第5日
修習を終え二回試験(司法修習生考試)に合格した私は、念願の職業である裁判官に就きました。以来25年間、同じ仕事を続けています。
当初は判事補として東京地裁勤務になりました。
内向的な自分には、職場の女性と事務的な会話を交わす以外に女性との接点はなく、職務において一人前になるため懸命でもありましたから、女性とお付き合いをすることもありませんでした。堅い職場であり、合コンなどはしたこともありません。女性の接客する飲食店に行くようなこともありませんでした。あるいは風俗店だとか、特殊な浴場に行くなどということも一切なくなりました。
私は、毎日、一人暮らしの官舎と職場の間を往復し、通常の若者とは異なる、女っ気の全くない、地味な20代の日々を過ごしました。
むろん、まだ写真集「聖・少女」は愛蔵しており、10歳のソフィア、12歳のヴェロニカ、13歳のナタリーのかわいらしい姿を眺めて夜な夜な昂奮し、背徳を繰り返していました。一人暮らしで誰にもとがめられないのをいいことに、同様な写真集を買いあさりましたが、ソフィア、ヴェロニカ、ナタリー以上に自分の欲望を高まらせてくれる少女にはついぞめぐり合うことはありませんでした。
仕事に就いて5年後でしたが、私は上司(当時の部総括判事でした)の紹介でお見合いをすることとなりました。結婚などは考えたこともありませんでしたが、上司の顔も立てる必要があり、私はパレスホテル東京のフランス料理店の個室でお見合いの席に臨みました。
相手の女性は私より1歳年上ということでした。やや小柄で、丸顔で、心持ちぽっちゃりとした体型でしたが、肥満しているというほどではありません。髪は後ろで馬の尻尾のように束ねていましたが、耳の前あたりの髪は束ねずに顎のあたりまで自然に垂らしていました。やわらかそうな、細そうな髪質であり、小さな耳たぶが、髪の間から見え隠れしていました。右の耳たぶの上部に微かな薄い色の黒子が一つありました。
以前お話ししました通り、私は髪に対して執着があり、とりわけ髪の間から耳たぶが見える状況には著しい昂奮を覚えるのです。もしこの人を妻として娶ることとなった場合、このかわいらしい小さな耳たぶを舐め回すことができるのだと想像すると、私は激しく反応してしまいました。
彼女からは、わりとおっとりした感じを受けました。東京都区内で生まれ育ったということですが、都会人のようにお高く止まった印象はありません。ゆったりとしたカーディガンに、ロングスカートをはいており、服飾のセンスは特に優れているとは思いませんでした。
決して美人ではありませんでしたが、割とかわいらしい顔立ちではありました。口数はあまり多い方ではありませんでした。
私も初めての経験で緊張していましたし、そういった場で何を話したらよいのか見当もつきませんでした。最初はかろうじて話題を探してみたのですが、彼女の声があまり大きくなかったため、二度三度と聞き返さねばならず、それでも聞き取れないこともあり、会話はほとんど噛み合っていませんでした。そのうちに私も力尽きて、沈黙がちになりました。向こうから話題を振って来るということもありませんでした。上司夫妻ばかりが話をし、私と彼女の間は少し気まずい雰囲気となりました。
「あとは若い二人でお茶でも飲んで行きなさい」
食事が終わり、上司からそう言われました。
「すみませんが、このあと用事があるので」
最早一刻も早く逃げ出したい気持ちとなり、私はそう嘘をついて、そそくさと駅に向かいました。彼女は上司夫妻と一緒に帰ったようです。
こんな体たらくであり、どう見ても相手からは嫌われてしまったはずだし、あのような気まずい時間は二度とごめんでしたので、これからこういった話をいただいても理由をつけてお断りをしようと心に決めました。
ところが、それから一ヶ月ほどたった日、私は上司から驚くような話を聞きました。
上司が言うには、相手の女性が私のことを気に入っており、結婚を前提にお付き合いをしたいと述べているというのです。私は戸惑いました。お見合いの席であまりにも話が盛り上がらなかったため、すっかり呆れられ、嫌われたものとばかり思っていたのです。
私としては、彼女がとりわけお気に入りというわけでもありませんでした。が、逆に嫌いなタイプであって付き合いはご勘弁というようなこともありませんでした。現にお見合いの席で、髪の間に見え隠れする耳たぶに劣情を覚えてしまったくらいですから、お付き合いをすることに吝かではありませんでした。
結婚についても、私のような容貌の劣った小太りの男に好意を示してくれる女性はこの機会を逃したら二度と現れないとも考えられ、本当に彼女が私でよいというのなら、この際決めてしまっていいとも思われました。私は、さほど熟考することなく、彼女の申出を受諾することとしました。
となると、次の問題が発生しました。
お付き合いをするということは、デートをしなくてはなりません。女性とデートをするなどということは、私は一度もしたことがありませんでした。何をどうしたらよいのか、皆目わかりません。
岡田に電話して相談したところ(岡田は父親の望み通り検察官に任官し、その頃札幌に勤務していました)、酒を飲ませた上でホテルに行くのが手っ取り早いが、お前の性格からしてそれは障壁が高いし、結婚が前提というのならば、まずは何か女の好みそうな恋愛ものの映画でも見に行き、そのあと喫茶店でお茶をするくらいが無難ではないかということでした。
私は、失敗のないように、初デートの日までに見るべき映画を選定し、喫茶店も下見をしておこうと思いましたが、何分仕事が忙しく、結局何の下準備もないまま当日を迎えてしまいました。
待ち合わせに現れた彼女は、お見合いの時とは大きく印象が異なりました。大きな英文字があしらわれたTシャツに、青いジーンズと、非常にくだけた感じの服装でした。
私は、このような場合何を着て行っていいのかわからず、休日であるにもかかわらずスーツを着用しており、連れ立って歩くのは大きな違和感がありました。
それよりも私が驚いたのは、お見合いの時は彼女がゆったりとした上衣を着用していたので気付かなかったのですが、今回は肌にぴったりとしたTシャツを着ており、その胸の部分が著しい膨らみを見せていたことです。彼女はやや小柄な方なのですが、それに比してもかなり大きな胸部を保有していることは明白でした。
私はそれを目にした瞬間、彼女と一緒になれば、この胸部に触れることが可能になると思い、それを想像するに、またしても反応してしまいました。やや腰を引いて歩きました。傍から見ると、非常に滑稽な歩き方になっていたに相違ありません。
私は、女性の未成熟さに昂奮を感じる性癖を持っていましたが、それと矛盾して、どういうわけか彼女の胸の大きな膨らみに著しい欲望を覚えてしまったのです。
お見合いの時と大きく印象が異なったのは、胸が強調された彼女の服装だけではありませんでした。会った瞬間から、彼女は快活によく話し、行きたい店があるからそこに行こうと積極的に私を引導しました。私は、行くべき場所について何の当てもありませんでしたから、これはかえって助かりました。
我々は若者で溢れた、当時流行していた格式ばらないイタリア料理店に行き、食事をし、少しお酒を飲み、食後の洋菓子を食べました。そのあと喫茶店に行き紅茶を飲みました。
彼女はほぼ間断なく話し続けていました。お見合いの時の、何の会話を振ってもほとんど反応のなかった彼女とは別人のようでした。私は、自ら話題を探し提供する必要がないことから、これについても大いに助かりました。
お見合いの席との印象が異なることを告げますと、彼女は、あの席では仲人夫妻がいて極度に緊張していたのだと言いました。
私は彼女と定期的なデートを重ねるようになりました。デートにおいては常に彼女が私を引導しました。待ち合わせの場所、時間、行く場所は、ことごとく彼女が決定しました。
私は、女性に対して積極的に行動することが苦手でした。会話をすることさえ得意ではありませんでした。しかし、彼女と一緒にいると私は非常に心地よく感じました。女性と接する時に必ず自覚する緊張感を、彼女といる時はさほど実感せずに済みました。
彼女は胸が強調されるような上半身にぴったりした上衣を好みました。ある時は、臀部の形状よくわかる薄い生地のズボンを着用してきました。服装に関し無頓着なのか、あるいは意図的にそうしているのかはわかりません。
私は彼女とデートを重ねるたびに、欲望を強くかきたてられ、昂奮しました。そして彼女の体に触れたい、体を意のままにしたいと渇望するようになりました。岡田は、早く彼女をホテルに連れ込むように私をそそのかしました。しかし、私にはその勇気はありませんでした。欲望はかきたてられていたものの、いざホテルに行ったとしても、人並みにきちんとした交渉ができるのかどうか、私は極めて不安でした。
繰り返しになりますが、私には自身が不能者ではないかという恐怖がありました。
現実に、奇跡的に女性とホテルに行った過去、私は眼前の女性に対し何らの欲望をも覚えず、反応せず、目的を果たすことが叶いませんでした。再びそのようなことが起きるのではないかと想像するだけで、顔から火が噴き出、大声で叫んで路上を駆け回りたくなるほどの恥辱の念が沸き起こり、私は恐怖のどん底に落ちるのでした。
有難いことと言うべきかどうか、彼女はかなり早い時期から、私と結婚したいと口にしました。私としても、自分の風体からいって私と結婚したいなどという殊勝な女性は今後現れないと考えられましたし、デートを重ねるにつれ、彼女への欲望が募り、彼女を求める感情、おそらくは一般に好きだと言われる感情が芽生えたため、結婚をするのならばこの人だろうなと考え始めました。
二人の間では、結婚が前提の付き合いであることは自明という雰囲気が醸成されました。
岡田は、彼女が私をいざなっていることは明白であり、結婚は前提にして、まずは早くそのような関係に持ち込むべきだと主張しました。これについては、服装の件は別にしても、それを首肯せざるをえないと感じることがありました。
彼女が、早く子供が欲しいと口にしたからです。
具体的に、子供は二人欲しい、それも女の子が良いというのでした。これは私と早く交渉がしたいという暗示であるとも考えられました。私は、初め、交渉に対する恐怖から、そのような発言を聞き流すようにしていました。しかし、女性の方からそのような暗示を受けながら、誘わないのは、彼女の矜持を傷つけているのではないかとの危惧が生じました。
毎日そのことが気になり、頭から離れなくなりました。彼女は私を誘っているのかも知れない。一方で、単に将来子供が欲しいという願望を述べているだけの可能性もなくはありません。私は恋愛については奥手ですから、何度デートを重ねても、手をつなぐことはおろか、あらゆる身体的接触をもしていませんでした。ふとしたことで彼女が私の腕をとろうとした時、思わず体をよけてしまったくらいです。
そのような有様の自分が、いきなり相手を深い関係に誘うことは不自然極まりないと思われました。またたとえ誘ったとしても、それがうまく行くのかという恐怖感があります。と同時に、彼女の小柄ながら豊満な女性らしい肉体の魅力に惹かれてもいるのです。
私は毎日このことに呻吟し、次第に彼女と逢うことが苦痛にさえなってきました。いっそのこと別れてしまった方が楽だとも考えるようになりました。
ですが、よくよく考慮するに、どうせ別れてしまうくらいなら、最後に勇気を出して彼女を誘ってみるべきではないかと思えました。もし拒否されたり、うまくいかなかったりして、破局に至った場合でも、どうせ別れるつもりだったなら諦めもつくと思いました。
私は、清水の舞台から飛び降りたつもりで、彼女をホテルに誘おうと決意しました。そのことにより関係が破局に至ろうとも、所詮いずれは破談になるべき仲だったものと諦めようと思い至りました。また、ホテルに誘った結果行為が実行しえず、恐ろしく気まずい思いをすることとなったとしても、それはそれで仕方ないと開き直ることとしました。
その境地に至るまでは数ヶ月の呻吟がありました。決意を固めたつもりでも、実行行為に踏み込む心理的な障壁の高さを思うと、尻込みしました。私は決意を翻さないよう、実行日をまず決めてしまおうと思いました。
かなり頻繁にデートを重ねていましたから、いわゆる女心には極めて鈍感な私であっても、彼女に体調が悪そうに思われる日が周期的に訪れることは承知していました。私の申出が、その体調の悪い日に当たってしまうことは避けなくてはなりません。
私は彼女が最後に体調を悪そうにしていた時から2週間経過した最初のデートの日を実行の日と定めました。私は注意深く彼女を観察しました。そろそろ「体調の悪い日程」がやって来ると予測していたある日、彼女が、頭痛がひどいからといってデートの約束を延期してほしいと申し入れてきました。
これによって、決行の日取りがほぼ固まりました。
いざこうなってみると、職場にいても宿舎にいても、少しでもそれに思いが至るたびに心臓が早鐘のように打ち、手足も震えて来るのでした。このような状態で自分はそれを実行できるのかと不安でなりません。一方で、名状し難い期待感が頭をもたげ、次第に大きくなってきました。自分は間もなく、あの抑え難い欲望の対象となっている豊満な肉体を手に入れることができる。隔絶された部屋の中で、それを思う存分に堪能することができる。およそ欲望の対象となる女性とそのような関係を取り結んだことのない自分にとって、それは奇蹟とも言える待望の出来事となるはずでした。
一番恐ろしいのは、決行の日になっても、結局それを切り出せず、デートの時間が終わってしまうのではないかということでした。私は、それだけは何としても避けなくてはいけないと考えました。そのためには、デートの間のできるだけ早い時間にその話を持ち出す必要があると思慮しました。
いよいよ決行の日がやってきました。
朝から小雨の舞う肌寒い日でした。通い慣れたデートの場所に行くと、彼女が、開口一番、見たい映画があると言いました。私は、これは望ましくない展開だと思いました。映画を見た後に食事をすると、かなり遅い時刻になってしまい、それからホテルに誘ったとしても、帰宅時間が遅くなるため、断られる蓋然性が高いと思ったのです。
しかし、彼女はどうしても見たいということで、雨の中、映画館に私を連れて行きました。この先のことを考えると、どきどきと心臓が脈打ち、映画の内容はほとんど頭に入ってきませんでした。外国の恋愛映画でしたが、愛欲の情景があるたびに、このような映画を私に見せるということは、彼女は私との間においてもそのような関係性を構築することを望んでいるのではないかと勘繰って浮き足立ったり、いやいやただの思い過ごしだろうと考えたりしました。
映画を観終わった後、何度か行ったことのある料理店で食事を共にしました。彼女は、映画の内容について一方的に話し続けます。時間を気にしている様子はなく、このままの流れでは、店を出た時点であとは駅に向かい解散ということになりそうでした。
私は、決行を先に延ばした方がよいかも知れないと思いました。しかし、そのようにして何かとできない理由を探しているうちに、結局実行できないで日々が過ぎていくこととなる可能性に思い至りました。それだけは何とかして避けなくてはいけません。
私は、まだ話し足りない様子の彼女をせかして、早めに店を出ました。外は一層雨が激しくなっており、私たちはそれぞれに傘を差して歩きました。
私は駅までの道のりをわざと迂回しました。彼女は不審そうな様子もせず、ついてきました。
踏切に差し掛かり、二人が立ち止まった時、私は人生最大とも言えるほどの勇気を振り絞って、しかし一方で、このようなことは大したことではなく、ごくありふれたことなのだと自らに言い聞かせながら、ホテルに行こうと彼女を誘いました。すると、思わぬ答えが返ってきました。
彼女は即座に私の誘いを拒絶したのです。
まるで、私からそのような誘いをかけられることをとうから予想していて、あらかじめ返事も用意していたかのようでした。
私もその日は、自分でもわかるくらい落ち着きがなく、そわそわしていましたので、行動を見透かされたのは当然だったかも知れません。
「結婚するまでは駄目」と彼女は言うのです。
彼女が誘いに応じるかどうかは未確定だったにもかかわらず、私はひどく裏切られたように感じ、甚大な絶望感からどん底に突き落とされたように思いました。私はここのところ、彼女の豊満な肢体をほしいままにすることを妄想し続けていました。その望みはいきなり絶たれました。目の前が真っ暗になったといっても過言ではありません。同時に、なにやらふつふつと怒りが湧いてきました。
「どうしてなんだ」私は彼女の腕をつかんで問い詰めました。
周囲には、喧嘩している男女のように見えたかも知れません。それでも気になりませんでした。
「結婚を前提に付き合っていれば、交渉を持つのは当然のことじゃないか」と私は言いました。
「世間では、そういう価値観が主流かも知れない」と彼女は言いました。「でも、私の考えとは違う」
押し問答しても仕方のないこととはいえ、私は理不尽にも逆上してしまい、人目もはばからず声を上げ、両手で彼女の体を強く揺さぶりました。傘が落ち、びしょ濡れになりましたが、お構いなしでした。
彼女は泣き始めました。
「理解し合えないのなら、別れるしかない」と私に通告しました。
彼女の涙を見た瞬間、私ははっと我に返りました。自分がとんでもなくひどいことをしたという気分になりました。急に彼女のことがかわいそうに思えてきました。
私は彼女から少し距離を置き、茫然と立ち尽くしました。
冷たい雨が激しく降っていました。通行人が怪訝そうに我々を眺めては通り過ぎました。彼女は私の傘を拾い、私の手に握らせました。
「早く結婚しましょう」と彼女は言いました。
列車の通過を知らせる踏切の警報がけたたましく鳴り響きました。私は思わず彼女を両腕で抱き締めました。そのような大胆な行動は、これまでのデートの中で、一度たりとも取ったことはありません。感情がいつになく高揚していたのでしょう。
傘が再び風に吹かれて地面に落ち、二人は雨に濡れそぼって立っていました。強く彼女を抱くと、その豊かな胸の膨らみを感じました。柔らかな弾力を感じ、著しく反応しました。私は下半身を着衣ごしに彼女に押し付けました。彼女はそれを拒みはしませんでした。
圧迫された下半身が穏やかな快感をもたらし、次第に欲望が昂揚しました。勢い余って、私がキスを迫ると、彼女は顔を横にずらしてそれを拒否しました。
電車ががたごとと大きな音を立てて通り過ぎました。
人混みの中で雨に打たれて抱擁し合う二人は、通行人からはさぞかし好奇の眼差しで見られていたことでしょう。
十分ほどそうしていたでしょうか。私はようやくおずおずと体を離しました。彼女が地面に落ちた二人の傘を拾い上げ、内側にたまった水を払い落としました。
「早く結婚しましょう」
寂しげな表情で私を見、平静な様子で、彼女は再び言いました。
我々は婚姻を急ぐこととなりました。話はとんとん拍子に進みました。
一点だけ、挙式にあたって問題となったことがありました。彼女―もう、妻と呼びますが―の実家は、浄土真宗の檀家でした。そこで、可能であれば、あまり世間的に多くないことではありますが、仏前式での挙式を望んだのです。我が家にとっては、望ましくない運命のいたずらでした。
前にも述べました通り、父の生家は、代々続く浄土真宗の寺院でしたが、父は仏教を棄ててキリスト教を選び、実家と縁を切っていました。浄土真宗の様式で行われた祖父の葬式にも、父は参列をしていません。仏前式での結婚式が執り行われた場合、私の家族は誰一人参列できません。
これについては、両家が歩み寄り、人前式、無宗教の方式で行うということで一件落着しました。
6月のある晴れた日曜日、お見合いを取り仕切った上司の媒酌で、我々は都内のホテルで結婚式を挙げました。私はこの時29歳でした。
私は兄弟が多いので、その家族を含めすべてが出席するとなりますと、当家の関係者のみで相応の人数を占めることとなり、両家において均衡が保たれないこととなります。しかし、大半の兄弟が東京から離れた場所に住んでおり、何とか収まりがつきました。
私の両親は、当時父親が72歳、母親が69歳でしたが、揃って上京しました。長兄は、父親の後を継いで教会を主宰しており、様々な行事で忙しく、出席は叶いませんでした。弟は、たまたまこの時期退院して自宅療養をしており、東京に行ったこともないので是非出席したいとの意向を表明していましたが、長旅となることが重荷となったのか、土壇場になって精神状態が悪化し、結局出られなくなりました。
私の嫌いなすぐ上の姉は、いまだに唯一独身でしたが、頼んでもいないのに、押し掛けるように出席をしました。私の顔を見るなり、「驚いたね。あんたが結婚するなんて。一生結婚できないと思ってたよ」と、自分の身を顧みず憎まれ口を叩くのでした。
式は滞りなく終了しました。私たち夫婦は、式場のあるホテルに部屋を取っていました。
私は翌日から休暇を取っており、ホテルから成田空港に直行し、そのまま1週間の新婚旅行に旅立つ予定でした。両親はじめ親族も同じホテルに宿泊していました。
いったん部屋に引っ込んで休んでから、夕刻、媒酌人の慰労を兼ねて、家族が集まり、ホテルの食堂で軽い夕食を取りました。私はそれほど酒に強い方ではないのですが、披露宴で結構飲んだ上、夕食会でも葡萄酒を飲んだので、かなりの程度酩酊しました。
部屋に帰ったのは午後九時を過ぎていました。
妻と二人きりになると、私は妙に緊張しました。妻は、正式に婚姻をするまでは交渉はまかりならぬと強く拒絶していました。しかし、この瞬間、我々は既に夫婦でした。婚姻届は前日の夜役所に行き、提出していました。
我々は夫婦になり初めて二人きりの夜を迎えたのです。
私はかつて関係を強く迫ったことがあったため、本来であれば、この瞬間は待ちに待った瞬間であるべきものでした。また、妻も、当然、この日、自分が妻を求めるものと予想しているのではないかと思われました。
ただし、忙しい一日であり、我々は疲弊していました。私はかなり酔ってもいました。
ただでさえ、私は自分が不能ではないかという不安感に苛まれています。我慢に我慢を重ねて、ようやく妻を求めたところ、結局は不能に陥り、目的を果たせないとなると、自らが被る心理的な損傷も大きいし、妻の手前も極めて恥ずかしい思いをすることとなると危惧しました。
私は、今夜は何もせず、大人しく就寝した方がよいのではないかと考えました。
しかし、自分が不能になるのではないかという疑いは、明日になったから、明後日になったからといって、解消されるものではありません。そうであるならば、ここはせっかく酔ってもいるのであるから、酔いの力をも借りて、挙行した方がよいとも思われました。
もし先延ばしをしてしまうと、優柔不断な自分のことですから、今度はいつそれを実施するのか、判断に迷うこととなり、下手をすると、いつまでも交渉のないまま無為に月日が流れてしまうことになりかねません。それだけは避けなくてはいけません。
私は、妻に先にシャワーを浴びるように言いました。
この言葉はまるで行為への誘いの決定打であるかのように感じ、私はそれを言う時に声が震えていました。
妻は、自分は化粧を落とすから、先にシャワーを浴びるように私に言いました。
私は言われた通りにバスルームに入りました。自らの体が悪臭を放ち妻に嫌われてしまわないように、念入りに石鹸で身体を洗いました。心臓は早鐘のように高鳴っていました。まるで今まさに高利貸しのお婆さんの殺害計画を実行に移そうとしているラスコーリニコフのような気分でした。
本当に自分はそれを挙行できるのか。明日から新婚旅行で慌ただしいことを理由に、妻がそれを拒否するのではないか。
シャワーを終えておずおずと戻ると、妻はシャワー前にすべきことを終えたのか、ベッドの上に座り、テレビを見ていました。明日から旅行なので、現地の天候が気になったのでしょう。明日は晴れるみたい、と妻が言いました。
私は軽くうなずきました。妻はそのまましばらく座っており、動く気配がありませんでした。まるで私との初夜をできるだけ先延ばしにしようと試みているかのようでした。
その数分後に、あの恐ろしい事態が自分にふりかかって来ることなど、想像だにできませんでした。