緋色の貴公子
荒れに荒れた教室。
机はボロボロに斬り刻まれ、壁や天井は衝撃でへこんでいる。
ランドルフは強烈な目まいに耐え、崩れ落ちるように座った。
眼前には手足を縛られて倒れ伏す刺客。
激しい戦いの末、ランドルフは辛勝を収めた。
「まったく……この俺が刺客ごときに苦戦するとは。不意打ちしか能のない輩に、騎士として後れを取るなど……笑止千万」
彼は舌打ちしながら立ち上がろうとした。
しかし体に力が入らず、床の血に足を滑らせる。
全身を支配する虚脱感。
「毒か。毒が回りきる前に刺客を無力化できたのは幸いだが……」
深く息を吐く。
体の全身に魔力を巡らせ、毒の遅効を促すが……焼け石に水だろう。
この体ではまともに動けず、救援を呼べる見込みもない。
「……ここまでだな」
結論を下すのは早かった。
白く染まっていく視界、痺れて動かなくなる手足。
ランドルフは己の命終をすぐに悟った。
いまだ齢十六。
若くして死ぬにも程があるし、こんなところで死にたくはない。
「…………」
しかし死に方としては名誉な類だろう。
刺客に狙われていた令嬢を守り、騎士として立派な最期を迎えられるのだから。
落馬だの高血圧だので死ぬ無様な貴族よりはマシと言える。
自嘲しつつも己の功績を賞賛したランドルフは、再びゆっくりと瞼を持ち上げた。
そして近くに転がっていた騎士剣をなんとか引き寄せる。
重くて持ち上げることはできないが、せめて最後まで己のそばに。
「ヘルミーネ……すまない……」
惜しむらくは婚約者に顔を合わせられなかったこと。
最後に一度でいいから、愛しき人の顔を見たかった。
彼女を愛してやれる男なんて、自分しかいないだろうに。
ヘルミーネを遺して逝くのは不安だった。
だが生を望んでも、もはや命は尽きかけていて。
「…………」
ランドルフはゆっくりと瞳を閉じた。
これで終わりだ。
「――おい、大丈夫か!?」
不意に声がした。
ほとんどランドルフの意識は落ちかけていたが、聴覚だけはかろうじて生きている。
自分の体を何者かが抱える気配を感じ取る。
ランドルフは意識を落とした。
◇◇◇◇
ニルフック学園の外れに、立派な花園がある。
美しい景観と香りのよい花々。
高い生垣は他人の目を忍ぶにも役立ち、生徒同士の逢引にもよく利用される場所だ。
咲き誇る薔薇を眺めながら、一人の男が花園を歩いていた。
クラスBの担任教師、ソシモ――を騙る何者かが。
「おや、魔力反応が消えた。まさか一人の令嬢も始末できないとは……新人を過大評価していたようですね」
ランドルフに扮装していた刺客が無力化されたようだ。
せっかく標的を無人の教室まで誘導してやったというのに。
後進を育てる目的で新人の殺し屋を使ったが、仕損じたらしい。
「仕方ありませんねぇ。部下の尻ぬぐいをするのも上司の役目。ここは私が出ましょうか」
やれやれと嘆息し、ソシモ擬きはその場を離れようとした。
しかし咄嗟に足を止める。
こちらを値踏みするように眺める貴公子が見えたからだ。
ソシモ擬きは彼に近づくと、気だるげな調子で声をかけた。
「おーい、ペートルス・ウィガナック。ちょっといいかー?」
「ソシモ先生、ごきげんよう。何かご用でしょうか?」
「ノーラを探してんだ。夏休み前に教室の観葉植物を運ぶことになってて……ノーラがそれを手伝ってくれるんだけどな。あいつ、どこにもいやがらねー。さては逃げたか?」
「はは……では、代わりに僕がお手伝いしましょうか? すぐに終わるでしょうし」
「いやぁ……さすがにうちのクラスの仕事だしなー。三年生のお前にやらせるのは気が引けるわ。ま、あいつの場所がわかったなら教えてくれ」
片手を挙げてソシモ擬きはその場を去ろうとする。
偽装は完璧だ。
彼は一流の刺客として対象の情報を完璧に掴み、常日頃の態度も学習していた。
声色も合わせ、バレようがない……はずだったが。
「――どうしてもノーラを探したいようだね。部下が仕損じたから焦っているのかな?」
瞬間、ソシモ擬きが動いた。
目にも止まらぬ速さで懐から短刀を取り出し、ペートルスに投擲。
常人であれば防ぎようのない神業だった。
しかしペートルスはいとも容易く短刀を叩き落とした。
指先すら触れることなく、発生した衝撃波が刃先を打ち砕く。
「呪われ姫の飼い主……彼女を渡しなさい。命が惜しければね」
「誰の差し金かな? 皇帝派か、宗教派か……それとも公爵派かな?」
「……ふっ!」
言葉を交わす暇はない。
本性を現した刺客は、すかさずペートルスを屠るべく足を運んだ。
身を屈め、彼の懐に潜り込もうとした矢先。
謎の衝撃が刺客の身を吹き飛ばした。
耳をつんざく痛苦。
得体のしれない衝撃に刺客は宙を舞いながら顔をしかめた。
(これは……圧力波!)
魔術を使った素振りは見えなかった。
ペートルスの周囲に魔力はない。
そして指先ひとつ動かしていない。
何をしたのか。
刺客が瞬時に思考している隙に、ペートルスは動いていた。
その場から姿が消えている。
「どこに……!?」
背後から衝撃。
鋭い痛みが刺客の背を駆け抜ける。
自らの胸元から飛び出す銀色の刃先と鮮血。
「二手で決着か。及第点かな」
勢いよく胸を貫いたレイピアが引き抜かれる。
刺客は力なく地面に倒れた。
「い、いいのですか……私を、ここで殺しても。私を生かせば、雇い主の情報を……知れるかもしれませんよ?」
「いや、結構。プロの刺客は決して情報を吐かない。それは刺客を使う立場の僕が最もよく理解しているのでね。速やかに死んでいただこう」
ペートルスは躊躇なく刺客に止めを刺した。
何も身分を示すものを携行していないことを確認し、彼は嘆息する。
「……ノーラの居場所がバレたか。いまだ犯人は断定できていない。いったい誰が……?」
今回の一件と、イアリズ伯爵家での毒殺未遂を結びつけるのは安易だ。
あらゆる可能性を考慮し、対処に回らねばならない。
ノーラという存在はペートルスにとって失うことのできないものだった。
ゆえに彼女の命を狙う者は徹底的に排除する。