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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第6章 差別主義者の欺瞞
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流水は腐らず、止水は腐りゆく

子どもと遊んでノーラはくたびれていた。

小さい子の活力はすごい。

昔は自分もあれくらい元気だったのだが、今では根性なしである。


鬼ごっこをして疲れたのか、少年は自分の部屋に戻って眠りについた。

マインラートはまだ魔法人形の修理をしているらしい。


「マインラート様まだかなー。早くしろよなーおっせぇなー」


愚痴りながら救貧院の庭を歩く。

マインラートは自分が作る人形に対しては情熱を籠める節があるので、修理にも時間がかかっているのかもしれない。


救貧院の中庭は綺麗に落ち葉が掃かれていた。

季節は夏、照りつける陽ざしが暑い。

ノーラは屋内に戻ろうと踵を返したが……日陰で座り込む老人が目に映った。


ほつれたビーバーハットを被り、長い白髭を蓄えた老人。

彼は鋭い目つきで足元の桶を睨み、懸命に靴を磨いていた。

よほど集中しているのか、まったくノーラのことを気にかける様子がない。


老人のそばには何足もの靴が置かれている。

サイズはバラバラで、救貧院で暮らす人たちの靴を磨いてあげているのだろう。


「あのー……わたしもお手伝いしましょうか?」


返答はない。

靴を磨く音だけが中庭に響く。

相手はご老人だし、聞こえていないのだろうか。

無理に話しかけても仕方ないし、そのまま横を通り過ぎようとしたとき。


「……マインラート卿の連れか」


唐突に老人が言葉を発した。


「え、あ、はい。そうです」


「…………座れ」


老人はすぐ隣にあるベンチに目をやった。

言われるがままノーラはベンチに腰を下ろす。

皺深い手を止めることなく、ひたすら磨きをかける老人。


「アリアドナは……来ていないのか?」


「え、アリアドナ様ですか? 来ていませんが……救貧院と関わりのある方なのですか?」


アリアドナは子爵家の娘だ。

救貧院と関係はなさそうに思える。

だが、返ってきたのは予想外の答えで。


「あの子はこの救貧院の出だ。類稀な魔術の才を見出され、子爵家の養子に入った」


「そうだったんですね……アリアドナ様にはお世話になっております。すごく優しい方ですよ」


「……そうか」


そういえば、アリアドナはやけに平民の文化に詳しかった。

治安の悪い場所に行くのも抵抗がなさそうで……得心がいった。

マインラートと共にこの救貧院に帰省することもあるのかもしれない。

今回マインラートがアリアドナではなく、ノーラを誘ったのはなぜなのだろうか。


「マインラート様は、よくこの救貧院に来られるのですか?」


「ここだけではない。マインラート卿は貧しき民を救うため、各地の施設に足を運んでおられる。あのお方が初めてここに来られたのは……七年ほど前だったか」


「そんなに昔から?」


年齢で言えば、マインラートが十歳くらいのころだ。

ノーラがさっき遊んだ少年と同じくらい。

そんなに小さなころから貧しい民を気にかけていたのだろうか。

普段の彼からは、平民を気にかけている様子などまったく感じられない。


「意外、です……」


「何がだ」


「普段わたしが接しているマインラート様は、平民と貴族を厳しく区別するんです。『平民とは口も利きたくない』とか、『平民と貴族は別の生き物だ』とか。とても厳格に階級社会を意識して行動しているような感じで。こうして民のために働いているのが意外だなぁ……と」


「…………」


老人は沈黙していた。

もしかして言わない方が良かっただろうか。

マインラートのイメージを損ねてしまったかもしれない。


口を滑らせてしまったか……とノーラが青ざめた瞬間。

老人はようやく靴を磨く手を止めた。


「『流水は腐らず、止水は腐りゆく』」


「……へ?」


「マインラート卿が昔、院長と儂にだけ説いた言葉だ。常に流動するものは腐敗することなく、停滞するものは腐敗する。流水と止水が何を意味するか、よくよく考えればマインラート卿の思惑も見えてこよう」


ノーラは知識の引き出しを開けた。

今しがた老人が言った格言は、たしか異国の偉人が遺したものだったと記憶している。

元来は戦争の最中に反乱軍が挙兵した際、用いられた格言だったはずだが。


いまグラン帝国は他国と戦争などしていないし。

どちらかと言えば、三大派閥間で内紛が起こりそうな雰囲気である。


「移り変わるものと、変わらないもの……うーん。ポップな歌とクラシカルな歌とか? 流行りのお菓子と伝統のお菓子とか?」


「ふむ。それもまたひとつの答えだろう。あのお方の真意から遠くはない答えか」


「あ、意外と合ってるんですね」


適当に言ったつもりが、意外と的を射た返しのようだ。

だが核心を知りたい。

遠くはない答え……ということは、すなわち大正解の答えもあるわけで。


ノーラのうずきを察したのだろう。

老人は重苦しく口を開いた。


「――血だ」


「ち」


ぽかんとノーラは口を開けた。

血が移り変わるとは……どういうことだろうか?

考えを巡らせていると、思考の整理がつかないうちに老人が衝撃的な二の句を継いだ。


「マインラート卿は、この国を潰すつもりだ」

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