ウザいだけの奴ら
目を覚ますと白い天井があった。
全身が重い、頭に鈍痛が走っている。
ノーラは顔をしかめて身を起こした。
「いってぇな……どこだここ」
周囲を見渡すと、清潔感のある白い仕切りが見えた。
自分のベッドを囲むパーテーションを払う。
どうやら医務室のようだ。
刺客に殺されかけたが、なんとか一命を取り留めたらしい。
意識が混濁していてはっきりしないが、バレンシアと本物のランドルフに助けられたことだけは覚えている。
医務室に人の気配はない。
時計を確認すれば時刻は深夜。
普通は医務室が閉まっている時間で……半日近く眠っていたらしい。
とりあえず誰でもいいから起床を報告すべきだろう。
そう思い立ち、ノーラは医務室の出口に向かった。
しかし彼女が扉を開く前に、ひとりでに開いた。
「ん……? なんだ、起きたのか」
「ひゃぁあああっ!?」
飛び退く。
扉を開けて入ってきたのは……刺客と同じ姿をした人間。
病衣を着たランドルフだ。
ノーラの反応が予想通りだったのだろうか。
ランドルフは呆れた顔で言い放った。
「喧しい、病室だぞ。俺は刺客ではなく本物のランドルフだ」
「あ、そ、そそ、そう。別にテメエなんかにビビッてねーし」
「お前は毒を受け、コルラードという生徒に解毒されたんだ。俺もだがな。医師はしばらく病室で安静にするようにと言っていたぞ」
「コルラードさんが……あとでお礼言っておかないと」
お礼を……と考えたところで、ノーラはハッと顔を上げる。
自分を助けてくれたのはコルラードだけではない。
非常に癪だが、目の前の男にも頭を下げないといけないではないか。
非常に癪だが。
「あ、あの……ランドルフ。わたしを助けてくれて……ありがとう」
「……お前を助けたわけではない。学園を脅かす不届き者を、騎士として誅してやろうと思っただけだ」
「だとしても助けてくれたのは事実だし。わたしを殺しに来たんじゃないか……とか疑って悪かったよ。お前が本当にわたしを殺しにきたのなら……あそこで助ける意味もないもんね」
「実際、今回もお前を狙う刺客が現れたのだ。過敏になるのも無理はないだろう」
元婚約者の疑いは晴れた。
ヘルミーネもランドルフも違う。
だとすれば……一体誰が?
すでにノーラの命を狙う者に居場所はバレている。
これ以上学園に滞在することも、もしかしたら厳しくなるかもしれない。
でも……そう考えると、なんだか寂しくて。
ノーラは瞳を伏した。
この学園では半年で色々なことがあった。
今まで屋敷から出たことのないノーラには刺激的すぎたのだ。
友人もたくさんできて、その絆を失うと考えると……。
「……病み上がりだ。菓子と果実水を持ってきたから大人しくしていろ」
そんなノーラの様子を見て、ランドルフは手に持っていたバスケットを机の上に置く。
籠には見慣れた色合いのバタークッキーが入っている。
ノーラはベッドに腰を下ろし、弱々しく笑った。
「まだわたしの好物とか覚えてたんだ」
「ヘルミーネが使用人に厳命していたからな。お前の好物を離れに持っていかないようにと」
「うわぁ……」
「まあ、そんな経緯がなくとも元婚約者の好みくらい覚えているが」
感謝していいのか複座な気持ち。
ノーラはベッドにこぼさないように気をつけながら、バタークッキーを食んだ。
「刺客ってどうなったの?」
「ルートラ公爵令息が始末をつけてくれたらしい。俺に扮装していた刺客は捕縛され、ソシモ先生に扮装していた刺客は死亡。それから先の報告は受けていない」
「ふーん。またペートルス様に助けられちったか」
「……やけに落ち着いているな。自分の命が狙われたというのに。あと一歩で死んでいたところだぞ?」
「そのときはそのとき。甘んじて死を受け入れるしかないでしょ。どうせ生きてたって楽しいこともあんまりないし」
ノーラの半生を貫く諦観。
実家から飛び出して、広い社会を知ってもその感情は変わらない。
右目の呪いを背負ったその瞬間から、ある種の悟りのようなものがあったのだ。
ランドルフの瞳にはノーラの態度が不自然に映った。
ノーラが呪いを発症してから、彼女に関わることはほとんどなかったから。
きっと昔の彼女なら怖くて泣いていたはずだ。
「……悪かったな。お前が離れに監禁されている間、色々と迷惑をかけて。食事を捨てたことだけじゃない。仕送りを妨害したり、庭の花を枯らしたり……お前を人とは思わず、非道な仕打ちをした」
「は? この前は謝らなかったじゃん」
「短い間に考えが変わることもある。俺は……俺とヘルミーネは、お前の人生観を歪めてしまったんだな。たとえ呪いがあっても、俺たちが何もしなければお前はもっと前向きに生きれたかもしれない」
いまさらな話だ。
もうノーラはさんざん苦しんできた。
「そう。わたしは別に怒ってない。そもそも興味がない」
数日前、ランドルフに告げられた言葉をノーラは模倣した。
ランドルフは自分に興味がないらしいので。
「ヘルミーネとお前がしたこと、確かにウザいと思うこともあったけど……ただそれだけ。わたしが歪んだのは呪いのせいであって、お前たちのせいじゃない。わたしを歪められるほどの影響力があると思うなよ、図に乗るな」
どうせ何があっても外からは出られなかったのだ。
やさぐれたのも、いじけたのも……全部呪いのせい。
そう考えてしまった方が楽だ。
本当のところはわからない。
もしかしたらノーラはヘルミーネとランドルフのせいで歪んだのかもしれない。
だが人に恨みを抱いたところで、あらぬ禍根を招くだけだから。
呪いにすべての責任を押しつけてしまった方がいい。
「……成長したんだな、エレオノーラ」
「お前はぜんっぜん成長してなさそうだけどね」
「そんなことはない。騎士として人を守るための力を手に入れた。それに……難しい文学だって読めるようになったからな」
ランドルフは得意気に笑った。