一手
体調が回復したノーラは、ペートルスの部屋を訪れた。
今回の一件に関して話し合わなければならない。
ノーラはペートルスと向かい合う形で座る。
二人の間にはチェス盤が横たわっているが、ほとんど駒が動くことはない。
ペートルスは手を止めて一連の出来事の始末を語る。
「学園内に刺客が入り込んだことは深刻な問題だ。学園長にも報告し、警備をより厳重にするように言っておいた」
「でも相手はプロの殺し屋ですからね。警備をいくら強化してもすり抜けてきそうです……」
「油断はできない。少なくともエレオノーラが、ノーラ・ピルットとして学園に滞在していることはバレてしまったようだ」
どうして自分が命を狙われているのか。
貴族だから……なんて安易な理由ではないだろう。
『呪われ姫』の存在を疎ましく思う何者かが排除しようとしているのだ。
「そういや、わたしを襲ってきた刺客を捕らえたんですよね。ソイツから情報を聞きだしたりはできなかったんですか?」
「警戒心の強い依頼主は、刺客に自分の情報を渡さない。君を襲ってきた刺客も、雇い主の情報は知らないようだったよ」
「そうですか……なんなんですかね。わたしにどういう恨みがあって殺しにくるんですかね。ただ家に籠もっていただけなのに……」
「……だからこそ、かもしれないね」
――トン。
ペートルスはチェスの駒をひとつ進めた。
彼の言葉の意味が解せず、ノーラは顔を上げる。
「どういうことですか?」
「君は社交界に顔が知れておらず、貴族間でのつながりも薄い。だからこそ気安く暗殺の対象にできる。その右目に隠された力を……邪魔に思う存在がいるのだろう」
「そんなに邪魔になりますか、わたしの力。眼帯してれば他人に害はないはずですけど」
「そうじゃない。君の力が存在しているだけで、脅かされる人間がいるんだよ」
ペートルスの言葉には半ば確信が籠っていた。
彼にはノーラの見えていない何かが見えている。
自分が存在しているだけで疎ましく思われるなら、もうどうしようもない。
命を狙ってくる輩の根本を断つしかないだろう。
ノーラは腑に落ちない感情を抱えて、目先の駒を動かした。
ペートルスの守りは堅い。
ノーラがひとり遊びで磨いたチェスの技巧も、彼の手腕には歯が立たないようだ。
「とにかく……今後の対応については、夏休み中に考えよう。大丈夫、君は絶対に僕が守ってみせる」
「ニルフック学園には、まだいられますか? 退学する可能性とか……」
「……ない、とも言いきれない。他に右目について研究できる場所があるのなら、拠点をそちらに移すのもアリだろう」
「……」
たしかに本懐は呪いの研究だ。
だが、思いがけず得てしまった友人や居場所を失うことは。
ノーラとしても耐えがたいものがある。
どう答えようか迷いながら手を動かしていると、チェスの決着はついていた。
ペートルスの勝ちだ。
「……途方に暮れてしまいましたね。わたしはまぁ、そんなに命を狙われるのなら最悪死んでもいいとすら思っているんですけど」
「死んでもいい、か。それは僕が悲しくなるからダメだよ」
「ペートルス様に悲しみという感情があったんですね」
「僕をなんだと思っているのかな? 僕にとって、君はかけがえのない人なんだ。もう少し自分を大切にしてほしい」
わからない。
ペートルスの言葉が世辞なのか本音なのか。
この言葉、彼なら誰にでも言ってそうだし。
「その理由って、わたしの右目を見たらドキドキするからですか?」
「ふふっ……いや? 純粋にね、君と一緒にいると安らぐんだ。今こうしている時もそう。ノーラは僕を見ていないから」
「???」
がっつり前を向いてペートルスを見ているが。
たぶんそういう意味ではないのだろう。
「今日はこのへんで。この度はわたしを助けてくださってありがとうございました」
「僕は大したことをしていない。バレンシア嬢やイニゴ……そしてミスター・ランドルフの活躍があってこその救命だった。彼らには感謝しないとね」
「はい、後日改めてお礼をしに行きます。ランドルフにはもう言ったけど。それでは失礼しますね」
今回の一件を受け、ペートルスもランドルフを犯人候補から外した。
そしてランドルフに扮装してきた以上、エレオノーラと彼が婚約関係にあったことを知っている者が主犯という情報も得た。
今後の捜査に役立つだろう。
ノーラが退室しようと席を立つと、ペートルスの声がかかる。
「君を一人にするのはやっぱり心配だな。僕の部屋に泊まっていかない?」
「はっ、相変わらず馬鹿げたことをおっしゃいますね。そんなことしたら刺客だけじゃなくて、学園の女子生徒もわたしを殺しにきますよ?」
「そうか、それは残念。部屋まで送るよ」
せめて学園の日々は平和でありたいものだが。
はたしてノーラは無事に今後を過ごせるだろうか。