北見生徒会長視点②
本日はお忙しい中講演会をしてくださりありがとうございます。
私は中学生の頃に先生の代表作である六角館の殺人を読み、そこから先生の作品の虜になりました。今や地上波でも放映された先生の作品に魅了された読者はたくさんいることだと思います。そして、たくさんの人々を魅了した先生の学舎であるこの学校を誇らしく思います。本日の講演会ではーーーーーー。私は本日学んだーーーーーーという考えを大事に明日を生きたいと思いました。
本日はお忙しい中本当にありがとうございました。
よし、フォーマットはこれで行こう。
適当なお礼を頭の中で想像し、北見桜は講演会の開かれる体育館へと足を運んだ。
照りつける日差しは正午を回り更に激しく、猛烈に牙を剥く。体育館入口の【小まめな水分補給】という、どこの誰かも分からぬモデルがアクエリアスをがぶ飲みしているポスター。それを通りすぎるといよいよ体育館に到着するのだが、今日の暑さもあり、コートに足を踏み入れた途端に生暖かく湿った空気が北見を包み込んだ。
体育館の左右にある扉は全開で、そこから生まれる風の流れだけが彼女らにとっての救いだ。
しかし、その風もエアコンのような涼しい風ではない。水気をふんだんに含んだ、お世辞にも心地よいとは言えない夏風だ。そのせいか、体育館右側の扉付近に用意されたパイプ椅子が嫌というほど目だっていた。
あそこに座りたいなぁ。ああ、最悪だ。早く終わりますように。
喉を搔き毟りたくなるような暑さの中、生徒や教師までもが心の内でそう願っていた。
「何で窓閉めてるんだよ……。ってか扇風機くらいは置いとけよ……」
「だよな……。何で今日は置いてないんだ?」
「知るかよ」
そんな会話が北見の耳に届くが、しかし、そんな暑さの中でも公に聞こえるように文句を言う者はおらず、生徒たちは皆ベニヤ板の硬い床にものの見事に綺麗な列を組んで座っていた。
当然、生徒会長だからと言って殿様気分で風当たりの良いパイプ椅子に座ることは許されない。あれは今日の講演会の主役、東唯一の席だ。
東唯一はまだ来ていないのか……。
って、もう始まる時間だぞ。暑いんだから遅刻なんかしてんじゃねぇぞ。
北見は用意されたパイプ椅子を一瞥したのち、未だ姿を現さない東へ些細な怒りを向けた。
北見が硬いベニヤ板に腰を掛ける頃には、一年、二年のほぼ全ての生徒が座して講演の時を待っていた。
因みに、今回三年は不参加である。彼らは受験という恐ろしい行事に向けて日々参考書と睨めっこしていた。
三年が居ないせいか、態々生徒が体育館を狭く使っているせいか、いつもより少し広く感じる体育館。もともと西ノ原高校の体育館は2階席や大小様々な個室が用意されており、全校生徒120名にはまさしく無駄に広い空間だった。だが、今のこの空間、それ依然に妙に広く感じる。この違和感は一体なんなのであろうか。
北見が感じたこの違和感は、実は数名の生徒も感じ取っていた。彼らはこの時点で洞察力という点では、他の人間より幾分か才のある者たちであろう。
そんな小さな違和感を覚えつつも、時は過ぎ、一二年全ての生徒が揃った。
全員揃った……が、やっぱり何か変だな……
時間ギリギリにも姿を現さない東唯一。
妙に広く感じるこの空間。
無駄に目立つパイプ椅子。
少しばかり北見は思考を巡らせた。
まず、この体育館は兎に角暑い。なのに2階の窓を閉めきっている。おろか、一階の窓すら開いていない。開いているのは体育館左右の扉のみ。
その結果、当然左右の扉付近に置かれたパイプ椅子が嫌というほど目立つ。
次に、時間ギリギリになっても姿を現さない東唯一。遅れていると考えるのが妥当であるが、もし、そうでないとした……。既にこの体育館に来ている? 椅子に座らずに舞台袖にあいつは待機しているのか?
若しくは態と遅れているのか?
何のために……。
そして、妙に広く感じるこの空間。
体育館の面積が変わったわけでもあるまいし、だからと言っていつもと違った箇所があるかと言われれば微妙なところだ。広く感じる、という言葉が如くただの主観的な意見であることに変わりはない。
この3つの違和感、万が一にでもあいつがこの空間を意図的に作っているとしたらどうなる……。
暑い……パイプ椅子……時間ギリギリ……広く感じる……
…………
…………
ミスディレクション……。これだ。
万が一あいつがこの空間を意図的に創造したのだとしたら、それはミスディレクションを誘発させるための罠だ。
嫌でも注目を浴びるパイプ椅子。これは体育館の右側にある。同じく、体育館の右側には時計がある。舞台横に掛けられた大きな時計だ。なかなか姿を現さない東と、暑さ故に早く終わって欲しいと願う私達生徒。時間が気になるのは道理に叶っている。
体育館右側に無意識に気が向けば左側はその実、俯瞰として捉えてしまう。俯瞰した対象の存在に注目した時、それは空気のような存在から実態として現れる。
例えば、家の間取において使っていない空間があるとしよう。家主にとってその空間は下意識空間となるが、いざその空間の存在を実感する(大掃除などで)と家そのものが大きい、広い、と捉えてしまう場合がある。
体育館が妙に広く感じたのはミスディレクションによって体育館左側を下意識空間と捉えてしまったからだ。
そして、もしこの空間をあいつが意図的に創造していたとしたら、東唯一は―――
「キーーーン」
不意に、北見の耳をつんざく機械音が鳴り響いた。ハウリングだ。
そしてその音が聞こえていないかのように能天気にマイクをポンポンと叩く男。
チッ、老害が。
校長の南だ。年甲斐なく出鱈目な事や汚い言葉を良く使う、男子生徒には頗る人気者のひょうきん校長。それが南校長だ。
今もあークソっ! と呟きながらマイクの調整をしている。
早くしろジジイ。
北見は先の思考を一時中断、校長の一挙手一投足に心中で悪態をつきながら、己の美しい黒髪を掻き撫で整えた。
彼女は校長の毎度毎度の無能さには嫌気が差していた。今とてそれは同じである。
「えーー、生徒諸君。こんにちは―――」
校長のありがたいお言葉が始まった。
「皆さん、今日はこの西ノ原高校出身の作家、東唯一先生が遥々東京から時間を縫って来られました。この中にも東先生を知っている生徒や先生方もいると思いますので、えーー、楽しんでください。それでは、東先生お願いします」
校長の言葉はいつもと違いあっさり終わった。しかし、注視すべきはその点ではない。
東先生お願いします……?
この場にいる全生徒が疑問に思った。なぜなら用意されていたパイプ椅子に東先生と思われる人物は居なかった。いや、それどころか人さえ居なかった。まだ東先生はこの体育館に居ないのでは? と、思うのは当然の経緯であろう。しかし、北見は違った。
偶然か……必然なのか……。
先の思考が間違っていなければ、もう、既に、東唯一はいる。
今思い返すとそもそもが変だった。
何かしらの理由で東本人が遅れてしまったのであれば、必ず何からしらの説明が入る筈だ。
しかし、何事もなく校長の言葉は始まった。まるで校長だけが東の姿を見えていたかのように。
「どうかな。やっぱり君たちは私がこの場に居ないと思っていたか……それとも全く動揺もせず当然のように私の声を待っていたのか……フフ」
軟弱者のような、心配性のような、しかし上から目線で嘲笑的な、そんな男の声が聞こえた。
これが東唯一の声か。今の言葉でハッキリした。こいつ、意図的にこの場を作りやがった。
機知に富んだ北見は、点と点を繋ぎ合わせどうにか納得のいく答えを導き出していた。しかし、そんな彼女ですら驚愕していた。いや、驚き呆れていた。そんな奴が存在するのかと。
ヤバい奴。
生徒たちと北見の意見は、思考の着地点に差があれど一致していた。
そして、単純明快この上なく、男は舞台袖から堂々と登場した。
何事もなかったかのように、表情の一切を変えることなく、男は秒針の動きが如く着々と演台目掛けて闊歩した。
そして、軽い一礼と共に手に持ったマイクをマイク掛けにセットし、位置を微調整する。
痩せこけた頬に白ひげ混じりの無精髭、ぽろっとはみ出ている白色のtシャツは男の不摂生を体現していた。が、男には男をも誘惑する妙な色気があった。
演台についたのち、生徒、先生らを凝視する男。刻にして数秒、体育館左右の扉から、右から左へと駆け抜ける夏風が男の髪を靡かせる。
その姿には、彼とは真反対の人間、即ち北見の関心をも惹き付けていた。
カオスな状況に、妙な色気のある男。生徒らの視線が彼に集中して、誰一人として口を開かず見つめて数秒、男が口を開いた。
「皆さん、作家の東です。よろしくどうぞ」
ここから、西ノ原高校の楽しくも悔しいレクリエーションが始まった。