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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第5章 留学生
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何もなかった

現れた貴公子を前にして、ランドルフの瞳が見開かれた。


「あなたは……ルートラ公爵令息!?」


「ごきげんよう、ミスター・ランドルフ。話の途中に割り込んですまないね」


石仏のごとく固まっているノーラの前に立ち、ペートルスは優雅に一礼する。

慌ててランドルフも礼を返した。

まさか帝国内でもトップクラスの権力者が、いきなりやってくるとは思っていなかったのだろう。


「バッドマナーだが、すべて盗み聞きしていたんだ。彼女の許可は得ているよ」


「そ、そうだったのですか……誤解のないように言っておきますが、俺は断じて食事に毒を盛ったことも、人を殺めようとしたことはありません」


「そうか。君の言葉を信じたいところだが」


ペートルスはノーラの手をそっと取った。

指先に温かいものが触れて、彼女の意識は恐慌から引き戻される。


「彼女……エレオノーラは一年前、暗殺されかけた。食事に毒を盛られてね。なんとか事なきを得たが、彼女はイアリズ伯爵家の外に避難する運びとなった。そしてルートラ公爵家に避難したというわけだ」


「それは……本当、なのですか? いやしかし、ルートラ公爵令息が嘘を吐くわけがないか……」


ランドルフは声に衝撃を滲ませる。

これが演技だとすれば彼は名優に違いない。

しばしの硬直を見せたのち、言葉を紡ぐ。


「だとすれば、俺が暗殺を疑われても仕方ありませんね。冗談で毒を盛る、なんて言いましたが……まさか本当にその通りになっているとは。間の悪いことだ」


自分が言ったことは棚に上げ、起こった悲劇を嘆くランドルフ。

ペートルスはそんな彼に向き合い話を続けた。


「幸運にもエレオノーラの呪いを抑える処置が発見され、彼女は外に出ることができるようになった。そして今は名を変え、ニルフック学園に在籍している。そこに君が留学してきたというわけだ。彼女が怯えるのも無理はないね?」


「…………」


沈黙。

ランドルフは頭を抱え、これまでの出来事を想起しているようだった。

ヘルミーネが外で見たというエレオノーラの姿、とある事情により敷かれている厳粛な箝口令、イアリズ伯爵家にペートルスが訪れていた理由。

すべての点と点が線でつながり、ようやくランドルフは得心がいった。


「なるほど。俺がニルフック学園に留学に来たのは、本当に偶然でして。決してエレオノーラに危害を加えようと思ってのことではありません。……俺が暗殺を試みていないという事実を証明するのは、難しいのですが」


「だろうね。まあ、証明できないものを証明しろと言っても仕方ない。ここは君を信じる他ないのだが……」


ペートルスはランドルフをまっすぐに見つめる。

そして、少し声のトーンを落として言い放った。


「――ミスター・ランドルフ。君は人として信用できない」


忌憚のない意見だった。

偏見ではなく、ここまでの流れを見てペートルスは判断を下した。

あくまでノーラとランドルフを秤にかけて平等に。


「信用できない……まさかルートラ公爵令息ともあろうものが、安易に人を否定されるとは」


「ノーラが……エレオノーラが、君とレディ・ヘルミーネから受けていた仕打ちは聞いている。いま言っていたように食事を捨てるだけではない。罵声を浴びせ、使用人が離れに仕送りをするのも妨害し、彼女を長年苦しめ続けた。ロード・イアリズから聞いたよ、君たちに扇動されて使用人たちもエレオノーラを虐げる方向に向かっていったと」


ノーラはいつしか前を見られなくなっていた。

まともにランドルフの顔を直視できない。

ペートルスの話を聞けば聞くほど自分が惨めに感じて、情けなく思う。


「今しがた君が彼女に見せた謝罪は、まるで誠意が感じられなかった。今まで虐げてきた相手に、よくもそこまで毅然とした態度が取れるものだ。僕だったら申し訳なさで目も合わせられないね」


鋭い視線にランドルフはたじろぐ。

ペートルスが言ったことはすべて事実だ。

イアリズ伯爵という証人もいる以上、言い逃れもできないだろう。


常人ならば誠意をもって頭を下げる。

しかし、ランドルフから返ってきたのは予想だにしない答えだった。


「俺はエレオノーラを恐れていました。ヘルミーネも、お義母様も、使用人たちも。みな彼女を恐れ、怯えていたのです。であれば……致し方ないことでしょう」


「……」


「怪物は恐れられる。和を乱す者は排斥され、冷遇される。それが人間の社会というものです。もちろん呪いが抑えられている今は差別などしませんよ。こうして普通の人間として生活できて、良かったではありませんか」


他人事、自己正当化。

これがランドルフという人間の本質だ。

冷静にヒトの関係性を論じ、家格を落とすまいと振る舞う……模範的な貴族とも言える。


彼の性格が一際悪いのではない。

ノーラを今まで救ってくれた人たちが温かすぎたのだ。


「……もう結構。ミスター・ランドルフ……これからは一切ノーラに関わらず、健全な留学生としての生活を、」


「――待ってください」


ノーラがペートルスの怒りに染まった声を遮る。

このままじゃダメだ。

ペートルスに庇われて、自分はいつまでも沈黙していて。

そんな自分だから何も変えられない。


「……ランドルフ」


彼女はペートルスの横を過ぎ去り、ランドルフの正面に立った。

キッと左の眼で彼を見上げ、睨みつける。


「わたし、お前が嫌い」


「そうか。俺は別に嫌いじゃない。そもそも興味がない」


「お前が嫌いだから、『何もなかった』ことにして」


「……? 何もなかった、とは?」


「エレオノーラ・アイラリティルを忘れて。わたしという人間がいなかったことにして。わたしとお前は、今日初めて会ったの。嫌味ったらしく関わることも、露骨に避けることもやめて。最悪なことに同じクラスになっちゃったんだから、初対面の同級生として接して」


いちばん嫌なこと。

それはランドルフを見るたびに過去を思い出すことだ。

つらい記憶を呼び起こしたくない。


だから白紙に、ゼロに戻すのだ。

何もなかったことにして、普通の同級生として接することができれば……きっと過去も思い出さなくなる。


ノーラの提案を受けて、ランドルフは逡巡を見せずに答えた。


「いいだろう。初対面の平民、ノーラ・ピルット。俺はお前を害するつもりはないし、そんなことをする興味すらない。俺はお前の学生生活を邪魔しない。だから、お前も俺の邪魔をしてくれるな。……それでは、俺はこれで」


本当にこれで良かったのだろうか。

ノーラはその場を去って行くランドルフの背を見つめ、わずかに瞳を伏した。

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