70.他力本願
70.他力本願
「制限時間は30分。それが限界です」
フィオナはそう言って、閉めたドアの前に立った。
この個室には私とレオナルド、フィオナとジェラルド
そしてステラ王太子妃が立っている。
”祖母の命日に祈りを捧げたい”という名目で
聖マリオ礼拝堂にフィオナが連れてきてくれたのだ。
レオナルドの姿を見て、ステラ様は輝くような笑顔を見せ
一瞬、彼の胸に飛び込もうと手を伸ばした。
が、彼の無表情ぶりをみて、次に私を見た後、
ぐっとこらえるように手を下げ、優雅なカーテシーをみせた。
「……お久しぶりでございます」
「ご無沙汰しております、義姉上」
レオナルドの返答に、ばっと顔を上げた後、
せつない目で彼を見て、次に私を訝し気に見た。
そして静かに歩み出ながら、
レオナルドの前に立って言う。
「もしかして、エリザベート様がお怒りですの?」
「いや、彼女は何も怒っていません。
怒っているのはどちらかと言えば俺です」
その言葉に、いつものように前向きに勘違いしたらしいステラ様は
両手を組み、目を潤ませてレオナルドを見上げた。
「……ええ、そうですよね。やっぱり!
エリザベート様ったらヒドイんですものね」
「えっ? 私?」
いきなり話の矛先がこちらに向き、私は驚いた。
ステラ様は悲し気な様子で、レオナルドに訴える。
「この間、エリザベート様とお会いした時のことですよね?
こんなに元気な私に病気のフリをしろ、なんて」
「それは貴女が王太子からの暴力から逃れたいと言うから!」
私は叫ぶが、ステラ様はこちらに見向きもせず
レオナルドにさらに接近しつつ涙声で言う。
「どんなにお願いしても”王太子妃にはならない”、なんて。
人としての道理を説いても、
最後まで納得してくださらないんですもの」
レオナルドは呆れた声でつぶやく。
「……人としての道理、か」
ステラは嬉しそうにうなずく。
その彼女に、レオナルドは尋ねた。
「……あの日、俺が言った言葉を、
一言一句、正確に再現できますか?」
「はい! えっと、確か……
”ここまで話が進んでいると壊すのは難しい。
もっと早くに行動すれば良かった。
今は離縁のタイミングを待とう”、ですよね」
彼はうなずいて言う。
「その内容でだいたい間違いない」
ステラ様は嬉しそうに私を振り返る。
レオナルドは冷静な声で続ける。
「文言は間違いないが、
あなたはその意味を間違って解釈していたようだ」
え? という顔でステラ様はレオナルドに振り返る。
「俺は全く、兄上の結婚話を壊したいとは思ってなかったし
もっと早く行動するべきだったのは俺じゃなくてあなただ。
どんなに早く出会っていても、
あなたと結ばれたいなどとは思わないだろう」
非常なようだが、彼女にははっきり言わないとダメなのだ。
あぜんとして何も言えないステラ様に、
レオナルドは念を押すように言う。
「だからもちろん、この境遇にいまだ不満があるなら、
離縁のタイミングを待つのはあなただけです。
俺は離縁しようがしなかろうが、どっちでも良い」
ステラ様は信じられない! というように目を見開いて叫ぶ。
「嘘! そんな……本当のお気持ちは」
「本当も何も、俺は言葉通りの意味でしか言ってません。
まあ内心は正直、こんな間近になって嫌がっても、
誰にもどうすること出来ないだろ、
なんでもっと早くに行動しなかったんだ
馬鹿じゃねーの? って思っていました」
敬語に混じりいつもの口調がボロボロ出ているあたり
レオナルドもそれなりに苛立っているのだろう。
「ばか? じゃねーの?」
異国の言葉を聞き返すように、ステラ様がつぶやく。
ジェラルドがとりなすように、ステラ様に言う。
「王太子と離縁してレオナルド殿下と結婚する方が
よほど恐ろしいことになりますよ。
王も王妃も激怒するでしょうから。
誤解で良かったと思います」
自分の決めた結婚相手を、本人たちが勝手に交換するのだ。
それはもう怒り狂い、王太子以外の者に重罰を与えるだろう。
確かに……と思ったのか、ステラ様はうつむき、うなずいた。
しかしその後、わあっと床に泣き崩れる。
「いつか、いつか助けに来てくださると思っていたのに……!」
勘違いにせよ、彼を待っていたのかと思うと、
私は胸が痛くなる。
わずかな希望が消えそうになる恐怖と絶望を
私は一度味わっていたから。
フィオナがステラ様の体を起こし、背中に手を添える。
泣きじゃくりながら、ステラ様は言った。
「……いつか誰かが来てくれるって」
ん?
私たちは顔を見合わせた。
ステラ様はジェラルドが差し出したハンカチで涙を拭きながら、
さらに意味不明のことを言い出した。
「でもそれは、レオナルド様ではなかったのね……」
たまらず私は彼女に尋ねる。
「もしかして、他にも約束した方がいらっしゃるの?」
「ええ、3…4…あ、5人の方が、いつか私を迎えに来てくれるって」
私はぐっと息をつめる。
そのうち何人が勘違いでなく”本物”なんだろう。
同じことを思ったのか、レオナルドが問いかけた。
「他の方たちは何と? 結婚の約束はいつ?」
結婚前の恋人がいたなら悲劇だが、
5人というなら、それはないだろう。
ステラ様はふるふると首を横に振った。
「いえ、そんな。具体的なお話ではなく……」
詳しく聞けば案の定だった。
結婚前、王太子妃に選ばれる前に言われた言葉は。
「君をいつか、僕のところに迎えられたら良いな」
王太子妃に選ばれてからは
「ああ、もし許されるなら君をさらっていきたい」
「時間が巻き戻るのならば、君を抱きしめて話さないのに」
王太子妃になってからは。
「今は耐え難くとも、いつか笑える日が来るでしょう」
「待ち続けていればきっと報われます」
聞いていて頭が痛くなった。
レオナルドも額を押さえて言う。
「婚前のはただの自分に酔ってる男の戯言だし
結婚後は、ただ宥められてるだけじゃねーか」
「そんなはずは……」
何故か裏切られたような顔をするステラ様。
私は彼女に、言いづらい真実を伝えた。
「あなたがお名前を挙げた公爵や伯爵のご子息、
皆さんすでにご結婚していましてよ。
ご嫡男でないため、そんなに大々的に報じられてはいませんが」
ステラ様は両手で口を押え、小さな悲鳴をあげた。
さらにフィオナが苦笑いしながら問いかける。
「レオナルド殿下も含め、
その方たちから何か連絡が来たことはありますか?
おそらく会いに来られることも、手紙すらなかったでしょう
貴女を愛する人は、あなたの苦境にこそ現れるはずです」
そう言ったあとフィオナは何故か私を見て、笑った。
私はなんとなく目を逸らす。
ステラ様は放心した後、ゆっくりとうなだれる。
自分の思いこみの激しさを恥じる様子もなく、
宝くじがはずれたかのようなガッカリぷりだった。
困り果てた私たちを仕切りなおすようにレオナルドが言った。
「ともかく、だ。俺の言葉に他意はなかったことはわかってくれかと。
その上で、ステラ様にご提案したいことがあるのです」
「……なんでしょう?」
レオナルドは座り込んだステラ様の前にかがみ込む。
「王太子妃を辞したいと願うのであれば策はございます。
ただ暴力を止めて欲しいのであれば……」
ステラ様はじっと考え込んでいる。
そしてレオナルドの顔を見つめ……。
やがてステラ様は首を横に振った。
「……王太子妃を辞するだけではダメです。
きっと両親や姉を巻き込むことになります」
私はたまらず口を挟んだ。
「そのお姉さまが、自分のレベルを偽ってまで
あなたにこの結婚を押し付けたのよ?!」
ステラ様は悲し気に笑った。
「姉は私のためを思い、王太子妃の座を譲ってくれたのです」
「”あんな奴と結婚するなんて死んでも嫌よ、お父様!
私が面食いだって知っているでしょう? お母様”
って叫んでたんだろ? 譲ったんじゃねえ、押し付けだ」
「えええええっ! なぜご存じなのですか!」
ステラ様はビックリしているが、
これらはすべて、緑板の検索結果で出たものだ。
「しかも、殴られることを伝えた時には
”あら、そんなの我慢しなさいよ。
お前が王太子妃でいる限り、王家からたくさん補助がでるのだから”
そんなことを言う姉に思いやりなどあるわけないでしょう」
ジェラルドの言葉に、ステラ様はもう何も言えなかった。
しかし、ブンブンと首を振って叫んだのだ。
「そ、それでも、家族を巻き込む作戦などできません!
もっと、簡単で安全な方法がありますよね?
エリザベート様が王太子妃になって、
私がレオナルド様の妃になれば、
王族は”光の属性”を失わずに済みますわ!」
「ふざけんな。不幸になる人間が増えるだけだろ」
「え、どなたです?」
レオナルドの言葉に、ステラ様は素で驚いた声を出す。
「エリザベートと、俺だ」
レオナルドが、はっきりと言った。
沈黙するステラ様にフィオナとジェラルドが追い打ちをかける。
「幼い頃から想い合う二人を、
ステラ様は引き裂くとおっしゃるのですか?」
「王家にも公爵家にも認められ、
本人たちも望んでいる婚姻を壊すなどあり得ません」
ステラ様はショックを受けた顔で慌てて
「わ、私、そんなつもりは。……そうなんですか?」
とレオナルドに問いかける。
レオナルドは動揺し、一瞬私を見て、
睨みを効かせるフィオナとジェラルドを見て
ステラ様に早口で答えた。
「そうだその通りだ!」
それを聞いたステラ様はすっかり落ち込み。
しばらく黙った後、どこか不貞腐れた様子で言い捨てた。
「……もう、結構です。私はこのままで構いません」
なんとかしたほうがいい、と言おうとする私を制し
レオナルドが彼女に言う。
「じゃあ、解散だな」
そのとたんステラ様は顔をあげ、
見捨てられたような顔になる。
そんな彼女に、レオナルドは言った。
「よくあるだろ? ものすごい不幸な境遇の女を
ある日、特別な能力や高い地位を持った男が現れて
最悪の家族や周囲から救ってくれる、なんて話。
なんか腑に落ちないんだよ。
自分の境遇をなんとかしようと、
一番努力しないといけないのは自分じゃないのか?」
「人は誰しもそんなに強くはありません!」
言い返すステラ様を、レオナルドは鼻で笑う。
「強い・弱いじゃねえ。やろうとするか、しないかだ。
他力本願なぞ、くそくらえだろ。
そんなの何にも解決したことになってない。
次に問題が起きたら、また誰かに助けてもらうのかよ」
部屋に沈黙が広がる。
その時、ドアの向こうで声がした。
「そろそろお時間です」
教会で働く下男の声に、私たちは顔をあげた。
私は急いで独りだけ外に出て、彼に詫びた。
「王太子妃様が体調を崩してしまって、ええ、もう大丈夫。
すぐに退出いたしますわ」
去って行く彼を見送り、ドアを開けみんなを呼ぼうとした瞬間。
「おやおや、ローマンエヤールの姫に
こんなところでお会いできるとは」
私は総毛立ち、恐怖に固まってしまう。
……何者なんだろう。
そう思いながらも私はこわばった笑顔で礼をする。
ギョロギョロとした目、垂れ下がった鼻、
大柄なだけでなく肥ったその男は、
華美で豪奢な衣装をまとい、黄金の錫杖を手に持っていた。
「グエル大司教様、皆様がお待ちです」
先ほどの下男が遠くから呼んでいるのを聞き、
私は大きく目を見開いた。
この男が、グエル大司教様。
フィオナを聖女に仕立て上げた挙句、
教会が隠れて犯している罪の数々を彼女に着せ
”偽りの聖女”として断罪しようと計画した男だ。
「”暗黒の魔女”が捧げる祈りとは、
はたしてどのようなことでしょうなあ」
彼はすれ違いざま、ゾッとするような声で、
私にささやいたのだ。
遠ざかり、彼が角を曲がったのを確認し、やっと息をつく。
頭を振り、フィオナたちを呼び寄せようと
急いでドアを開けた瞬間。
ドアのすぐ前に、フィオナが真っ青な顔でこちらを見ていた。
「……いま通ったのが、グエル大司教ですね?」
「どうしたの? 今のうちに早く……」
私がいいかけた時。
フィオナは信じられないことを言ったのだ。
「グエル大司教から、微かに魔族の気配しました」




