サンロックの賢者
猛烈なノック音でノーラは目を覚ました。
騒々しい目覚めだ。
「誰だよ……」
現在、彼女はマインラートが手配してくれた宿に寝泊まりしている。
帝都の一角に位置する皇城から近い宿。
今日は休みで昼すぎまで寝ているつもりだったのに……。
『おーい、ピルット嬢? さっさと開けてくれやー』
何度も何度も自室の扉を叩く音。
音の主はマインラートだ。
いったい休日にどういう用件か。
ノーラは寝ぐせも直さず、乱雑に扉を開け放った。
「うるせぇな。朝からなんすか」
「よ、おはようさん。朝って……もう昼近いけどな。ハッ……てか、なんだよその髪」
「マインラート様は寝ぐせというものをご存知でない? まさか全ての乙女の髪が乱れず、美しく流れるものだと思っていらっしゃる?」
「そりゃあ……俺の前で寝ぐせを直してこない令嬢なんていないからな。……ああ失敬、ピルット嬢は令嬢じゃないもんな。寝ぐせとか気にせず人前に出るよな。悪い悪い」
何を言うにも人の神経を逆なでする野郎だ。
怒りに任せて扉を閉めそうになったが、ノーラは必死に己を鎮めた。
「で、用件は? 今日は休みだったと思いますが」
「夏休み中の課題、忘れてないだろうな。多少は自分の力についての研究も進めないとな。つーわけで、帝立研究所に行くぞ。さっさと準備しろ」
……そういえば。
ペートルスから帝立研究所に行ってみろと言われていたのだ。
すっかり失念していた。
マインラートに急かされ、ノーラは急いで身支度を整えた。
◇◇◇◇
普段ノーラが仕事をしている城の北東部とは別のエリア、中枢に位置する帝立研究所にやってきた。
研究所はかなり広大で、グラン帝国がどれだけ研究に心血を注いでいるかが窺える。
よくわからない設備がたくさん置かれている部屋を歩く。
マインラートは足を止めることなく研究所を進み、とある研究室の前にたどり着いた。
「……ここは?」
「今、帝国には賓客がいらしていてね。その方ならピルット嬢の呪いについて知っているかもしれない。急にあんたを呼びに来たのも、賓客に会わせるためさ」
マインラートが扉を叩くと、中から返事があった。
扉が開かれる。
土っぽい古書の匂いと、視界を埋め尽くさんばかりに床に散乱した紙束。
研究室の中には一人の壮年の男性が座っている。
彼は椅子をくるりと回してノーラとマインラートに手招きする。
「よおよお、マインラートに……眼帯の姉ちゃん。そこに座ってくれや」
促されるまま、二人は机を挟んで男性の向かい側に座る。
茶色の髪を結った男性はノーラの顔を見て豪放に笑った。
「はーっ! 姉ちゃんがコルラードのご学友か! あいつから話は聞いてるぜ」
「……へ? コルラードさん?」
「おう。俺の名はアロルド・イオル。『サンロックの賢者』とも呼ばれているな」
聞き覚えのある二つ名だ。
そう、サンロックの賢者といえば……。
「コルラードさんの師匠! ……ですか?」
「おうさ! いつも馬鹿弟子が迷惑かけてるな。アイツに会うためにグラン帝国に来て、ちょいと滞在しているところだ。よろしくな!」
「い、いえ、ご迷惑だなんて! コルラードさんには何度も助けられていて、どれほどお礼を申し上げても足りないくらいです! わたしはノーラ・ピルットと申します。お会いできて光栄です」
賢者とかいうから、もっと怜悧な人かと思っていたが。
意外と快活で気の良さそうな人だ。
ペコペコとノーラが頭を下げていると、マインラートが急かすように言った。
「賢者殿は皇帝陛下の病を治すため、時間を割いてくださっている。ピルット嬢、話は手短に頼むよ」
「まあ、そう気にすんなって。どうせ陛下の病を治す目処は立ってねえしな」
現在、グラン帝国の皇帝ベルントは病床に伏せっている。
そのせいで第一皇子派や第二皇子派が対立したり、国内の三大勢力が緊迫した雰囲気になったりしている……と聞く。
噂では皇子を即位させたい連中が陛下に毒を盛ったとか、まことしやかに囁かれているが……そこら辺の政情には立ち入らない方がいい。
「で……青髪の姉ちゃんの『呪い』だっけか? 話を詳しく聞かせてくれよ」
ノーラは己の症状を包み隠さず話した。
これほど有名な賢者ならば、自分の目について何か知っているかもしれない。
少しでも多くの手がかりを得るために、情報の出し惜しみはしない。
話を聞き終えたアロルドは悩まし気にうなった。
「おー……んー……とりあえず、その右目とやらを見せてくれんか?」
「わ、わかりました……あの。一応出力は最低にしておきますが、それでも恐怖心を煽る可能性がありますので」
「了解。どんとこいや!」
ノーラが眼帯を外そうとすると、マインラートが何気なく二人の間に入った。
彼はノーラが右目を見せたとき、ヴェルナーが彼女に斬りかかったのを見ている。
同様の事態を懸念して間に入ったのだろう。
もちろんマインラートはノーラの目を見ないように壁の方を向いていた。
気後れしながらも眼帯を外す。
もちろん呪いは限界まで弱めて。
右目にてアロルドを射抜く。
瞬間、彼の表情が少し強張るのを感じた。
「なるほどね……こりゃあ。それで一番弱めてるのか。中々凶悪な目だ」
彼は理性を失う様子はなく、やや呼気を荒くしながらも冷静にこちらを見ている。
しばしノーラの右目を見続けた後、アロルドは鷹揚にうなずいた。
「……よし、もう大丈夫だ。眼帯をつけていいぞ」
言われるがまま眼帯をつける。
室内に満ちていた緊迫感は、アロルドがどかりと椅子に座る音と共に霧散した。
で、見た感じどうなんですか。
……とノーラは期待を籠めてアロルドの言葉を待った。
「うーん……すまん! わからんっ!」