冗談だ
慌ててペートルスの部屋を訪れたノーラ。
彼女はランドルフが留学してきた旨を簡潔に伝えた。
「なるほど……たしかに、偶然にしては話ができすぎているね。本当に偶然の邂逅だとすれば、君も悪運が強いな」
「これは陰謀です! 学園の関係者がわたしを殺すためにランドルフを手引きしたんです! 次は毒殺じゃなくて別の手段で殺しにきますよ、あいつは!」
「まあまあ、落ち着いて。まだミスター・ランドルフが犯人と決まったわけじゃない。ええと……朱の刻、校舎裏で待ち合わせをしたんだっけ?」
「は、はい。どうせなら真正面から受けて立ってやろうかと」
ペートルスは苦笑いした。
このノーラという少女、気が強いのか弱いのかわからない。
「そのときは僕が陰から様子を見守っているよ。ミスター・ランドルフが何か危害を加えようとすれば、僕が守るから。安心して対話に臨むといい」
対話……そう言われたが、ノーラは喧嘩する気しかなかった。
そもそも暗殺云々以前に、あのランドルフという男とは気が合わないのだ。
ノーラが呪いを発症する前は誠実な人間だった。
しかし呪いを発症してからは露骨にノーラを毛嫌いしていた。
そしていつしか妹のヘルミーネに懸想して……ウザいことこの上なし。
「ペートルス様! あの野郎をボコボコにしちゃってください!」
「どうしてそう喧嘩腰なのかな……穏当にいこうよ。でも、君が僕を頼ってくれて嬉しいかな」
「嬉しい?」
意外な言葉にノーラは面食らった。
ここに来る前も気後れしていたのだ。
ペートルスの迷惑にならないか……と。
「最近はさ、ノーラは成長して交流の幅も広がったよね。もちろん成長は喜ばしいことだ。けれど……君が真っ先に頼る相手は、いつしかヴェルナーやフリッツになっていた」
ペートルスは少し寂しそうに笑った。
彼の言葉には思い当たる節がある。
何かに行き詰まったとき、勉学や社交のアドバイスがほしいとき、ノーラが頼りにするのはヴェルナーとフリッツが主だった。
そして彼らがいないときは友人のエルメンヒルデや、バレンシアやコルラードなど。
こうしてペートルスに相談するのも久しぶりな気がする。
「ペートルス様は……いつも忙しそうで」
「立場が立場だからね。でも、本当は君に頼りにしてほしい。君が他の人を頼っているのを見ると……少し妬いてしまう」
「えっと……ペートルス様って、頼りにされたいタイプなんですか?」
「……どうだろう。不特定多数の信頼はどうでもいいかな。僕は案外、子どもなのかもしれない」
とりあえず、これからは遠慮せずペートルスに頼ってもいいということだろうか。
頼れる先輩は何人いても困らない。
ノーラは思わぬ展開に頬をほころばせた。
「じゃあさっそく! ペートルス様、今日はわたしのお守り……よろしくお願いします!」
「ああ、任された。さて……ミスター・ランドルフは黒か白か」
◇◇◇◇
夕暮れ時。
ノーラは校舎裏で佇んでいた。
指先は小刻みに震え、視線は忙しなく動き回る。
(こ、ここっ、こわくねーし……)
怖い。
啖呵を切ったものの、やはり自分を殺した疑いのある人間に近づくのは怖い。
何より純粋にランドルフが嫌いだし。
『――ノーラ、落ち着いて。すぐそばに僕が隠れている。緊張する必要はないよ』
頭上から声が降り注ぐ。
ペートルスの音を操る力だ。
改めて頼りになる人がいることを思い出し、ノーラは落ち着きを取り戻す。
やがて、ひとつの影が現れた。
校舎裏に一人でやってきたランドルフは、訝し気な視線でノーラを見つめる。
彼は緩慢な歩調でノーラに歩み寄り、ノーラが後退ったタイミングで足を止めた。
「すまん、遅くなった。来たばかりで校舎裏がどこかわからなくてな」
「そ、そう……よ、よよ、よく来たなッ!?」
声が裏返った。
自分で聞いていても間抜けな声に、ノーラは身震いする。
「なんだお前、緊張しているのか? 何か事情があるようだから無理もないか。ノーラ・ピルット……だったな。今のお前は」
「だ、誰にも正体バラしてないよね……?」
「無論だ。不義は騎士の恥。他人の密事を暴露するような真似はしないさ」
「不義が騎士の恥、ねぇ……わたしとの婚約を一方的に破棄したのは不義じゃないと」
ランドルフは押し黙った。
彼は眉間にしわを寄せて喉を鳴らす。
不穏な気配を感じ取ったノーラはその場から飛び退く。
「……! キ、キレた? 言っておくが、わたしを殺そうたって簡単にはいかないからな!」
とりあえず最低限の間合いは保たなければ。
何をされるかわからない。
「どうしてそこまで俺を警戒する? たしかに婚約を破棄した点については、俺に非がある。しかし、俺を殺人鬼かのように扱うのはやめてもらいたいんだが。他の生徒にあらぬ疑惑を持たれるだろう」
「実際に殺人の疑いを持たれてるんだから仕方ねぇだろうが」
「お、俺が殺人を……?」
ランドルフの表情に狼狽が見える。
しらを切っているのか、それとも本当に驚いているのか。
いまだ判然とせず、ノーラは警戒を解くわけにはいかなかった。
「俺は誓って人殺しなどしていない! 嘘も大概にしろ!」
「ふーん……それじゃあさ、わたしの食事に毒を入れようってヘルミーネと話してたのはどういうことだよ!?」
ノーラは聞いていたのだ。
離れのそばで、ヘルミーネとランドルフが食事に毒を入れてやろうと話していたことを。
しかし詰問を受けたランドルフは困惑している。
「毒だと? そんなことあったか……?」
「はぁ? わたしはちゃんと聞いたんだから! テメェ、わたしの食事を捨てたでしょ!」
「食事を……ああ、たしかにヘルミーネの提案で捨てたことがあったな。そういえば……そのときに冗談で毒を盛るとか言った気がする。冗談だ、冗談」
こいつ。
飄々と言い放ったランドルフに、ノーラは殺意を覚えた。
「まあ、今にして思えば食事を捨てたのはかわいそうだと思う。あのときはすまなかったな」
「っ……」
うわべだけだ。
彼の謝罪には、まるで罪悪感が籠っていない。
少しミスをしたくらいの声色で。
やっぱりこの男……嫌いだ。
ノーラはもはや何も言葉を紡げなくなった。
何を言ったとしても、自分を人として見てくれないような気がして。
「失礼。邪魔するよ」
そのとき、様子を見守っていたペートルスがやってきた。