急襲
「――テメェ、誰だよ? ランドルフじゃねぇだろ」
ノーラの唐突な暴言に対し、ランドルフは小首を傾げた。
「はて。いきなり何を言いだすかと思えば……面白い冗談ですね。どこからどう見ても、俺はランドルフ・テュルワでしょう? ねえ、バレンシア嬢?」
「え、えぇ……そうですわね。ですが、ノーラはこんなに意味のない嘘をつくような人ではありませんの」
バレンシアはそれとなくノーラのそばに寄った。
やはりランドルフが絡むとノーラの様子がおかしくなるのだ。
彼女がおかしいのではなく、バレンシアが何かに気づけていないとしたら?
「テメェが纏ってるその魔力、わたしの幻影魔術に近い質のものだ。たとえ姿がランドルフだとしても、別人が変装してる可能性が高い」
「異なことを。そう言われても困りますよ。俺は別に魔力を垂れ流していません。ピルット嬢の「勘違い」に違いありません」
いまだにランドルフを名乗る者は認めようとしない。
彼は余裕の微笑を絶やさず、なおも眼前に立つ。
ならば言ってやろうか。
ノーラが『彼はランドルフではない』と断じた証拠を。
「『クレースの英雄譚』『青霧騎士』『永らえる黒鳶と神の定める悪について』……」
「俺が紹介してもらった三冊の本ですね。それが何か?」
「この中にランドルフが読んだことのある本がある。テメェが本当のランドルフなら、読んだことのある本の題名と内容を言ってみろ」
「…………」
瞬間、男の表情から笑みが消えた。
彼はしばし沈黙した後、喉から枯れた吐息を絞り出す。
吐息はやがて哄笑に変わり、静かな教室に響き渡った。
「ン……ンハハハハハッ! ああそ、とっくにカマはかけられてたってわけね。ほんと擬態は難しいなぁ……やってられねぇわ」
ランドルフの声ではない。
妙に粘り気があり、陽気な声。
バレンシアが咄嗟にノーラの前に出て詰問する。
「誰なの、あなた」
男がニタリと笑うと同時、姿がぼやける。
少しずつ剥落していった表層は溶けて消え、やがて黒いマスクをした小柄な男が姿を現した。
殺気が満ちる。
「――お前の命、もらい受ける」
標的はノーラだ。
視線はバレンシアではなく、確実にノーラへと向けられている。
これはまずい。
刺客を前にしてノーラたちでは為す術がない。
教室の扉に手をかけたが開かず。
「どうして……!?」
「逃げ場はないぜ。悪いがここまでだ」
男が駆ける。
ナイフを携え、こちらへまっすぐに。
鋭利な刃先が迫り、ノーラは瞳を閉じた。
刹那、甲高い音が響く。
何事か。ノーラは瞳を開けた。
「痴れ者が。身の程を弁えなさい」
バレンシアの手に収まった剣と、刺客の刃が衝突していた。
彼女の魔術によって作られた岩製の剣である。
「あん……なんだ、お前。小娘ひとりごときがよ、俺を止められるとでも?」
「あら、ずいぶんと舐められたものね。――アンギス侯爵令嬢バレンシア・サニムル」
「……げっ? アンギス侯爵家っていうと……たしかヤバい騎士団の家じゃなかったか?」
「わたくしは令嬢であり、誉れ高き騎士でもある。暗殺を試みる対象の友人くらいは調べておくものね。……あなた、新人の殺し屋でしょう?」
まさかの事態に刺客は舌を巻く。
アンギス侯爵家は『壮麗なる慟哭騎士団』を擁する一大勢力。
そして領主の娘のバレンシアもまた、それなりに剣の心得があった。
刺客にとっては大きな誤算、ノーラにとっては嬉しい誤算。
しかし、ここまで標的を追い詰めたからには退くわけにはいかない。
「ほほほっ。そんなお荷物を背負った状態で、満足に戦えるのかなぁ? 二人なかよく地獄行き、だぁ!」
◇◇◇◇
「ええと……『凶鳥』の報告だとこの辺りに……ああ、あったあった!」
イニゴはペートルスの命を受け、学園に入り込んだというネズミの後始末をつけていた。
ペートルスが抱える斥候こと『凶鳥』の報告によると、生徒が学園の倉庫に監禁されているらしい。
イニゴの目的は彼らの救出だ。
体育館の裏手に古びた倉庫がある。
イニゴはその倉庫の扉を開け放った。
「おーい、誰かいやせんかー?」
返事はない。
しかし、どこかから微かに音が聞こえた。
イニゴは音源を探り、薄暗い倉庫の中を歩き回る。
「ん、ここですかい?」
階段に備えつけられた扉。
その先から床を叩くような物音が。
イニゴは間髪入れずに扉を蹴り開けた。
地面に横たわる人間が二人。
一方は生徒の制服を着ており、もう一方は教師服を着ている。
彼らは猿轡を噛まされ、両手足を縛られていた。
「おうおう、助けに来ましたよっと。死んでなくて良かったってもんです」
二人の拘束を解く。
拘束されていた生徒……本物のランドルフは立ち上がって礼をした。
彼は憔悴しつつも気丈に振る舞う。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。礼なら俺の主、ペートルス様に」
「ルートラ公爵令息が……そうですか」
ランドルフは複雑な表情を浮かべた。
ペートルスには『人として信用できない』と罵倒されたばかりだ。
そんな彼に助けられることになるとは。
渋面するランドルフをよそに、安らかに寝息を立てる教師をイニゴが揺さぶる。
「起きねぇな……この教師さんはどちら様で?」
「一年生のクラスBの担任、ソシモ先生です。マイペースな人で……こういう状況でもぐっすり寝ておられるようですね」
イニゴは呆れた様子でソシモを担ぎ上げる。
大柄なイニゴは大人の男性も易々と担ぐことができた。
「んで、どうしてお二人は監禁されてたんですかね」
「それは……俺にもわかりません。昨夜、急に不意を突かれて気絶させられたのです。身代金目当ての襲撃……ならば先生ではなく生徒を狙うでしょうし」
「そうですなぁ。ええと……たしか凶鳥の報告によると、生徒に扮装した不審者が徘徊していると聞きましたが」
「であれば、俺に扮装しているのでしょう。そしてソシモ先生が監禁されていたのも、クラスBに何かしらの細工を……っ」
そのときランドルフの瞳が見開かれた。
自分に扮して、ソシモに扮して。
クラスBに近づきたい外部の者がいるとしたら。
それは恐らく……。
「……失礼。ソシモ先生を頼みます」
「え、ちょいと!? 行っちまった……」
イニゴの制止も聞かず、ランドルフは走り出した。