第9日
岡田の起こした例の案件については、マスコミを通じ大きく報じられたことでもあり、坂井さんも先刻ご承知のことでしょうから、私からは簡単にお話しするにとどめます。
独立して事務所を構えた岡田ですが、その運営は順風満帆ではありませんでした。開設から数ヶ月しかたっていない時点で、2名の女性弁護士が退所しました。新規採用は難航し、少ない人員で業務を回さざるをえませんでした。秘書も何人か入れ替わりました。業界では、岡田は酒癖が悪く、酔っぱらっては女性弁護士や秘書に性的嫌がらせを働いているのではないかとの黒い噂が流れました。
事務所開設の2年後に例の案件は起こりました。
一人の元秘書が、所長の岡田から事務所内で猥褻な行為を強要されたと訴え出たのです。元秘書の主張によれば、岡田は連日深夜まで仕事をしていたが、業務の補佐のため秘書の1名を交代で残業させるのが常だった。その日は夜10時頃に岡田の執務室に呼ばれた。事務所にはほかに誰も残っていなかった。岡田はウィスキーの水割りを飲みながら仕事をしており、もう遅いから仕事は切り上げて、ここで一杯飲もうと誘われた。岡田はブラインドを下ろし、内側から部屋の鍵をかけた。室内の応接用ソファに移り、シャンパンをあけた。30分ほど向かい合って飲んでいたが、やがて岡田が隣に移り、肩に手を回してきた。キスをされ、服の上から体を触られた。怖くて拒否できなかった。強い力で頭を押さえつけられ、抵抗するすべもなく、望まない行為を強要された。岡田はさらなる行為に移行しようと試み、覆いかぶさってきた。一瞬の隙を突いて部屋を出て、逃げ帰った。信頼していた所長からそのようなことをされた衝撃は大きく、翌日から出勤できなくなり、退職した。PTSDとパニック障害を発症し、ほかの仕事にも就けなくなった。
元秘書は岡田に精神的損害の賠償と休業補償を求め、大阪地裁に民事訴訟を提起しました。同時に、岡田の強制猥褻について、大阪府警に刑事告訴しました。所属する弁護士会とその上位組織の手続も並行しました。
事案はマスコミで大きく報道されることとなりました。とりわけ週刊誌は、「イケメン弁護士 破廉恥な暴走」など煽情的な見出しをつけて、数号にわたって取り上げました。事案が決着を見るまでの間、岡田は弁護士業務を行うことができなくなりました。岡田法律特許事務所の弁護士、職員は全員が退職し、岡田の念願だった自らの事務所は2年足らずで崩壊しました。
刑事手続の結論が先に出ました。元秘書が事件当時着ていた衣服をすべて処分したとのことで、指紋、体液や繊維の付着の有無について鑑定することができず、強制猥褻の事実の立証が困難であるとして、岡田は不起訴処分になりました。
一方、民事訴訟において、大阪地裁は、元秘書の主張する事実があったものと認め、岡田を全面的に敗訴させました。岡田は、行為があったことは認めるものの、同意はあったとして、控訴しました。争いの場は大阪高裁に移りました。
私が大阪高裁に配属されたのは奇しくもその時期でした。
「本当のところはどうなんだ?」私は岡田に尋ねました。
「報道されていることがあったのは事実だ」とだけ岡田は答えました。
岡田は事案についてほとんど何も語りませんでした。事実は認めた上で、裁判所と弁護士会・上位組織にすべての判断を委ねているようでした。
法曹界は男社会であるせいか、岡田に同情的な論調が主流を占めていたように思います。岡田はハニートラップにはまったのだと主張する者もいました。岡田の弁護士としての能力を高く評価する人は多く、弁護士や企業経営者を中心に、「岡田弁護士を励ます会」なるものも立ち上がりました。私も同会から署名を求められましたが、別の部に係属する事件とはいえ、利害関係者であることから、断りました。
岡田の代理人弁護士は高裁で新たな証拠を提出しました。一つは、元秘書が以前いた事務所で同様の被害を訴えて、和解金を手にしていた事実です。巷間言われていたハニートラップの疑惑を強めることとなりました。
より決定的だったのは、防犯カメラの映像でした。代理人弁護士は調査権に基づき、事務所の同僚を動員して事件当夜の淀屋橋近辺の防犯カメラ映像を洗いました。すると、事件当夜12時頃、岡田が御堂筋でタクシーを止め、元秘書を乗り込ませる姿が確認されました。これは元秘書の「部屋を出て逃げ帰った」という言葉と矛盾します。元秘書は、映っているのは自分ではないと主張しましたが、代理人弁護士は、顔認証技術に基づき(現在の技術に比べれば精度は低かったと思われますが)、90%以上の確率で本人であるとする鑑定結果を提出しました。
さらには、岡田と元秘書が以前から不倫関係にあったとの元事務員の供述も出てきました。岡田は、それまでそのような主張はしていませんでしたが、法廷でそれを認めました。
元秘書の側は敗訴を予感したのでしょう。裁判所の和解勧奨を受け入れ、事件は決着しました。事案が発生してから、足掛け3年がたっていました。
岡田は細々と弁護士業務を再開しました。京都弁護士会に登録替えをし、郷里の京都で個人事務所を開設しました。最早女性の秘書は雇わず、法科大学院の男子学生をアルバイトとして雇いました。上本町のマンションから毎日マイカーで通いました。
「失われた信頼は、一から取り戻していくしかない」と岡田は述べました。「新人のつもりで頑張るよ」
妻の有紗さんは五十嵐綜合法律事務所を退所し、大阪の別の法律事務所に勤務していました。有紗さんが代理人になっている事件について、私は忌避することはしませんでした。法廷では時々有紗さんと顔を合わせ、会釈しました。
有紗さんとは同じ地下鉄の路線を使って通勤していたので、帰路、ばったり会うことがありました。そのような時は、最寄り駅から雑談しながら途中まで一緒に帰りました。さくらちゃんの学童保育の施設が小学校の近くにあるので、遠回りして迎えに行き、3人で並んで帰ることもありました。
あのような案件があったにも関わらず、岡田家は至極平穏に見えました。一度、有紗さんと近鉄百貨店の喫茶店でコーヒーを飲んだ時、秘訣をそれとなく訊いてみました。
「最初は、私も激昂して、夫を糾弾しました」と有紗さんは答えました。「離婚も口にしました。ですが、夫は心から改悛の念を口にし、私に謝罪しました。二度と家族を悲しませるようなことはしないと誓いました。私は夫を信じることにしました。所長の五十嵐先生に迷惑をかけるので、慰留されましたが、私は五十嵐綜合法律事務所を辞めました。幸いすぐに雇っていただける事務所も見つかりました。夫の休業がいつまで続くかわかりませんが、その期間は私が頑張って働き、家計を支えようと思いました。さくらの手前もあり、何事もなかったかのように明るい家庭を築くように心掛けました」
私は黙ってうなずきました。有紗さんの隠された懊悩の片鱗を見たように思いました。
「幸いなことに」と有紗さんは続けました。「夫のことでさくらが学校でからかわれたり、いじめられたりすることはありませんでした。校長先生をはじめ先生方は、噂が校内で拡がらないように、最大限配慮してくれました。また、救われたのはマスコミ対応です。通常であれば、マスコミが自宅に押し掛けたり、私たち夫婦だけでなく娘までをつかまえて話を聞いたりする事態に陥りそうなものですが、一切ありませんでした。マスコミに力を持つ五十嵐先生が手を回してくれたのです。私たち夫婦は本当に五十嵐先生には頭が上がりません」
前に述べました通り、私たちと岡田家は、お互いを自宅に招待し合う仲となっていました。
「あれくらい男前だったら、多少のことがあっても仕方ないわね」私の妻は、岡田については比較的好意的に語りました。ただ、有紗さんにはやや苦手意識があるようでした。
「あんなに頭の良い女性の前に出ると、何を話していいかわからない」と妻は言いました。
ある晩、もらい物のマドレーヌがたくさんあって食べきれないから取りに来ないかと有紗さんに言われ、私は帰路、寄り道して岡田宅を訪れました。有紗さんとさくらちゃんと3人で、紅茶を飲みながら、マドレーヌの味見をしました。さくらちゃんは、学級に好きな男子がいるとのことで、今度公園でデートをするんだと、得意げに私に話しました。そんな折、岡田が帰宅しました。
「来てたのか」岡田は言いましたが、何か複雑な表情をしていました。友人とはいえ、ほかの男が家にいて、家族団らんのようなことをしていたのですから、無理もないでしょう。
「夕食は?」と有紗さんが尋ねました。
「事務所の下の蕎麦屋で食べてきた」
「そう」
「まあ、ゆっくりしていって」岡田は私にそう告げ、自室に入りました。やるべき作業が残っているとのことでした。私は長居せず、いただいたマドレーヌの箱を携え岡田宅を後にしました。
次に会った時、さくらちゃんは、好きな男子と公園でデートしたところ、手をつないできたので、振り払ってやったと言いました。翌日からその子がまた公園に行こうと誘って来るが、無視しているとのことでした。
「男はきもい」とさくらちゃんは言いました。「男なんかいなければいいのに」
この発言にはおそらく伏線がありました。岡田の案件よりずっと以前のことですが、さくらちゃんは帰り道で不審な男に声をかけられたり、後をつけられたりしたことがあったのです。以来、どんなに忙しくても、有紗さんが仕事を切り上げて学童保育に迎えに行くことにしていました(休業中は岡田の役目でした)。
「男がいなくなったら、お父さんもいなくなっちゃうよ」有紗さんが言いました。
「それは困る」さくらちゃんは言いました。「お父さんは例外だよ」
「大谷さんは?」有紗さんが訊きました。私は、珍しく無神経な発言をする有紗さんを憎みました。さくらちゃんにとって、私は疑いもなく「きもい」「いなければいい」側に入るはずでした。
「うーん」とさくらちゃんは首をひねりました。「大谷さんも例外かな」
私はほっと胸を撫で下ろしました。小学生にして、大人に気を遣うことを知っているさくらちゃんには感心しました。
その日は平日でしたが、私は出勤せず、官舎で仕事をしていました。日中は書斎にこもり、パソコンで書類を作成していましたが、時折仕事の手を休め、インターネットで小中学生の女の子が水着を着て戯れている映像を探して、閲覧していました。
お昼過ぎに、玄関先に来客があり、妻が対応しました。書斎は玄関の隣にあるので、聞き耳を立てていましたところ、それは警察官二人組のようでした。
最近近所の真田山公園に小学生の女の子の前で下半身を露出する変質者が出没しているとのことで、何かそういった事象を耳にしたことがあるかと尋ねているようでした。その話は私も妻から聞いて知っていました。
「本当に怖い」と妻は言っていました。
妻は高校生の頃、盗撮の被害に遭ったことがありました。通っていた地元の塾の講師が盗撮魔で、女子トイレにカメラをしかけていたのです。
「露出狂も盗撮犯も、痴漢も覗き魔も、変質者はみんな男ね。女の子を持つ親は本当に心配ね」
妻は、同様のことを警察官に話していました。
私は、この時、はっとしました。
慌ててインターネットのブラウザを閉じ、仕事に戻るためワープロソフトを立ち上げました。
心臓が早鐘を打ち始めました。
私はたった今、インターネットで小中学生女児の映像を検索し、閲覧していたのです。もし、警察が私のインターネット接続履歴を調査することができたならば、私の倒錯した性癖が明らかになり、公園で下半身を露出する変質者の重要な容疑者になるのではないでしょうか。
私がインターネットを検索していたのと、警察官の来訪は、偶然にしてはあまりにも時が一致していました。
私は自分が小学生女児を狙う性犯罪者として監視されている可能性を考えました。万が一何らかの理由で私が捜査線上に浮かび、家宅捜索の対象となった場合、私のパソコンからは大量の小中学生の女児の画像、引き出しからは大量の雑誌や映像商品が発見されます。私は状況証拠から、公然猥褻の容疑者として逮捕・勾留されることになりはしないでしょうか。
私の性癖が大々的に報道などされた場合には、たとえ容疑不充分で釈放されたとしても、私は平穏な家庭生活を失うこととなります。職場にもいられなくなるかも知れません。
私は恐怖で身震いしました。
ですが、日本は法治国家ですから、令状なしで強制捜査をすることはできません。私は自分を落ち着かせました。
警察官はすぐに帰っていきました。
まさかとは思いながらも、接続履歴が違法に傍受されている可能性を考えて、変質者の事件が一段落するまでは、私はインターネットの利用を控えた方がよいかも知れないと思い始めました。
翌月、私は、父親が死去したとの知らせを受け、急ぎ、家族で帰郷しました。
92歳での大往生でした。80代の時に前立腺癌の手術をしましたが、完治し、その後認知症などを患うこともなく、当日まで元気にしていたようです。
教会でお別れの儀式が行われました。
身内のことを言うのは憚られますが、父親は人に慕われていた人物なので、大勢の人々が集まりました。足腰が悪く車椅子生活の90歳の母親をはじめ、家族・親戚が久しぶりに一堂に会しました。
私の兄弟姉妹で結婚している者は、両親同様、避妊は神の意思に反するとの教義を忠実に履践しているのでしょう、子だくさんな者が多く、実家は非常に賑やかになりました。
独身の姉は、自らのことを棚に上げ、お前は昔から体力がなかったから、望んでも3人目以降ができないのだろう、と嫌みったらしく言いました。体力も何も、交渉を行っていないのですから、子供ができないのは当たり前のことですが、それを言うわけにもいかず、愛想笑いをしておきました。
この式には、驚くべきことに、あの失踪した次兄も参列しました。私を始め多くの親族にとっては、実に40年ぶりの再会でした。次兄は家出をしたあと、昔高校で世話になった教師の伝手を頼ってある法律学者の家に身を寄せ、やがてその養子となって姓を変えました。そして法律を学び、司法試験に合格し、検察官に任官されたのです。20年前、被疑者に対し拷問まがいの暴行を行ったかどで逮捕されたのですが、それは完全な濡れ衣であり、次兄があまりにも優秀だったため、出世を抜かされた同僚が嫉妬して、被疑者にそのような供述を強制したということでした。
同じ検事とはいえ、坂井さんはお若いですから、兄のことはご存じないでしょう。次兄は不起訴になり復職しましたが、6年前に検察官を定年退職し、現在では東京都内の法律事務所に顧問として勤務しているとのことでした。
実家には数年前から顔を見せていたようです。結婚して孫がおり、6歳と5歳のいずれも女の子ですが、うちの長男と次男と一緒になって遊んでいました。人懐っこい二人で、私のような中年男にも警戒心なく近寄って来るので、相手をしていたのですが、その様子を見た妻が、あなたは小さい子が好きだからね、となにやらはにかむような笑みを浮かべていました。
弟は、比較的元気に実家で生活しており、近々初めての海外旅行に行くつもりだと話していました。
私以外のほぼすべての兄弟姉妹が、両親から受け継いだ教義を信仰しています。次兄も信仰を取り戻しました。なぜお前は信仰に復帰しないのかと何人かに問われました。
しかし、夜な夜な小中学生の女の子の画像や映像を閲覧して昂奮し、倒錯した快感を貪っている異常者である私が信仰に入ることは、神への冒涜にほかならないでしょう。存命の10人兄弟、母親をはじめとする良心的な一族の中で、私一人が異質な存在であり、神に排斥されて然るべきなのです。
実家から帰った翌日は、春というのに気温が下がり、朝から冷たい雨が降っていました。私の帰宅を待っていたかのように、5人の警察官が捜索令状を持って自宅を訪れました。突然のことに妻は慌てふためきました。二人の息子も、何が起こったのかわからず、あんぐりと口をあけていました。警察官たちは私にパトカーに乗るように促しました。
「一体何があったの?」妻が叫びました。
「心配ない」と私は言いました。「すぐに帰る」
私は任意で警察署に連行され、5時間ほど聴取を受けた後、逮捕状を示され逮捕されました。
岡田はすぐに留置場に面会に訪れ、私の刑事弁護人を受任させてほしいと言いました。
「いいのか」と私は言いました。「俺の弁護などしても、利点はないよ。報酬はそれほど多く払えない」
「構わない」と岡田は言いました。「でもやらせてほしい。罪滅ぼしに」
「罪滅ぼし?」
「ああ。お前には謝らなくてはいけないんだ」
「何に関して?」
「真田山公園の事件の容疑者として、俺はお前を警察に売った」
意味がわかりませんでした。私は岡田に詳細な説明を求めました。
「お前が特殊な性的嗜好の持ち主であることは、俺は25年前から知っていた」と岡田は話しました。「修習時代、お前の仙台のアパートに何回か泊めてもらった。俺が寝ている間にお前は外出することがあった。法律書の並んだ本棚の奥に、その手の書籍が隠してあるのをたまたま発見した。変わった趣味があるのだなと思ったが、そのことは忘れていた。2年ほど前から、俺とお前はお互いの家を行き来するようになった。俺は休業中だったが、複数の依頼人から法的助言を求められることがあり、無報酬で応じていた。送らなくてはいけないメールを忘れていて、お前のパソコンを借りたことがあった。お前は油断していたのだろう。何気なく、『最近使ったファイル』を見てみると、表示される画像がすべてその手のものだった。趣味は変わっていないのだな、と思った。その後、我々の住居の近所で、少女を狙った事件が続けて起きた」
「それでピンと来たのか?」
「最初は、事件とお前を結び付ける発想など、微塵も浮かばなかった。ただある時、妻が、さくらが随分大谷さんになついているけど、大丈夫だろうかと言った。何となくだけど、大谷さんがさくらを見る目が危ない気がする、と。さくらは今10歳だ。俺はそれを聞いた時、初めて、お前からさくらを遠ざけないといけないと思った」
「さくらちゃんをそんな目で見たことは一度もないよ」
これは正確に言うと嘘でした。美男美女の血を受け継ぎ、さくらちゃんはかなりの美少女でした。休日に梅田の街を歩いていると、芸能関係者によく声をかけられるとのことでした。腰まである髪を時にはまっすぐ下ろし、時にはツインテールにして白や赤のリボンで飾り、ショートパンツやミニスカートを好んで身に着けていました。同学年の生徒より背が高めで、夏場、ノースリーブでいると、あどけなさに紛れて発散されている女性の気配にはっとさせられました。私はできるだけ多くの時間彼女を見ていたい願望にかられました。ただ、それ以上の妄想を拡げないよう、心に制動をかけていました。有紗さんは敏感にもそれを感じ取っていたのです。
「今なら俺もそう信じる」岡田は私の内心には気付かずに言いました。「ただ俺はその時動揺していた。というよりも、お前に嫉妬していた」
「嫉妬?」
岡田が私に嫉妬するということがわかりませんでした。容姿も才能も、私が岡田より優れている点は一つもないと思えました。
「身から出た錆とはいえ、俺は当時全てを失っていた」岡田は続けました。「上位組織の結論によっては、永久に法曹界から追放される可能性もあった。不安だった。家族からも見放されるかも知れないと思っていた。地平線の見えない荒野に、一人取り残された気分だった。それに比して、お前は順風満帆に見えた。出世街道を歩み、地裁所長や高裁部総括に昇格するのは目前と思われた。そんなお前が、俺の妻子と仲良くしている。俺は、妻子さえもお前に奪われるのではないかと危惧した。それは阻止しなくてはいけないと思った。妻と些細なことで言い争いをした夜、俺は頭を冷やすために外に出た。夕方既に走り終えていたから、普段着で、上町筋を軽く流した。何度か行ったことのあるショットバーが目に入り、衝動的に入店した。この頃飲みに行くのは控えていた。マティーニを3杯くらい飲んで帰る予定だった。が、マスターがマッカランのオールドボトルが入っていると言うので、ロックで4~5杯いただいた。店を出て、帰宅しようと思ったが、どこをどう歩いたのか、珍しく記憶が曖昧だった。気が付くと、目の前に天王寺警察署の建物があった。夜間の宿直が、どうかしましたかと訊いた。ある事件のことで報告したいことがあると言うと、2階へ通された。『岡田先生ですね』と対応した刑事は言った。『酔ってらっしゃるのですか? 少し顔色が悪い』そこで俺はお前のことを危険人物と訴えたのだ。すぐに後悔したよ。自分は何をやっているんだと思った。最早お前に合わせる顔がないと思った。俺は精神状態が正常ではなかったんだ。まさか、半年後にお前が本当に逮捕されるとは思わなかった。お前が逮捕されたのは俺のせいだ。俺は贖罪をしなくてはならない」
「一度は疑ったんだろう? どうする、俺が本当は性犯罪者であったとしたら?」
「何年の付き合いだと思う? お前はたとえ心の中でよこしまな願望を抱こうとも、それを実行に移すようなことはしない。お前は誠実で品行方正な人間だ。そして人の内心のみを罰することは憲法上許されない。お前の弁護は俺が引き受ける。お前を一刻も早く開放させる」
「任せていいのか?」
「もちろんだ」と岡田は言いました。「これは俺の再出発のための重要な第一号案件としたい。俺は道を誤った。俺は慢心していた。自分の事務所を持ち、マスコミからもてはやされ、舞い上がっていた。シェイクスピアじゃないが、世界は俺にとって牡蛎のようなもの、剣でこじあければよいと考えた。すべて勘違いだった。これからは地道に堅実に仕事をしていくつもりだ。お前がそうしてきたようにね。信義に従い、誠実に職務を遂行するよ」
「ダットサン民法」第1巻の最初の頁に記載され、私が法学部生時代に初めてマーカーを塗った民法の条文を岡田は引用しました。私は岡田に刑事弁護を依頼することにしました。
以来、岡田は私を釈放させるため懸命に動いてくれています。私も岡田に全幅の信頼を寄せているところです。
本題に入りましょう。
真田山公園の公衆便所に、11歳の少女を連れ込んで猥褻な行為を行おうとしたのは、私ではありません。また、東小橋公園において、10歳の少女に対し同様の行為に及ぼうとしたのは、私ではありません。さらに、今回の嫌疑に含まれているかどうかわかりませんが、真田山公園において複数回にわたって、小学生女児たちの前で局部を露出したのは、私ではありません。
明日、私の勾留期限が切れます。私を起訴するか、証拠不充分で釈放するかは、担当検事である坂井さんの判断にかかっています。今回の私の嫌疑は状況証拠のみによるもので、それも著しく牽強付会なものであり、私を逮捕・勾留したことが相当な無理筋であることは、岡田が述べるまでもなく、坂井さん自身が充分理解なさっていることでしょう。私としては、当然のことながら、不起訴・釈放を予期しているところです。
児童ポルノ規制法により、18歳未満の児童に対価を払って性行為をした場合、法律で処罰されるようになりました。それまでも条例で規制はされていましたが、法律の施行により、いわゆる援助交際は次々に摘発されることとなりました。その手の報道が定期的になされ、欲望に身を委ねた男が映像としてさらされます。それでも逮捕される人間は後を絶ちません。危険を冒してでも、18歳未満の女性と性関係を持ちたいと願い、実行する男はたくさんいるということでしょう。
中には、中学生、時には小学生の女児に金銭を供与して淫行を行う者もいます。小学校の教諭が教え子と、あるいは他校の生徒と、ありうべからざる関係を結んで逮捕されたという報道も稀ではありません。
私は、10代前半の少女にしか欲望を覚えない倒錯者ですが、その許されざる願望を実行に移そうと企図したことは一度もありません。
性的な嗜好は数あれど、幼い少女を対象とするものは、最も卑しいものとして認知されています。それらの嗜好を持つ者は、世間一般から気持ちの悪い許し難い存在、性犯罪者予備軍としての扱いを受けます。
例えば、同性愛などは、かつては禁忌でしたが、現在では市民権を得て、同性愛者の芸能人も日々テレビに出演していますし、自分が同性愛者であることを告白するのは、それほど障壁が高いことではありません。一方、幼い少女を対象とする性的嗜好を告白するのは、大変難しいことです。私も、自らが、小中学生にしか欲望を感じない変質者であることは、誰にも漏らしたことはありません。一生、自分だけの秘密として隠し通し、墓場まで持っていく覚悟でした。
ただ、インターネット上の匿名掲示板の同好の士が集うスレッドを閲覧し、時々書き込みまでしていたのは、私の不徳の致すところです。私はそこに、性的倒錯者を擁護するような書き込みをしました。日本は児童ポルノに対する規制が甘いとされ、世界的には、児童ポルノの輸出国であるなどと言われている、過激な児童ポルノに欲情する愛好者のために、少女が性交を強いられてその画像・映像が頒布されるなどという非道な行為は直ちに根絶されるべきである、だが、健全な(というと語弊があることは承知していますが)かわいらしい少女の画像・映像が一切入手できなくなると、性交の相手もいない、大人に欲望を感じられない変質者は欲望解消の途を完全に絶たれ、絶望の淵に立たされることとなる、などと書きました。
IPアドレスの開示により、それらが私の手によるものであることは、既に明らかになっているでしょう。
少女を狙った、忌まわしい猟奇的な犯罪がたびたび起きます。少女を対象とする性的嗜好を持つ者は、その欲望を充足しようとすれば、即、犯罪になります。のみならず、相手の少女の心身に一生癒しえない傷を残すこととなります。これらの者が鬼畜として扱われるのは無理もないことです。
ですが、実際に、その欲望を実行に移そうと企む男は、ほんの一握りにすぎません。ほとんどの倒錯者は、私のように、少女が掲載されたグラビア誌やDVDを購入し、昂奮し、一人で行為にふけることで、かろうじて欲望を解消しています。強姦ものの成人向け映像作品は数多く生産されており、その愛好者は一定数いると思われますが、彼らがすべて強姦事件を起こすわけではありません。繰り返しになりますが、私も、自らの倒錯した欲望の実現を企図したことはありませんし、これからもするつもりはありません。
私が犯行を全面的に否認していることは、事件に関する供述調書に明確な記載を求めます。
一方で、坂井さんご自身の判断で、私を起訴なさるのなら、それはそれで仕方のないこととも考えています。
私が児童買春の報道に接するたびに、一抹の羨望の念が生じたことは否定できません。
このまま行けば、私は己の強い願望を一度も実現することなく、平凡で意味のない人生を終えることになります。その絶望的な寂しさを想起すると、倒錯した欲望を実現に移すことができた男をひどくうらやましく思うのです。自分も、すべてを捨てる覚悟で、願望の実行に突き進むことを選択した方がよいのではないかとの思いが頭をかすめます。
私はそのような想念が頭に浮かぶたび、それを強く否定してきました。その願望の具現化は犯罪であり、それにより不可避的に心身に深い傷を負う被害者を生み出してしまいます。
また、私が犯罪者となった場合、妻や子供たち、両親や兄弟姉妹を犯罪者の家族に貶めてしまうこととなります。職場で世話になっている人々にも多大な迷惑をかけてしまうことでしょう。
それらに思いを至らせると、とても自らの秘めたる願望を実践に移すことなどできません。欲求は妄想にとどめ、夜な夜な歪曲した欲望を一人で解消する日々を、この先の人生、どれだけ残されているかはわかりませんが、延々と続けていくのでしょう。
しかし、女を見て心に情欲を抱く者は姦淫を犯していることになる。
聖職者の家族でありながら、かつ人の争いを裁く高邁な職業に就きながら、到底許すべからざる危険な思想を胸に抱き、その実現を繰り返し夢想してきたような人間は、例え無実の罪で断罪されても、一切抗議することなどできないとも考えるのです。
私はもし釈放されても、元の裁判官の仕事に戻るつもりはありません。私の鬼畜な思想が明らかになった以上、これまで通りの職務を続けることは、全うに生きる市民に対する著しい冒涜となるでしょう。私が過去25年間行ってきた全ての仕事も、撤回され、無効とされるのが筋なのかも知れません。
家族に対しては、夫として、親として、最早顔向けができないこととなりました。今後は別々に暮らしていくこととなるでしょう。
それ以外の主張については、代理人の岡田に委ねています。たまたまきょう閲読した週刊誌に、私が大阪府警に逮捕された時の岡田の声明文が掲載されていました。坂井さんは既にご覧になっていることでしょう。内容はしっかりと覚えています。岡田の主張はこの時と変わっていないはずですから、改めて暗唱してみたいと思います。