婚約破棄された令嬢は成り上がり商人に買われる
商人ヒーローは糸目であってほしいな、という性癖に忠実に書きました。同志のみなさまにゆるく楽しんでいただけると嬉しいです。
「リリス・ローゼット、貴様との婚約を破棄する!」
婚姻発表の会場に高らかに響き渡ったのは王太子クリスト・ガーデンの声だ。
集まっていた高位貴族たちは驚きのあまり声を発することもできない。
王太子クリストの隣には男爵令嬢ミリアン・ペアンツが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
(……まさか、高位貴族が集まるこの場で婚約破棄するなんて)
婚姻を前にリリスの王太子妃教育はほぼ終わっている。王太子の心をつなぎ止められなかった以外の非はないとしても、彼女は王家の秘密を知りすぎた。
美しい白銀の髪とアイスブルーの瞳は神話の女神に例えられ、王国の花と謳われた彼女の運命は終わりを迎えるのだろう。
――誰もがそう思ったとき、堂々たる声が会場に響き渡った。
「それでは侯爵家令嬢リリス様のお値段、聖金貨1000枚でいかがでしょうか」
声の主は東の国で使われるという算盤を弾きながらそう言った。
「せ、聖金貨、1000枚……?」
リリスは呆然と呟いた。周囲の貴族も驚きを隠せないようだ。
それはそうだろう、聖金貨1000枚といえば大貴族ですら一生遊んで暮らせる額だ。
それでも彼なら払えるだろう。
アルファス・ユーグランド、この国一番の大商人と言われる彼ならば。
「と、いうことで彼女は私の妻としてもらい受けます。よろしいですか? 国王陛下」
会場の貴族たちは国王の登場に一斉に深い礼をした。
しかし彼はどんな瞳の色かすらわからない糸目のまま、うさん臭い笑みを浮かべているだけで国王を前にして礼をすることもない。
――アルファス・ユーグランドは平民だ。
近衛騎士があまりに不敬な彼の態度に剣を抜こうとしたが国王はそれを制した。
(国王陛下の顔色が悪い……まさか、海路の封鎖でも匂わされた? それとも小麦を売らないとでも脅された?)
「もちろん、これだけの額を払い国に尽くしたのだ。私としても誠意を持って対応したい……だが、答えは本人からもらうべきだろう」
「なるほど、確かに俺の契約相手は彼女ですね。しかたがない、彼女が俺を選ぼうと選ぶまいと、国庫へ聖金貨1000枚は払うとしましょう」
糸目がほんの少しだけ開いた気がした。
(私が選んだという建前があれば彼の持つお金や商品に国王が屈したということにはならない……)
背筋を伸ばしたリリスは、近づいてきたアルファスと向き合った。
まるで糸目の隙間から値踏みされているようで、リリスの背中を嫌な汗が伝う。
「質問してもよろしいですか?」
「ええ、情報提供はタダではしない主義ですが、あなたのご質問であればもちろん喜んで答えましょう」
「王太子殿下に婚約破棄された私を妻に迎えるのに聖金貨1000枚は高すぎる。大商人ともあろうお方がそう思われないのですか?」
「……」
アルファスはその質問には答えず、さらに歩み寄るとリリスの耳元に唇を寄せた。
「結婚とはなんだと思いますか?」
「え?」
(何を意図しているのかしら……質問の答えにはなっていないし、愛情について聞きたいとも思えないし)
急な質問にリリスは首をひねり、しばらく考えてから口を開いた。
「結婚とは己の持つすべてが無条件に半分相手のものとなる、この世で一番尊くそれでいて恐ろしい契約ですわ」
「商人アルファス・ユーグランドを想定しての回答であればそれが正しいでしょうね……。それでは私が妻に迎え、財産の半分を与えようという女性に聖金貨1000枚程度の価値すらないとお考えですか?」
「それは……」
海路と陸路、主食となる小麦に魔道具の動力源として欠かせない魔鉱石、それらの全てをアルファス・ユーグランドが握っていると言っても過言ではない。
そんな彼の持つ物の半分が妻の物だというのなら……確かに聖金貨1000枚なんて安いのかもしれない。
(彼が私に何を求めているのかは、さっぱりわからないけれど)
けれどこの場でアルファスの手を取らなければ、王家の秘密を知りすぎたリリスに待つのは人知れず闇に葬られる運命だけだ。
「――わかりました。不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
「契約成立ですね。それでは国王陛下、即金でお支払いします」
アルファスがそう告げると、重そうな宝箱を持った使用人が現れた。
(まさか聖金貨1000枚を即金で用意するなんて)
聖金貨は貨幣としての価値だけでなく歴史的な価値も高いため、1000枚揃えるのは困難なはずだ。
驚き見上げたリリスにアルファスは笑みを向けた。
その笑顔はやはり相手に本心を見せない商人のものに見えるのだった。
* * *
リリスは会場をあとにして、アルファス・ユーグランドが所有する馬車に乗り込んだ。
その馬車は装飾こそ華美ではなかったが、王太子が所有する物より性能が高い最新鋭のものだ。
(当然といえば当然よね。揺れが少ない馬車を作り出したのは、ユーグランド商会ですもの)
ユーグランド商会の功績はそれだけに留まらない。最新鋭の大型船も、冷害に強い作物も、珍しい異国の食材も……むしろユーグランド商会が関わっていない品物を探す方が難しいほどだ。
二人並んで座ったまでは良かったが、馬車の中は静まり返ってリリスは居心地の悪さを感じた。
(それにしてもなぜアルファス様は私を買ったのかしら)
「……聞きたいことがあるなら質問したほうが良いですよ」
「アルファス様……」
少し開いた目に輝くのは、まるで最高級のエメラルドのような美しい瞳だ。
癖のある淡い茶色の髪の毛もとても素敵に見える。
リリスの胸はなぜか締め付けられるように苦しくなる。
(だって、私は幼い頃から彼を知っているのだから……)
彼は覚えていないだろうが、幼い頃アルファスとリリスは出会ったことがある。
「あの」
「ああ残念、邪魔が入ったようです」
「……彼らの狙いは私でしょう」
「いいえ。平民に恥をかかされたと思い、俺のことを狙っているのでしょう。本当に愚かなことです」
アルファスの口元がニヤリと歪んだ。
リリスはその美しいエメラルドの瞳がギラギラ光ったように見えて、ゴクリと喉を鳴らす。
「観客が少ないのは残念ですが、ここで最新鋭の機能をお披露目しましょうか」
アルファスは慣れた様子で向かいの座席のシートを跳ね上げ、そこに隠されていたボタンをためらいもなく押した。
途端に後方から爆音が聞こえ、馬車が大きく揺れた。
「今のは……!」
「大陸中の富を一手に集めていれば、恨まれたり妬まれたりすることも多いものです。あなたには最高の護衛をつけ、最新の魔道具を渡します。しかし決して気を抜かないように」
「……は、はい」
馬車を追いかけていた者たちがどうなったのか、リリスは聞くことができずにドレスのスカートを握りしめた。
そんなリリスの様子を気に留めるでもなく「着きました」とアルファスが感情のこもってない声を出す。
アルファスは馬車から降りるとリリスに手を差し伸べた。
「え、あの……」
「何を警戒しているのですか? さすがに妻をエスコートするのに対価を請求などしませんよ。さあ、手を取っていただけませんか?」
「はい」
馬車を降りれば、王都のどこにこんなにも大きな土地が存在したのかと驚くほどの敷地が広がっていた。色とりどりの薔薇がかぐわしく香り、別世界に来たようだ。
「王城よりも広いかも……」
「はは、さすがにそこまでは」
手を引かれてリリスは歩き出した。
チラリと見上げたアルファスはやっぱり糸目でうさんくさい笑みを浮かべ何を考えているのかわからない。
(私に何の価値を見いだして妻に迎えたのか、聞きそびれてしまったわ……)
全てを金で換算するとさえ言われているアルファス・ユーグランド。
リリスはこれからの生活を予想すらできないまま、彼に手を引かれて巨大な屋敷へと向かうのだった。
* * *
――リリスとアルファスが出会ったのは今から15年前。場所はリリスが王太子妃教育の一環として訪れた孤児院だった。
『あら、孤児は53人いるのではなくて?』
並んだ子どもたちは赤子から間もなく孤児院を出る15歳まで。
まだ7歳だったリリスと同じくらいの少年少女もいた。
『孤児の人数まで把握されているとは……さすがローゼット侯爵令嬢』
『あと一人はどうしたの、具合でも悪いのかしら?』
『いいえ……どうかお許しを……最後の一人はとても変わり者でして』
恐縮してしまった院長にリリスは7歳とは思えない優雅な笑みを浮かべた。
『罰しようというわけではないの、気になっただけ……。ところでその子はどこにいるの?』
『学習室に……』
『案内してくれる?』
それはリリスにしては珍しい子どもらしい純粋な興味だった。
お付きの者たちは眉をひそめたがリリスは気にせずに学習室に足を向けた。
そこは学習室とは名ばかりで、粗末な机に石板が数枚置かれているだけの部屋だった。
そこで年のころ13か14歳くらいだろうか、一人の少年が一心不乱に数字を書き殴っていた。
『ローマスの経済学に出てくる計算式?』
その言葉に少年は顔を上げた。
糸目で感情が読めない少年だった。
(ものすごく好みの顔だわ……!?)
しかしリリスは彼の糸目に釘付けになった。少しだけ開いたその目に輝くのはエメラルドのような緑の瞳だ。
『その年でローマスの経済学がわかるのですか』
そう口にした少年は青ざめた院長に頭を小突かれた。
『この方はやんごとなきお方だ! 無礼にもほどがある! どうか、命ばかりは……』
少年の頭を押さえつけて下げさせ自らも平伏してきた院長にリリスは微笑みかけた。
そして少年に近づく。
『ここには本なんてないようだけれど、どこでローマスの経済学を?』
『年に1度、建国記念日に王立図書館は一般公開されます。去年の建国記念日に一度だけ読みました』
『まあ……たった一度で』
王太子クリストはリリスより2つ年が上だがまだ初級経済学の教科書すら終えていない。リリスは素直に感銘した。
『素晴らしいわ。あなた、王立図書館にいつでも入れる許可証が欲しくない?』
『っ……もちろん、もちろん欲しいです!』
リリスは幼げな顔に大人びた笑みを浮かべた。
『許可証を差し上げるわ。代わりにお願いがあるの』
『対価として見合うことなら』
『ええ……もちろんよ』
リリスが少年に頼んだのは、孤児院の子どもたちに文字を教えることだった。
その後リリスが直接その孤児院を訪れることはなかったが、調べてみればその孤児院を卒業した子は誰も彼も文字を書くことができるばかりでなく、とても優秀だった。
おそらくあの糸目の少年が教えたのだ、とリリスは信じて疑わなかった。
* * *
あのときの少年が大商人アルファス・ユーグランドだと知ったのは偶然だ。
けれど王太子妃教育を受けていたリリスと大陸の富を手中にしたアルファスがいつか出会うのは必然だっただろう。
(それに匿名での孤児院への多額の寄付。誰なのか不明だったけれど、私はアルファス様なのではないかと思っていたのよね……)
それは事実だったことが後に判明する。
そして屋敷に着いた直後から、リリスは大陸中の宝に囲まれることになる。
もちろん貢いでいるのは夫となったアルファスだ。
「あの……こんなにたくさんドレスやアクセサリーが必要かしら?」
「君はもっと自分の価値にふさわしい物を身につけるべきです。そもそもあの王太子の息がかかった侍女たちはセンスが悪かったですから」
「そ、そうかしら……?」
「この宝石などまるで君のために生まれたようです」
王太子の婚約者にふさわしい装いを、と派手なドレスばかり着ていたリリスは、今や清廉な印象のドレスやアクセサリーばかり身につけている。
「なんて美しい……」
「えっ、あっ、確かにこの宝石は美しいですよね!?」
「君のことです」
「ふぇっ!?」
アルファスからリリスに貢がれる品、その一つ一つは誰かがその値段を聞いたらしばし呆然と時を止めてしまうほどの価値を持つ。
「一生かけても君より価値があるものなど、見つけられないでしょうね……」
その言葉は微かで今日もリリスの耳には届かない。
――拝金主義の商人は初恋の人である妻にだけは見返りを求めずに貢ぐ。
その心に隠された溺愛にリリスが気がつくまで、不器用な夫婦のジレジレはまだしばらく続くに違いない。
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