傀儡
流水は腐らず、止水は腐りゆく。
肥沃なるグラン帝国に流れる水……それは二つに分かたれる。
純潔なる赤き水と、汚濁なる青き水。
人は誰しも無垢だった。
生まれたときから悪か善か、そんなのは水掛け論で。
とかく何にも染められず。
俺だってガキのころは真人間だったさ。
そのうち人は気づかぬ内に染まっている。
欺瞞と虚偽と狡猾に。
美しいあの娘も、かわいらしいあの娘も、みんな汚れてる。
もちろん俺だって。
連中に青き血が流れる限りは救われない。
「ハハッ……もうすぐだ」
今、グラン帝国は大きな岐路に立っている。
未来と血を分かつ分水嶺だ。
ここでミスったら、きっと彼らは報われない。
――俺がグラン帝国をぶっ壊す。
◇◇◇◇
クラスNの教室を、無数の小さな人形が駆け回っている。
小さなものは子どもが遊ぶためのベベドール。
大きなものは等身大のファッションドールまで。
ぎこちなく動く様は、どことなく不気味さを感じさせる。
夏休み前、最後のクラスNの講義にて。
今日はマインラートの発表だった。
自動で動き回る人形が淹れた茶を優雅に飲みながら、マインラートは語る。
「入学してから一年と半年が経った。……けどまあ、俺の能力に関しちゃ研究もクソもない。ただ魔力物質を結合させるのが上手いってだけだし」
やる気がない。
とにかくマインラートは自分の力を知ろうという気がなかった。
ノーラのように自分の力で損害を被っているわけでもないし、当たり前の反応なのかもしれない。
周囲で動き回っているのはマインラートが作った『魔法人形』。
様々な魔力を含む物質を結合させ、自動的に動くように調整しているのだ。
この精密な魔法人形を作れるのは、帝国内でもマインラートだけ……とまで言われているとか。
まるで気力を感じさせない彼に、フリッツが抗議の声を上げる。
「それではこうして集まっている意味がありません。優秀な皆さまの知見を集め、未知なる能力を明らかにすること。それがクラスNの目的……違いますか、マインラート?」
「ふーん。じゃあさ、俺の力はどうすれば解明できるのか教えてくれよ。天才のフリッツ様?」
「そ、それは……」
フリッツは言いよどんだ。
ニルフック学園に入学したばかりのころは、マインラートもそこそこ真剣に研究に取り組んでいたのだ。
しかし思ったように研究が進まず、手詰まりな状態にあった。
二人の会話を聞いていたエルメンヒルデは小首を傾げる。
「じゃあ、なんでマインラート先輩はクラスNに入ったんです? 研究する気がないなら抜けてもいいんじゃないですか?」
「そりゃ女の子にモテるためだろ」
「「うわぁ……」」
一年生たちが幻滅の声を上げる。
その一方で二年生以上の面子は慣れているのか、マインラートの馬鹿げた言葉にも苦笑いするだけだった。
「しかし、なんでかな。こうやって魔法人形を操作してると、エルメンヒルデちゃんに魔力の糸が引きつけられるんだよ。運命で惹かれ合ってるってことかな?」
「んー……エルンが巫女だから、魔力を引き寄せやすいとかじゃないですか? 少なくとも運命で惹かれ合ってることは絶対ないですねぇ」
「残念だ。いっそエルメンヒルデちゃんが人形だったら簡単に操れるのにな?」
「はははっ。そんなわけないじゃないですかーきも」
講義が茶会に変わりつつある中、ペートルスがなんとか議題を前へと進める。
「ええと……それじゃあ、マインラート。夏休み中に何をする予定か教えてくれるかな? ……あ、プライベートなことじゃなくて研究のことね」
「んー……そっすねー。俺の扱う『錬象術』が学問として確立されてる国が、東の大陸にあるらしいんだけどなぁ。さすがに向こうの大陸に行って一か月で戻ってくるのは無理だな。せめてその国の文献とか、取り寄せられたら進歩があるかもしれないですね」
「なるほど。ルートラ公爵領は東の大陸と接している。僕も君の力に関係している本があるかどうか、東からの商人に聞いてみるよ」
「助かります。錬象術に関しちゃドマイナーな学問分野なんで、文献は簡単に見つからないと思いますけどね。ペー様ならそれでも見つけてくれるんじゃないかって淡い期待があります」
マインラートは軽くペートルスに頭を下げた。
夏休み中の研究……ノーラもどうすべきか考えなければならない。
世界各地の目に関する伝承を漁っているが、どうにも腑に落ちないものばかりで。
滞っている現状は否めない。
「さて、時間だ。これでクラスNの講義は終わりだね。次回は夏休み後。夏休み明けは顔合わせも兼ねつつ、軽く休暇中の話でもしようか。それぞれの過ごし方があるだろうけど、羽目を外しすぎないように。それと、けがもしないようにね」
ペートルスの警告に面々はうなずいた。
今のところ、ノーラに夏休み中の予定はない。
ルートラ公爵家で過ごすことになるだろう。
父にも会いたいし、実家に顔を出せたら嬉しいが……妹に会うのは嫌だ。
さっさと夏の予定を決めてしまわないと。
さてどうしようかと、講義後にノーラがぼんやりしていると……マインラートが軽々しく声をかけてきた。
「よお、ピルット嬢。ちょっといいかい?」
「なんすか。平民には話しかけないんじゃないんすか」
「まあそう冷たくすんなって。あんたにとっても悪い話じゃないからさ」
カタカタとそばの人形が動き、ノーラの機嫌を取るように菓子を運んでくる。
こんな食い物に絆されるわたしじゃない……と思いながら、ノーラは菓子を手に取った。
「怪しい話はお断りです」
「怪しくないさ。何せ皇城勤めの仕事を紹介するんだからな」
「……皇城? 帝都のど真ん中にあるお城ですよね」
「そう。実は魔法人形を操作する人手が足りなくてさ。ピルット嬢、魔石の操作とか得意だろ? それなら魔法人形を動かすのも上手いはずだ。夏休みの間、皇城で働いてみないか? 給料もめちゃくちゃいいぜ?」
チラッとペートルスの方を見る。
別に給金に興味はないが、皇城は行ったことがないので行ってみたくもある。
しかしノーラはルートラ公爵家で過ごす予定だったので、ペートルスの許可が必要ではないかと。
視線を受けたペートルスはにこやかに言った。
「興味があるなら行ってみるといい。実際、皇城の設備を操作する魔術師が不足していると聞くし。ただ……城に勤めるとなると、少し注意しておくべき点もあるからね。そこは事前に話させてほしい」
「なんでペー様の許可がいるんだよ? ピルット嬢、薄々感じてはいたけど……あんたマジでペー様の愛人とかじゃないよな?」
「ち、違いますって。ちょっと特殊な事情があるといいますか……気にしないでください」
マインラートに痛いところを突かれ、ノーラは口ごもる。
彼は意外と観察眼に長けているようで、周囲の人間をよく見ている。
「ふーん……ま、別に詮索はしないけど。平民が皇城の敷居を跨げるんだ。光栄に思ってくれよ」
「それが頼み事する奴の態度ですか? 別に断ってもいいんですけど?」
「ハッ。嫌なら断っても構わないね。その代わり、二度と城に入れるチャンスはないと思えよ」
相変わらずムカつく男だ。
やっぱり断ってしまおうか……とノーラは逡巡する。
だが、彼女はとある手がかりを求めに皇城に赴くことになるのだった。