北見生徒会長視点③
別に特段気にすることでも無いと言えば、確かにそうである。東はまだ来ていない、そう思ったていたが違っていた。東は先に来ており、そして予定の時刻通りに講演会が始まった、ただそれだけである。つまるところ、思い込みをしていた、ということである。生徒全員が。
しかし、何故か生徒らはそう簡単に思い込みとして切り捨てることができなかった。
「君たち、僕が舞台袖から出てくるのは不思議かい? 時間通りじゃないか」
東唯一。彼の語調は軟弱者ののような弱々しい語調から一転、高圧的で、或は一種の脅迫めいた語調に変わっていた。それはつまり、彼の抱える疑心が確信に変わったことを示唆していた。
心底愉快そうな表情の東は、生徒の反応が期待通り、それ以上の反応をしてくれたことへの嬉しさの現れだ。そしてそれは生徒たちへの侮蔑とも取れる意味合いを孕んでいる。
「いやー、君たち、総じて分かっていないようだね。フフ。君たちの勘違い、つまり僕がまだこの体育館に居ない、という思い込みは僕が仕込んだものさ。まぁ、種は至極単純。暑さだよ」
そう言うと、東による種明かしが始まった。
「暑いこの空間、君たちは心の底から早く終わって欲しいと願っていた。そうだろ? 君たちは単純だから、絶対そう思うだろ?」
講演会の主役が自らそれを言うのに少々面食らったが、北見は―――もとい、殆どの生徒たちはさも心理を読み解いたかのように話す東に、そらゃそうだろとツッコミを入れる。
柏木は講演会を楽しみにしていたが、その彼女ですらひっそりと抜け出したくなるような暑さがここにはある。その環境下で人間の心理を読むのは誰にでもできる造作もない所業だ。
「まぁ、僕も最初この体育館に入った時はびっくりしたよ。暑すぎ。誰であろうとそう思う。思ってしまう。だから、小細工をした。椅子を置いたんだ。そしてまぁ、小さな仕掛けとして時間ギリギリで体育館に入った。後……うん。それだけさ。しかしまぁ、これだけで人間っていうのはさ、視野が極端に狭くなるんだよ」
生徒たちは風通しの良い場所に置かれた、ここでは謂わば避暑地だ。そこにポツんと置かれた椅子に注目する。これが東の置いた椅子だと無意識の内に分かってしまうのは、殊更に東の仕込んだ小細工に騙されてしまった良い証拠だった。
「そうそう凄いね良く分かったねその椅子だよ! 僕が置いた椅子は。この椅子のせいで視野が狭くなるんだよね。フフ」
保育士が児童とお喋りをするが如く大仰しく生徒を褒める東は、自ら施した一手間に価値があったことを証明されてこの上なく愉快な気持ちだった。
「フフフ。気持ちいいね。まぁ、それはおいといて。この眩しいほど目立つ椅子に僕が座って居ないから君たちは僕がまだ来ていないと思い込んだ。そうだろ? だがまぁ、よくよく考えて欲しいが、君たちは普段なら講演者が椅子に座ってなくても講演者がこの場に居ない、なんて思い込むことはないのではないか?」
一瞬の沈黙が流れる。東の指摘はまさしくその通りだった。
「何か分かった人は居るかね。挙手していいよ」
東の一声に、一人の少女が反応した。
「お、そこの君。何か分かったのか?」
北見だった。しかし、その挙手は明らかに北見らしくない、小心者が気を奮い起して手を上げた、そういった様だった。
北見はまだ、自分の出した回答に半信半疑だった。
北見の元にマイクが運ばれる。
「東唯一さん、初めまして。私は西ノ原高校の生徒会長、北見桜といいます。正直なところ、まだハッキリと解ったわけでは無いですが、東さんはミスディレクションを誘発させたのではないでしょうか」
「………」
沈黙。これが東唯一の返答だった。
表情には少しの曇りが垣間見得ていたが、これは驚嘆によるものだ。
にやけていた。口元はにやけていたのだ。
「凄いね、君」
沈黙後の回答は率直な称賛だった。
そして、ここで北見は確信した。東唯一はヤバい奴、と。
「ありがとうございます。この体育館は右側に注目が集まるようになっていました。その要因は暑さによるパイプ椅子への注目と、時間ギリギリになっても姿を現さない東さん、その結果注目される時計、この2つの要因です」
「ふむふむ」
「つまり、左側には注目が集まりません。そこには職員が立っているだけですから。しかしいくら左側が目立たないとはいえ職員に扮するなどではばれてしまいます。だから東さんは―――」
ここで言葉に詰まる北見。理由は一つの発見があったからだ。
そうか。全部繋がっていたのか。
「どうしたんだい? 後少しだよ」
「はい、すみません。だから東さんは―――時間ギリギリに、皆の注目が時計と椅子に集まる最大の時間に体育館左側から入った。そうですよね」
「正解だよ。ただ、それだけだと上手く行かない。もう一つの仕掛けがある。分かるかね?」
「はい、たった今分かりました。校長ですね……」
「ほほう……」
北見と東の会話を他の生徒たち、いや、教師までもがただ聞くことしかできなかった。眺めることしかできなかった。
「校長のハウリング。あの時ですね。東さんが舞台裏に入ったのは」
「うん。100点です。素晴らしい」
核心をつく北見の指摘は、東はとことん唸らせた。それほどまでに、北見の解説には見落としがなかった。
「そうさ。校長のハウリングは態とだよ。僕が舞台裏に入る時にはどうしても扉の音が鳴ってしまうからね。それを書き消すためにね」
「はい。東さんは舞台に立った際、マイクを持っていました。つまり、校長の使っていたマイクと東さんのマイクは別物です。校長は敢えて不調のマイクを使い、ハウリングを起させた。そう言うことですよね」
「うんうん。正解だよ。僕は君たちが椅子や時計に注目している隙に体育館へ入り、それを見た校長が不調のマイクでハウリングを起こす。耳障りなハウリングで扉の開閉音を誤魔化し、僕が登場する。まぁ、僕と校長はぐるってわけさ」
ここで校長が左右の掌を顔の前で合わせ、謝罪のポーズをとる。
「よし、決めた。今日の主役の一人は君にする。面白そうだからね」
「主役……?」
「うん。まぁ、後で説明するよ。取り敢えずありがとう」
ここで東と北見の一通りの解説が終わったのだが、空気としていささか重い空気が漂っていた。
ヤバい奴。
着席した北見が最初に抱いた感情―――もとい、薄々抱いていた感情がハッキリと形になったものがそれだ。ヤバい奴。
北見桜が目の前の、この空間を創造した東へ導き出した克明で素直な感想だった。
北見は、東本人を見るのは勿論初めてで、彼の作品すら知らない。先の東との一通りのやり取りが初めての接触だった。そして、北見の性格上、人心掌握には他とは一線を画す実力があるものの、東唯一という男をつかむには余りにも、何もかもが足りない。いや、この男はつかめない。そういった部類の人間だ。
普通ではない。
ほんの数刻で北見はそう感じさせられた。
作家なんかは特に、多少普通ではない行動をとることが美徳とされる一面もある。故に気を衒い、考えと行動が逸脱してしまう者もいることであろう。
だから北見はホンモノの味を今日初めて知ることになった。
「なに?」
「誰? なんなの?」
「ちょっとヤバそうな人だよね」
「変な空気にしないでよ……」
生徒たちがざわつき始めたのは東がマイクから顔を遠ざけてほんの数秒程。
その間東は腕時計を見ながらボソボソと何か呟いている。
「柏木さん、東氏……やっぱり変な人ですね。フフ」
この間に北見は隣に座る柏木に声をかけた。
「北見さん……流石ですね」
「いえいえ、偶々です。私もまさかとは思いましたが。ともあれこんな大胆なことをする人とは思いもしませんでした」
俯き加減で答える柏木。少なくとも嬉々としている様には見えない。
そんな柏木とは対象的に、先の出来事で大いに羨望を浴びた北見は、まるで何事も無かったかのように泰然としていた。これは一重に、北見が今は他人の評価などに一切の興味がないからであろう。
「変な人。確かに東氏は変な人です。大変失礼な言い方ですが知り合いには絶対なりたくない人ですね」
柏木とは相反して若干の笑みを浮かべながら語る北見は、ここで「ですが……」と前置きし、こう続けた。
「ですが……東氏、ちょっと面白そうですね。興味があります。どうやら私が今日の主役の一人らしいので、そうですね、ワクワクします」
東唯一はヤバい奴だ。
そもそも先の出来事は下らない、ただ東唯一が己の欲を満たすために仕掛けたお遊びだ。やる必要性は皆無に等しい。然りとて生徒は強制的にお遊びに従わなければならない。たかが椅子の注目がために通気を遮断し、態々不調のマイクを準備し、校長を囮に使い……。己の欲を満たすには余りに大がかりで、そして昨今の倫理観を無視している。この最中に熱中症で倒れる者がいても不思議はない。
大袈裟に言えば危険なお遊びを、大義名分など露知らず、己の欲が満たすために実行した。
これらのことで生徒からの顰蹙をかうのは当然で、東もそれを分かっている。分かってて実行した。
北見がそれを理解した時、彼女は東をヤバい奴と確定処理したのだ。
「ワクワクですか……やはり北見さんは凄いですね。正直、東先生が何を考えているのか私には理解できません。その上物凄く尖った威圧感があります。北見さんもそう感じませんか? 私は怖いです」
「確かに何考えて居るか分からないですし、威圧感もありますね。でも、そう言った人間なのですよ。彼は。考えても無駄です。彼の遊びに付き合ってあげましょう、柏木さん」
東が発する威圧感というべきか、オーラというべきか、彼からは人間の第六感に干渉する何かを感じさせてる。
そしてこのオーラは、大変抽象的で申し訳ないが、善か悪かで言えば確実に悪だ。悪のオーラだ。しかし、殺人鬼のような乱暴で、知性の欠片も無いような感覚ではない。繊細で、それでいて雀蜂のように尖った毒針を有した、そんなオーラである。
北見とてそのオーラを美しい肌で感じていた。だからと言って彼女が動じるようなことは決してない。寧ろ、そこから真反対の人間が北見桜という人間だ。動じるどころか如何にして毒針を引き抜いてやろうか、口には出さないがそう思っているのが北見という人間である。
「そうですね、考えないことにします。折角の東先生の講演会なのですから。楽しむことにします」
「そうですよ! 愛読家の柏木さんが楽しまなければどうするんですか!」
「うん……頑張ります!」
「頑張るって……リラックスですよ」
微笑ましい柏木の反応に少し拍子が抜けてしまった。兎も角、柏木には楽しんで欲しい。心の底からそう思った北見だった。
そんな中教師の一人、北見の担任である伊藤が大粒の汗をかく。生理反応に及ぶ汗か、冷や汗なのか、こればかりは我々の知る由ではない。
伊藤がその大粒の汗を襟袖で拭った時だった。
「さてまぁ、今日の主役の一人が決まったとこだが、それにしてもここは暑い。僕はこれがあるから幾分かましだけど……」
これまでぶつぶつと一人言を発しながら腕時計を見ていた東が、語りかけるように、当然口を開いた。と思うと、彼は演台の下からあるものを取り出した。
「これ、小型扇風機。僕は手乗り扇風機と呼んでいるよ。フフ。可愛いでしょ?」
耳を澄ますとファンが高速で回転する甲高い音が聞こえた。東はそれを掌に乗せ、少し高い所に掲げ風当たりを良くすると、如何にも涼しげな表情を浮かべた。その光景は、蒸し暑さに耐えながら東の話に耳を向ける生徒たちへの当て付けと言わんばかりであった。
ヤバい奴。分かっていたが本当に気持ち悪いな。
北見の感想を他所に東は続ける。
「この手のり扇風機、校長が僕にくれるってさ。フフ。しかもさっき校長室で高そうな万年筆を僕にくれたんだ。これ、どういう意味か分かる? ………まぁいいや」
何の話だ? と思いたくなるようなトークを楽しそうに語る東。
まぁ確かに、校長の南なら別に小型扇風機の一つくらい来客に差し上げてしまうなんてことはあってもおかしくない。万年筆は微妙なとこだが。
しかし、別におかしくないのだが、どうしてその話を舞台上でこの男はするのか。
自慢か? 当て付けか?
この男は―――東唯一は性悪だ。
生徒一同は皆そう思った。
「ちょっと、そんな怖い顔で見ないでよ。フフ。何か不満だったかな? ごめんよ。フフ」
悪びれる様子も無く、恐らく癖であろう小さく鼻で笑う仕草を止めもせず、またはその癖が他人を逆撫でしていることとは露知らず、東は羽毛のような軽い謝辞を述べる。
そんな彼の姿勢を見て、生徒らはますます不満を募らせていった。
「北見。お前、あの東とか言う作家どう見る?」
そんな中、一人の男子生徒が北見に声をかける。石塚智輝、北見と同じ二年の、この学年では次席と言った成績の生徒。サッカー部のキャプテンも務めており、スポーツ行事では何かと注目される生徒だ。
北見のような鬼才がいなければ、注目の的は有無を言わさず彼になっていたであろう人材。
北見とは一定の友人関係にある。
「あら、石塚君。突然ですね」
「ああすまん。あ、さっきの解説カッコよかったぜ。流石だよホントに」
どうも、と淡白な返事を返す北見。
「それはそうとよ。お前、あの人のことどう見る? 俺はわざと俺達をイライラさせているように見えるんだが……」
「石塚君、今は彼の話を聞くべきだよ。また後にして」
確かに石塚の指摘通り、わざとイライラさせている言動とも取れる。先の無駄なお遊びに加えこの何の話かも分からぬ言動。生徒のイライラに拍車を掛けているのにまず間違いは無かった。
だがしかし、今は東が話している。石塚の問いかけを北見は冷たくあしらった。
「フフフ、すまないねぇこんな暑いのに。怒らせちゃって。でもまぁ大事なんだよ。こういう与太話は」
小型扇風機―――もとい、手のり扇風機の風を顔いっぱいに浴びながら、涼しげな表情で自身の話を無理矢理正当化する。こればかりは既にヤバい奴と断定した筈の北見も思うところがあった。
本物のバカなのでは? こいつ。
「よし、じゃそろそろ始めるか」
そしてそれは突然始まった。
「推理作家のレクリエーション! 隠されたコインの行方。コインの場所当てゲームの始まりでーす」