし幾つもある関門のひとつにおいて足切りを免れているに過ぎないとも理解しているので、実際そこまで大したことではないと自己評価している。それにしたって、すごいと言われて悪い気はしない。
「ふふーん楽しみだなっ、『友達が漫画家』ってなったら、ちょっと鼻が高いもんねー!」
「いいなー明日香ちゃんー」
「!!」
胸がチクリと痛む。
前田さんが『他人』の目線で話すことは、もちろん承知の上だった。このメンツが今日限りであることは僕も当然前提として持っている。
けれども……交流の芽を的確に摘むような言動は、ちゃんと僕に刺さる。