救貧院
ガタリと馬車が止まる衝撃でノーラは顔を上げた。
マインラートは腰をさすりながら立ち上がる。
「着いたぜ。ったく……この馬車は乗り心地が悪くて困るな」
愚痴を言いながら降りるマインラートに続く。
馬車を降りた瞬間、乾いた風がノーラの頬を撫でた。
眼前に見えるは煤けた赤レンガで造られた教会。
夕陽に照らされて壁面が赫々と輝いている。
ここがマインラートの話していた救貧院だ。
門の前で箒を掃いていた人が、向かってくるマインラートとノーラに気づいて顔を上げる。
「おや……マインラート様じゃないですか!」
「よ、久しぶり。人形が壊れたって聞いて修理しにきたんだ。院長に顔合わせを頼めるかい?」
「はい、お入りください!」
促され、二人は救貧院の中へ入る。
入り口から続く聖堂には、色彩鮮やかなステンドグラスが見えた。
ノーラにはよくわからないが、数々の宗教的なモチーフはシュログリ教のものだろう。
救貧院は元々シュログリ教の教義に従い、社会から追われた人々を救済するために作られた。
世界最古の福祉施設の歴史を誇るのが、ここグラン帝国だ。
静かな院内を進み、最奥にある一室に到着する。
部屋の中には長椅子に座る壮年の男性がいた。
書類に目を落としていた彼は、客人を見て目元を綻ばせた。
「来たぜ、院長」
「おお……マインラート様。お待ちしておりました。……おや、そちらの方は」
「あ、どうも、マインラート様の付き添いで来たノーラと申します」
「これはご丁寧に。私はここの院長をしております、レナトと申します。マインラート様にはいつもお世話になっております」
レナトと名乗った男性は深く頭を下げた。
首から垂れ下がったロザリオが目を惹く。
「ピルット嬢。俺は院長と少し話をしてから、魔法人形の修理に取りかかる。俺が呼ぶまで適当に……そこら辺で過ごしててくれ」
「適当にって……はぁ、わかりました。失礼します」
救貧院に来る機会なんて滅多にない。
今のうちに色々と見て回っておくのも悪くないだろう。
静かに扉を閉じ、ノーラは来た道を逆戻りした。
入り口に接する聖堂へ。
ステンドグラスから夕陽が射し込み、眩しさに目を細める。
「……ん」
ふと人の気配を感じ取り、ノーラは視線を聖堂の隅へやった。
最初は気がつかなかったが、祭壇のようなものに熱心に祈りを捧げている少年が見えた。
まだ歳は十もいかないくらいだろうか。
彼は瞳を閉じ、ノーラの存在にも気づかないほど集中しているようだった。
話しかけるのも気が引ける。
少年の様子を眺めながら、ノーラは柱に背を預けた。
そういえば……と記憶の隅にひっかかるものがあった。
小さいころ、自分の母親が少年のように祈りを捧げていたような。
別にイアリズ伯爵家はシュログリ教の家系ではないのだが、もしかして母は信徒だったのだろうか。
……などと考えていると、やがて少年が立ち上がった。
「……お姉さん、だれ?」
振り向いて少年は尋ねる。
当然の反応だ。
少年を怖がらせないように細心の注意を払い、ノーラは視線を合わせて答えた。
「わたしはノーラ。マインラート様の付き添いで来たんだ」
「マインラートお兄ちゃんの……? お兄ちゃん、ここに来てるの!?」
「うん。でも、今は院長さんとお話ししてるからね」
「お兄ちゃんに会うの、楽しみだなぁ……!」
ノーラに見せていた警戒心の混じった表情が、マインラートの名を聞いた瞬間に解けていく。
少年は心から嬉しそうに笑う。
マインラートはよほど信を置かれているらしい。
少年は祭壇のそばに置かれている人形を指さした。
「あの魔法人形がね、動かなくなっちゃったんだ。そのせいでアーチの埃が掃除できなくなっちゃった」
「魔法人形……そういえば、アレは誰が動かしてるの?」
「院長さんだよ。魔法とかよくわからないけど、院長さんだけあの人形を動かせるんだ。なんでもできて、すっごいんだよ!」
興奮した様子で少年は語る。
魔法人形を動かすことができるのは、緻密に魔力を操作することができる者に限られる。
幼少から魔法の類に触れる貴族には魔力操作に長けた者も多いが、この救貧院で動かせるのは院長くらいだろう。
ノーラは試しに人形に魔力を送ってみる。
だが関節の部分が軋み、うまく動かすことができない。
「わっ! お姉ちゃんも人形を動かせるんだ?」
「そうだよ。この人形は……そっか、もう付け根の部分が動かないんだ」
マインラートの施した魔力結合が歪んでいる。
おそらく高所から落下し、結合部に衝撃が加わったのだろう。
まじまじと人形を眺めていると、少年がノーラの服の裾を引いた。
「ね、お姉ちゃん。これも動かせる?」
少年は手のひらサイズの人形を差し出した。
ステッキを持ったビスクドールだ。
持ってみた感じ、この人形にも魔力の結合が施されている。
「これも魔法人形なんだ? 動かしてみようか」
「うん、お願い!」
人形を床において魔力を流し込む。
すると、人形は小さな手足を懸命に動かしてその場で踊り始めた。
ステッキをくるりと回し、まるで曲芸のような動きを見せる。
こんなに綺麗に動く人形は初めて見た。
まさしく一種の芸術品だ。
動きを取り戻した魔法人形を見て、少年は瞳に輝きを宿す。
「すごい、ほんとに動かせるんだ! 院長さんがね、たまにこれを動かして遊んでくれるんだけど……最近はあんまり動かしてくれなかったんだ」
「そうなんだ……院長さんも忙しいんだろうね。この人形はマインラート様が?」
「うん、お兄ちゃんが作ってくれたんだ。僕の誕生日プレゼントだって!」
……意外だ。
彼は実用的な魔法人形だけを作るものだと。
こうして遊戯を目的とする人形を作ったのは、ただの気まぐれだろうか。
「もっと動かしてみようか」
「院長さんと遊んでいるときはね、この人形と鬼ごっこしたんだ」
「お、鬼ごっこか……そこまで上手に動かせるかな。まあいいや、やってみよう」
「うん!」