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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第6章 差別主義者の欺瞞
92/216

マインラート・――――

権力は使い方が肝要だ。

毒にも薬にもなり得る。

俺は権力の上手い使い方を知悉していた。


貴族社会の武器は"言葉"。

金とコネが物を言う世界だが、それだけじゃ足りない。

長きにわたって付き合う価値があると……相手にそう思わせれば、交渉は勝利に終わる。


『将来性を見据えれば、父よりも俺の方が価値がある』――と相手を説き伏せればいいワケだ。

だが、俺はその常識が通用しない奴を最初に引き入れた。

真っ先に交渉へ向かったのは……ひとつ歳上の、幼なじみの別荘だった。


「……面白い提案だ」


彼……ルートラ公爵令息、ペートルス・ウィガナックは口の端を持ち上げて笑った。

相変わらず腹の内が読めない人だが、コイツなら協力してくれる。

俺の胸中には確信があった。


「うん、いいよ。君は将来的に国がどうとか語っていたが……そんなことはどうでもいい。その姿勢が気に入った」


なぜならコイツは酔狂だからだ。

最近は鳴りを潜めているが、精神には怪物が棲んでいる。

自分から死地に向かい、その度に危機を乗り越えて強くなる怪物。


俺も大概だが、ペートルス様は俺以上の傑物で。

仲間に引き込めれば俺の計画は成功したも同然だった。


「やけにあっさり引き受けてくれますね、ペートルス様。後でとんでもない要求とかしてこないよな?」


「もちろん。他人の弱味を握るなんて優雅じゃない。それに……君の姿勢には近しいものを感じたからね」


「……なんかさ、ペートルス様。変わりましたね」


「変わった?」


記憶に残るペートルス様を想起する。


「昔はもっとさ、ガキらしかったと思うんです。俺と一緒にやんちゃして、たまに俺ですらドン引きするような……魔物の群れに突っ込んで暴れたりして。今はそんな振る舞いはなくなって、とにかく優雅さと体裁を気にしてる感じだ」


「それが成長というものだよ、マインラート。大願を果たすためには仮面を被る必要がある。……君と同じようにね?」


そう言ってペートルス様は悪戯に笑った。

口元を歪めて笑う彼からは、少しだけ昔の面影を感じられた。


 ◇◇◇◇


あの日以来、俺は定期的に救貧院へ通っている。

他の救貧院や孤児院、修道院にも行って……とにかくグラン帝国の民を理解しようと努力した。

数字と噂で見るだけじゃない、自分の目で確かめなくちゃならない。


「お、おはよう……マインラート、様」


「おはようございます、マルビナ嬢」


相変わらず顔色が悪いマルビナ。

彼女はまた監房の中で編み物をしていた。

平民が着る服はこうして作られているのだ。


「今日もつらそうです。疲労を回復する薬を持ってきたので……」


こっそりとマルビナに薬を手渡した。

他の人に見られたら、平等じゃないと不満が募るだろう。


「あ、ありがと……」


おずおずとマルビナは薬を受け取った。

焼け石に水だが、ないよりはマシだろう。


「あ、まーたマインラート卿が来てるよ」


そのとき声が響いた。

山吹色の髪をふたつに束ねた、俺と同年代の少女だ。


「こんにちは、アリアドナ嬢」


「うぃ、こんにちは」


「アリアドナちゃん……!」


マルビナの声色が明るくなった。

彼女……アリアドナは救貧院の中でも数少ない同年代の友人らしい。


アリアドナは元は貴族の血筋だ。

庶子で貴族の親の援助を受けていたが、親が他界して救貧院に引き取られたという。

俺がマルビナに話しても伝わらないことを、わかりやすく咀嚼して伝える役割も果たしてくれている。

貴族と平民の常識があまりにも違い、伝わらないことも多いのだ。


「手、見せてごらん」


「うん」


アリアドナはマルビナのか細い手を取った。

彼女の指先は荒れている。


「ご、ごめんね……また針で刺しちゃって」


「いいよいいよ。ほら」


アリアドナが治癒の魔法をかけ、手の傷を治していく。

貴族の血筋には魔力の質が高い者が多い。

アリアドナも例に漏れず、簡単な傷なら容易に治せてしまう才覚があった。

俺は治療に関しては門外漢だが……魔力を含む物質を結合させる特質がある。


傷を治す傍ら、アリアドナはマルビナに優しい声色で語りかける。


「あんさ、マルビナは欲しいものとかない?」


「え、欲しいもの……? なんで?」


「マインラート卿に買ってもらおうよ。いつもこの人の話し相手になってるんだから、それくらいお願いしてもいいって」


「え、え……? だ、だめだよ!」


俺は苦笑いした。

マルビナの謙虚さと、アリアドナの悪戯心を比べたら。


「構いませんよ」


「ほら、マインラート卿もこう言ってるし。この人、国のすっごい人の息子なんだから」


「でも……」


やっぱりマルビナはいい子だ。

俺と同い年とは思えないくらい真っ白で、穢れがなくて。

ひたむきに生きている。


「マルビナ嬢のご趣味は? 好きなものとか、遊びとか」


強引に聞き出そう。

普段から社交界で舌戦を繰り広げている俺が、平民を意のままに誘導するのは容易なことだった。


「好きなもの……う、歌とか……? お母さんとよく一緒に歌ってたよ」


マルビナは両親を喪い救貧院に入った。

その両親は歌劇を見ることが趣味で、よくマルビナも一緒に行っていたという。

歌……歌か、何を贈ればいいだろう。


「なるほど、すてきなご趣味ですね。アリアドナ嬢は?」


「ウチ? うーん……あ、ちょっと来てよ」


「わかりました。ではマルビナ嬢、また」


「うん、またね」


アリアドナが目配せしたので、俺は後に続いた。

二人で話したいことがあるのだろう。

人気のない中庭へ移動し、俺はアリアドナと向かい合った。


「悪いね、乞食みたいな真似して」


「いえ、構いませんよ。アリアドナ嬢は何が欲しいのですか?」


「あ、ウチはいらね。マルビナにだけプレゼントしたってよ。あの子が少しでも元気になればいいからさ」


虚しそうに笑うアリアドナ。

彼女は知っていた。

マルビナが病に侵されていることを。


俺も院長も知っているのに、マルビナ本人は知らない。

金がなくて治療が受けられないという。

俺が金をやれば解決しそうな問題だが、そう簡単にはいかないのだ。


彼女に金を与えれば、他の病に侵されている入院者に不満を持たれる。

そして大規模な金の融資もできない。

この救貧院は公爵派の名家が管理している。

大規模な融資は買収、および敵対行為と捉えかねられない。


俺がもう少し勢力を広げて、正式にこの救貧院を買収できればいい。

それまでの辛抱だ。

少しでも彼女を元気にしたい……そんなアリアドナの切なる願いが、俺にも伝わってきて。


「マルビナの歌声さ、すごく綺麗なんだよ。いつかアンタにも聞かせてやりたいね」


「ええ、楽しみにしています。彼女へのプレゼントは……何がいいでしょうか。歌劇の入場券、楽器、詩集などなど考えていますが……」


「ははっ、変なとこで真剣だね。マインラート卿があげたいと思ったものをあげればいいよ。何あげてもマルビナなら喜ぶでしょ」


「……それもそうですね」


ああ、そうだ。

彼女はきっと喜んでくれる。

この救貧院に暮らす人たちは、過酷な環境の中でも互いを助け合って生きている。


穢れない彼らの姿に感銘を受けている俺がいた。

彼らを救いたいという院長の願いにも共感できて……だからこそ、親父の言葉は肯定しかねるもので。


「アリアドナ嬢。もう少しで……きっとこの救貧院を買い取れます。そしたら、今よりもずっといい暮らしができますから……もうしばらく辛抱を」


「……優しいね、マインラート卿は。でもさ、いちいち貧民を救おうなんて考えてちゃキリがないよ」


「今はまだ、手の届く範囲だけを救います。でも……私が宰相を継いだ暁には。きっと全てを救います」


アリアドナはなんとも言えぬ表情で笑った。

それは諦観か、同情か。

きっと――彼女の方が現実を見据えていたのだろう。



 ◇◇◇◇


結局、俺はマルビナを救えなかった。

俺が救貧院を買収したころには、とうに病気で死んでいて。

贈り物をすることも、彼女の歌声を聞くことも。

何もできなかった。


貴族連中は、親父は……あの手この手で俺を妨害してきた。

もう少し早ければ……助かったかもしれないのに。


「……汚ねぇな」


汚ねぇよ。

貴族連中は穢れてやがる。

高貴なんかじゃない、高尚なんかじゃない。


欺瞞と虚偽に塗れた俺たちなんかより……平民の方がよほど綺麗だ。

彼らは真っ白で、毎日を一生懸命に生きて、前を向いている。

どれだけ貴族からの理不尽を科せられようと、したたかに明日を見ている。



貴族と平民は違う生き物だ。

俺たちのような穢れた存在が、純潔なる民を侵してはならない。


「ごめんな」


謝ったって、もう何も戻らないのに。

戻らないから。

これから何も失わないために。



俺は純白に触れず。赤き血を尊び。

やがては己を縛る家名すらも捨てて。

必ず――この国を民に明け渡してやる。



貴族は俺が滅ぼす。

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