三年生の夏休み
ルートラ公爵家。
誰もが羨む美しい大庭園に、誰もが気を取られる立派な城。
城の入り口に一匹の白き竜が舞い降りた。
飛竜……テモックの背に乗っていた少年、ペートルスは地に足をつけて伸びをした。
だが彼が気を休める暇もなく、向かってくる使用人の姿が。
「ペートルス様、おかえりなさいませ。ご帰宅早々に申し訳ないのですが……ご主人様がお呼びです」
「お爺様が? わかった、ありがとう」
申し訳なさそうに頭を下げる使用人を労わり、ペートルスは笑いかけた。
テモックを厩舎に預け、できるだけ早足でルートラ公爵が住む離宮に向かう。
「まったく……奴にも困ったものだ。どうせまた禁書の催促だろうな」
愚痴をこぼす。
この夏休みの間、ほとんどを政務で動き回っていた。
帰宅した直後くらいはゆっくりと休みたいものだが……そうもいかないらしい。
ペートルスは急いでルートラ公爵の部屋を訪れる。
厳重な警備と結界に囲まれた公爵の部屋に入ると、ソファに身を沈める祖父の姿が目に映った。
「遅くなり申し訳ございません、お爺様」
「座れ」
言われるがままペートルスは向かいに座る。
「政務は順調か」
「はっ。エンガメラック男爵も懐柔し、公爵派につけることに成功しました。これで宗教派の勢力への牽制にもなることでしょう」
「良い。着実に進めていけ」
政務に関してはあいさつのようなものだ。
公爵もペートルスが政務において仕損じる心配はしていない。
本命は他にあるのだろう……とペートルスは内心で祖父に問いかけた。
彼の想定通り、公爵は話題を切り替える。
「して……いまだに禁書は得られぬのか」
「そちらに関しまして、ひとつ朗報がございます」
「ほう、朗報か」
ルートラ公爵の目的は『禁書』の入手。
ニルフック学園に厳重に保管された、閲読を禁じられた書物だ。
学園長が管理しており、今までは入手の目途が立たなかったが……。
「春先に学園長を巻き込んだ『大きな事件』が起こります。その機に乗じて禁書庫にも入り込めるはず。もうしばしのご辛抱を」
「大きな事件か。何を考えているかは知らんが、手段は問わない。速やかに入手せよ」
「承知しました。必ずや禁書を入手してみせましょう」
ペートルスは恭しく礼をして公爵の部屋を後にした。
笑顔のポーカーフェイスを崩し、彼は瞳に鋭い輝きを宿す。
暗闇を裂く輝きに宿る――野望。
「――『凶鳥』」
「……ここにいるぜ」
「残り半年だ。イニゴの麾下に軍備拡充の伝達を。エンガメラック男爵にも頼む」
「りょーかい」
◇◇◇◇
テュディス公爵家。
皇帝派の一大勢力であり、長らく帝国に名を轟かせる名家である。
テュディス公爵ベニグノはいつも通りのにこやかな笑みで、夕食に舌鼓を打っていた。
「うーん、美味い! 美味いな、ヴェルナーもそう思うだろう!?」
「……食事の時くらい静かにしろ」
「はっはっは! いいじゃないか、またお前が学園に戻ればまた寂しい食卓に戻るんだ。エリヒオは一緒に食事なんてしてくれないしなぁ……」
ヴェルナーは煩わしそうに眉間にしわを寄せた。
自分の養父であるテュディス公爵は人柄が良いが、とかく喧しいきらいがある。
寡黙なヴェルナーとは正反対だ。
「たまには学園生活の話でも聞かせてくれないか? ほら……お前が長をしている、なんだっけ……」
「剣術サロンだ」
「そう、剣術サロン! 聞けば強者ばかりが集うサロンというではないか! 息子が立派に活動していて私は鼻が高いぞ」
「…………」
あまり学園でのことは話したくない。
というか、ヴェルナーとしては義父と関わりを持つこと自体避けたいのだが。
「俺の名誉など気にしても仕方あるまい。俺のことを気にかけている暇があれば、後継ぎのエリヒオをどうにかしたらどうだ。あいつの悪評は洒落にならんぞ」
「エリヒオなぁ……どうして喧嘩ばかりしてしまうんだか。甘く育てすぎたのか……さすがに問題がppありすぎて、後継は任せられないぞ」
実子エリヒオの悪評は公爵の耳にまで届いている。
しきりに学園で問題を起こし、苦情が来るのだ。
そろそろ公爵位の後継ぎを……と考えているテュディス公爵だが、エリヒオにはまだ任せられそうにない。
「私は別にヴェルナーに継がせてもいいんだけどなぁ。どう?」
「断る」
「どうしてそんなに爵位の継承に後ろ向きなんだい!? 養子ではあるが、能力は充分すぎるくらい高いだろうにね」
「血筋や能力の話をしているのではない。俺には他にやるべきことがあるだけだ」
ヴェルナーには目標がある。
その夢を追うために、公爵家という後ろ盾は必要ながらも爵位を継ぐ気はなかった。
返答にテュディス公爵は納得できないようだ。
ヴェルナーが義父の立場だったら、決してエリヒオなどを後継には据えたくない。
公爵の気持ちは痛いほどわかる。
だが、その同情と恩を裏切ってでも。
彼には果たさねばならない本懐があった。
「俺が何をしようが気にするな。何があったとしても……養子だから関係ないと、そう切り捨てる準備をしておけ。義父上はエリヒオの育成に注力することだな」
相変わらず冷たいヴェルナーの反応。
鋭い剣のような態度に、公爵は複雑な笑みを浮かべた。