80.フィオナの救済
80.フィオナの救済
ついさっきまで、この国の上位聖職者だった男はいない。
そこにいるのは、すでに”真実の鏡”などなくても
魔物とわかるほどに変わり果てた異形の姿だった。
デコボコとした赤黒い肌、かぎ爪のような手、
服の裾からは長く太い尾が伸びている。
しかし顔に残された面影が
この男をグエル大司教だと判らせていた。
”破魔の聖句”を聞き、のたうち回るグエルに俺は言う。
「取り調べを受けるのはお前の方だよ、グエル」
教会の入り口から、バラバラと兵が入って来る。
ただし、国の兵ではない。
「すぐにこの男を捕らえなさい」
「はい!」
エリザベートの命に、彼らはすぐに反応する。
ローマンエヤールの優秀な私兵たちは、
彼が元の姿に戻らぬよう、
魔力を持つ網で彼を巻き、縛り上げた。
グギョオオオ……
グエルの口から、人外の声が漏れ出す。
「そんなバカな!」
「まさか……グエル大司教様が!」
動揺し、悲鳴をあげる従者たちに俺は言い放つ。
「こいつが本当に聖職者たるにふさわしい者か
お前らのほうが知っているだろ?
裏で何をしていたか、気付いていたくせに」
「グ、グエル様が何をしたというのだ!」
侍従のひとりがごまかすように叫ぶ。
騒ぎを聞きつけ、町の人や信者も集まってきていた。
俺はそれを横目で見ながら、侍従に教えてあげる。
「グエル大司教の郊外の別荘、あそこに何があると思う?
今ごろ、ローマンエヤールの兵士が突入してんだろうなあ。
ヘーネスの酒場の地下にある、大量の違法薬物、
受け渡ししていた商人も捕まったからな。
大司教がそんなもんでお金稼ぎとは、
この国はもう、お終いだな」
グギャアアアアア!
こちらの言葉は理解できるのか、
網の中でグエルが叫んで暴れる。
俺は彼に近づき、低い声で言った。
「お前の周りで多くの行方不明者が出ているよな?
侍女や信者の娘、そしてその家族。
……許されようとすら、考えるんじゃねえぞ」
引きずられていくグエルに従い、
他国から司祭も付いていく。
俺は彼らを目を合わせ、うなずく。
これからが正念場だ。
王族や、教会でグエルの仲間だった奴らが
こいつを取り戻しに、または口封じにくるだろう。
振り返るとエリザベートが少し疲れた顔をしていた。
”真実の鏡”から放出される強い聖なる力を
目立たないようにするために、
ここに来てずっと闇の力で押さえてきたのだ。
「疲れたよな。先に戻って少し休め」
彼女は首を横に振る。
「まだよ。やることがあるわ」
確かに、今が一番油断できない。
王族が動く前に、次の手を打たなくては。
「……悪いな」
俺が彼女に頭を下げると、
彼女は俺の後頭部をぺちっ、と叩いて笑った。
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グエルが運ばれたのは、牢では無かった。
そんなところに運んでしまえば、
王家の力であっという間に”冤罪”だと言い渡され、
すぐに解放されてしまうだろう。
「なぜこのような暗い場所に連れて来た?」
異形のまま、グエルが俺に尋ねる。
グエルは強靭な魔力が流れる檻に入れられ
口から流れ出る、大量の赤黒い粘液で、
黄金の生地に刺繍が施された高価な衣装は汚れていた。
それでも落ち着きを取り戻したのか、
魔物の姿のまま、俺を睨みつけている。
「どこでも良いだろ、早く聞きたかったんだよ。
おい、グエル大司教。
言えよ、もう全部バレているのは気付いてるだろ?」
グエルはギュフフフ……と不気味な笑い声をあげる。
「ワシに関することだけ、であろう?
お前らがもし真実にたどり着いていたなら
ワシを捕らえるなど、絶対にしなかったはずだ」
俺は首をかしげて彼に尋ねる。
「あいつに逆らうことになるから、だろ?
最低だな、それでも大司教かよ」
グエルは崩れたカエルのような顔をぐっと縮め
俺を見上げてつぶやく。
「うるさい! わかっているなら、なぜ……」
「そりゃもちろん、盾突いても問題ないからだよ。
あいつの力なんて、セレモニーで見たが
全然たいしたことなどなかったからなあ」
「ギュフッ、やはりお前は知らぬのだ、あの方の真の力を。
儀式で見せる力など、ほんの僅かなものだぞ!
……お前たちはもはや、ただでは死ねぬぞ?
今のうちにワシが、楽にしてやろうか?」
汚れにまみれた服の袖を振り乱し、檻にかぎ爪を絡ませて叫ぶ。
檻の隙間から赤黒い粘液にまみれた舌を伸ばし、
俺のほうに伸ばしてくる。
俺の横に立つ兵が刀を振ると、グエルはシュッ!と引き戻した。
「どうぞご心配なく。いざとなったら国外に逃げるさ」
「愚か者があ!」
俺の言葉にグエルは口を大きく開いた。
耳まで裂けた口の中には、
ギザギザとした鋭い歯が並んでいるのが見える。
「おのれクズ王子め! この国がそんなに憎いか!」
「憎むほどの関わりはねえよ」
俺が冷たく言い返すと、グエルは首を亀のように伸ばし、
頭部を胸のあたりまで低い位置に移動させる。
……気持ち悪いな本当に。
「罪もない人々を見捨てるのか!
赤子から老人まで、この国の全ての者に地獄を見せ、
お前が何を得るというのだ!」
「お前だって別に、国民を救うために
泣く泣くあいつに従っていた訳じゃないだろ?
さんざん、周囲の人間を”食い物”にしてきたくせに」
俺の言葉に、グエルはグエルはギュヒヒヒと笑った。
「お前らが食事をするように、我らも食べねばならぬからな。
旨かったぞ? 若い娘は特に、人間としての欲を満たした後、
魔物としての食欲も満たしてくれたわ! ギュフフフ……」
俺は不快さが隠せずつぶやく。
「最低だな。結局、私益のための選択じゃねえか」
それをグエルは即座に言い返す。
「天国か地獄を選べと言われたら、迷う者はいないだろう?」
それを聞き、俺も軽く笑って返す。
「確かにな。じゃあ、もし俺も天国を選ぶと言ったらどうする?」
グエルはしばし、沈黙する。
大きな目玉をギョロギョロ動かし、俺を眺めている。
やがて大きな口の端があがり、ニタァと笑いながら言う。
「ワシが、進言してやろうか? まずはここから出せ。
なあに、いくらでも誤魔化す手段はある。
”従者がワシに姿を変えていた”、とでも言えば良いのだ」
誰かに罪をなすりつけるの、本当に好きだな、こいつ。
内心呆れかえりながら、俺は尋ねる。
「いやあ、難しいんじゃないか? だって俺、だぜ?」
グエルは必死に俺を説得してくる。
「良いからワシに任せるのだ!
グズグズしていると、お前も他の者たちと同様……」
そこまで言って、グエルは言葉を止めた。
何かを凝視しているので、俺が振り向くと。
しまった! ”闇”に綻びが生じている!
俺はとっさに叫んだ。
「もう良いエリザベート! もう十分だ!」
欲を言えば、”他の者たち同様”どうなるのか知りたかったが、
おそろくエリザベートは限界なのだろう。
今日は力を使いっぱなしなのだ。
ふわっと暗幕が取り払われるように、視界が明るくなった。
いきなり大勢の声が聞こえ、グエルがギャッ! と叫び顔を覆う。
そしてその後、ゆっくりと周囲を見渡して絶句する。
「なんだ……ここは! まさか!?」
「そうだよ、王城前の大広場だ」
グエルが入った檻は、大広場のど真ん中に置かれていたのだ。
ものすごい数の人々が俺たちを、驚愕の表情で眺めていた。
俺はフィオナに支えられたエリザベートのところに行き、
”大丈夫”を繰り返す彼女を、横抱きに抱える。
いつも、無理をさせてすまない、そう心で詫びながら。
エリザベートの闇魔法”深淵なる闇”で周囲を完全に囲うことにより
グエルの視界を塞いだのだ。
どこかの地下室にでも連れてこられた、と錯覚するように。
パニックに陥ったグエルは必死に叫ぶ。
「これは、この者の罠だ! 私は呪いをかけられ……」
「やはりアイリスを殺したのはお前か!」
「ルイーズもよ! 返して! あの子を返して!」
ものすごい怒号が沸き起こり、四方八方から石が投げられる。
俺はグエルに叫んだ。
「こちらからは闇の中で、互いの声しか聞こえなかったが、
周りには全部見えていたし、聞こえていたんだよ」
ギャアアアアアア!
悲痛な叫び声が大広場に響いた。
「皆さん! お待ちください!」
フィオナが片手をあげ、檻に近づいていく。
投石が止まり、怒鳴り声は徐々に小さくなり、やがて静まった。
グエル大司教は、フィオナに叫ぶ。
「偽物の聖女が、いまさら救済か?!
皆のもの、よく聞け!
こいつは聖女でもなんでもなかったのだ!
聖なる力があると偽り、皆を騙して聖女の名を語ったのだ!」
「だから何なんですか? そもそも自分のこと、
一度だって”聖女です”なんて言ってませんし
お金や品物ももらってませんでしたから。……あ、給料も」
あっけらかんと言うフィオナに続き、俺も言う。
「もし言ったとて、何だというのだ?
聖女なんて肩書が人々を救うんじゃない、何をするか、だ」
グエルが大きな口を開け、大笑いする。
もはや魔物として開き直ったようだ。
「お前が何をするというのだ?
力も無いのに何が出来ると?
お前に人々の救済などできるものか!」
フィオナは首をかしげ、はにかみながら言う。
「んー、何でしょう? でも”救済”って
傷を治すとか、癒すとかだけじゃないって思うんです」
そしてフィオナは人々を見渡した。
「どんなに健康でお金があっても、
生きるのが辛い事ってありますよね?
辛くて悲しい毎日を送っている人はもちろん。
”救い”は、みんなに必要なんです」
そしてちょっとうつむいて、祈るように言う。
「だから私は、人がみずから”生きたい”って
自然に思えるようにしてあげたいんです。
それって別に、聖なる力は必要ないんですよ」
フィオナの目標は、人々に”生きる力”を湧き起こさせることだった。
意外と言えば意外な告白に、俺とエリザベートは驚いていた。
「心と身体がどんな状態でも、楽しみや生きがいが無くては
生ける屍のように生活することになるでしょ?
美味しいものを食べたり、”推し”にワクワクドキドキしたり
旅行や行楽地で刺激を受けたり」
檻の中で、慌てたようにグエルが吠える。
「黙れ! 偽の聖女め! 下らぬことを言うな!
美食も観光も、欲しいものを得るのは
全て選ばれた者のみの特権だ!」
「違います! ささやかでも安くても良いです!
お金はそんなに関係ないんです!
だって醤油を数滴かけただけで、
メアリーは感激してくれたんですから!」
確かに小さなことで、人は幸せや楽しさを感じることが出来る。
彼女が醤油にあれだけ熱を入れていたのは、
これが人々の生活に、
さまざまな活気を生み出すと信じていたからなのか。
「私、仕事帰りにコンビニでスイーツを買うの、
楽しみにしていたわ。それが企業の戦略でも、
選ぶのも食べるのも、本当に楽しくて嬉しかったの」
俺の腕の中で、エリザベートが微笑む。
転生前の記憶を思い出したのだろう。
フィオナは半泣きで叫んだ。
「フィオナはっ!
怪我も病気も、ちゃんとは治せなかったけど……
フィオナはみんなが幸せに生きることを、心から望んでいましたっ!
出来ることはないか、必死に探していたんですっ!」
そして急に我に返り、恥ずかしそうにうつむいた。
「……は、恥ずかしい!」
そんな彼女を背後から、微笑みながら両肩を支えたのは。
「あれ? ディラン様?」
ずっと見守っていた彼は、
優し気な瞳でフィオナにうなずいた。
そしてまっすぐに彼女を見つめながら言う。
「僕は知っていたよ、君が……」
それを聞きフィオナは、泣きそうな顔でたずねたのだ。
「自分の事を名前で呼ぶ、”痛い子”だって?」
……恥ずかしかったのはそっちかよ。
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