違和感
ノーラの顔色が優れない。
バレンシアは友人の異変を感じ取っていた。
先程ランドルフと会話した直後から、どこか上の空で。
「ノーラ、大丈夫? 具合が悪いのなら休んでもいいのよ」
「ううん、具合は悪くないんだ。あの……心配しなくても大丈夫。ちょっとお腹が空いてて」
もうすぐ昼時だ。
真偽はともかく、ノーラの不調が空腹によるものだと言うのなら。
「お昼にしましょうか。今日のメニューは何かしらね」
「…………」
二人は食堂へ向かう。
三階建ての立派な食堂は、今日も学園の生徒たちで賑わっていた。
人ごみの中、ノーラはフラフラとバレンシアに続く。
香ばしい匂いが漂っている。
空腹を刺激する香りに、ノーラは本当にお腹が空いてきた。
実のところ別の理由で考え事をしていたのだが、食事を前にそんなことはどうでもよくなってしまう。
「おーい、お前らー」
呼び声に二人は立ち止まる。
人の波をかき分けて、教師服を着た男性が駆け寄ってくる。
「あら、ソシモ先生。ごきげんよう」
ノーラたちが所属するクラスBの担任、ソシモ。
彼は間延びした声で語りかけた。
「バレンシア、ノーラ。お前らに頼みがあるんだけど」
「わたくしは構いませんが……」
「あ、わたしも大丈夫です」
バレンシアはクラスBの学級委員。
よくソシモに頼まれてクラスを取り仕切っている。
そしてバレンシアと仲のいいノーラも手伝いをすることが多々あった。
「夏休み前にな、クラスの観葉植物を菜園に移すことになってるんだ。飯が終わったらでいい。手伝ってもらえるか? そんなに量も多くないし、すぐ終わる」
「わかりましたわ。昼食後、教室に向かいますね」
「おう、頼んだ。それじゃー」
片手を挙げてソシモは去っていく。
彼の歩き方はいつも気だるげだ。
ゆっくりと遠ざかる背中を見つめてノーラは呟いた。
「観葉植物って、ロッカーの上に置いてある小さいやつだよね」
「そうね。大きいのがひとつ、小さいのが三つくらい。先生が言っていたとおり、すぐ終わる作業でしょう」
「ソシモ先生、たまに大変な仕事投げてくるけど。今日は簡単な作業でよかったね」
「まったくよ。学級委員を引き受けたの、少し後悔してるわ……」
◇◇◇◇
昼食後。
二人はさっそくクラスBの教室に向かう。
誰も使っていないときは施錠してあるが、バレンシアは学級委員なので鍵を持っている。
鍵を開けて二人は教室に入った。
「先生、まだ来てないね」
「まだお昼を食べているのでしょう。まあ、先生のことだから忘れている可能性も否めないけれど。少し待ってみましょう」
校舎はひっそり閑としている。
基本的に午前中で講義が終わるため、今は一年生の校舎にはほとんど人がいない。
放課後、一部の熱心な生徒は自習室や図書館に籠り、大半の生徒は街に出たり茶会を楽しんだりしている。
そんな中、ノーラとバレンシアは懸命に学園の手助けだ。
少しは褒めていただきたい。
ソシモ先生を待つ間、ノーラは置いていた本でも読もうかと自分の席に近づいた。
瞬間、教室の扉が開かれる。
先生が来たのだろうかと扉に視線を向けると……
「…………」
午前中、図書館で出会った男。
ランドルフが教室に入ってきていた。
彼は後ろ手に扉を閉めると、ノーラとバレンシアに社交的な笑みを向ける。
「二人とも、教室にいたのですか? もしかして君たちもソシモ先生から手伝いを頼まれて?」
「えぇ。もしやネドログ伯爵令息も?」
「はい。まだ先生はいらしていないようですね」
「まったく……人に仕事を押しつけておいて、遅れて来るとは。ソシモ先生には困ったものですわ」
「ははっ。俺の母校、ロドゥラグ騎士学校にも同じような先生がいるんです。いつもマイペースで、生徒に仕事を任せがちな先生が」
バレンシアとランドルフが会話する傍らで。
ノーラは想定外の人物が現れて戦慄していた。
そうだ……昼食を食べてすっかり彼のことを忘れていた。
ランドルフから適切に距離を保ちつつ、彼女は左目に魔力を通した。
魔術の類に関して素人だったノーラ。
そんな彼女も学園に入ってから先輩方やコルラードに教わって、それなりに魔力を使う動作には慣れてきた。
ランドルフの周囲に渦巻く魔力。
彼女はさらに集中して魔力を観察し――
「おや、ピルット嬢。そんなに俺のことを見てどうしました?」
「!? い、い、いいいえっ!?」
中断した。
ノーラに凝視されていたことに気がついたのか、ランドルフは笑いながらこちらに歩いてくる。
「そういえば、ピルット嬢はよくバレンシア嬢と一緒にいますね。仲がよろしいのですか?」
「いえ……あっ、はい。仲はいい、と思いますけど……バレンシアが嫌じゃなければ」
「何言ってるのよ。わたくしたちは気の知れた友人。まったく、あなたはいつもそうやって遠慮して……」
するり、するりと。
ノーラは静かに足を後退させて距離を取る。
一方でランドルフもさりげなく間合いを詰めてきていた。
そんな二人の様子を見て、バレンシアは困惑したように呟く。
「ね、ねぇノーラ。さっきからどうして後退ってるの?」
「そうですよ。俺をそこまで避けなくても」
これを言うべきか、言うまいか。
ノーラはずっと迷っていたのだ。
しかしランドルフの魔力を確認することで、ようやく確信できた。
「――テメェ、誰だよ? ランドルフじゃねぇだろ」