悪運
「うちのクラスに交換留学生が来たぞー。入ってくれ」
教室に入ってきたのは一名の男子生徒だった。
明るめの茶髪をセンター分けして、生真面目な印象を与えさせる。
彼はアメジスト色の瞳で前を見据え、深々と礼をした。
留学生の姿を視認した瞬間。
ノーラはサッと自分の顔を教科書で隠した。
「――ロドゥラグ騎士学校より参りました。ネドログ伯爵令息、ランドルフ・テュルワと申します。以後お見知りおきを」
よりにもよって、よりにもよってだ。
どうして元婚約者のランドルフがノーラの学級にやってくるのだろうか。
たしかに同い年だし、騎士学校に中等科から通っているとは聞いていたけど。
まさかコイツが来るとは思わないではないか。
いくつもある学園の中から、しかも何百人もいる生徒の中から。
ピンポイントでノーラの在籍しているクラスに来やがった。
「ランドルフは秋のはじめごろまで、このクラスで共に学ぶことになる。ニルフック学園にはまだ不慣れだろうから、案内してやれよー」
「よろしくお願いいたします」
令嬢たちが黄色い声をあげる。
きっちりと好青年らしく振る舞っているが、ノーラは知っている。
アイツはとんでもないやつだと。
急に身を縮こまらせたノーラを見て、近くに座っていたバレンシアが声をかける。
「ノーラ、どうかしたの? 具合でも悪いのかしら」
「あ、ぅ……だだ、だ、だ、大丈夫……」
「そ、そう? 具合が悪くなったら無理せず言うのよ」
明らかに様子がおかしい。
バレンシアは友人が怯え、震えていることを感じ取っていた。
まるで入学初日に戻ったような。
「ランドルフの席はそこだ。今日も朝礼から始めるぞ」
◇◇◇◇
講義後。
ノーラは一刻も早く教室から退散するため、荷物を手早くまとめていた。
ランドルフの席をちらと見る。
彼は他の生徒たちに囲まれて、次々と質問を投げかけられていた。
ネドログ伯爵家といえば騎士の名家。
縁を作っておきたいと思う貴族も少なくないだろう。
これは好機。
ランドルフが絡まれている間にノーラは離脱しよう。
今後どうすべきかわからないが、とりあえずペートルスと話し合う必要がある。
(本当に運が悪い……いや、待てよ? こんな偶然ありえるのか? もしもこれが偶然ではなく、何者かの手によって仕組まれたものだとすれば……)
そのとき、ノーラの頭に電流走る。
もしかして……ランドルフは自分を殺しに来たのでは!?
ランドルフはノーラ暗殺未遂の犯人の最有力候補。
妹のヘルミーネが犯人ではないと思われるものの、彼の疑いはまったく晴れていない。
ノーラがニルフック学園にいることを知ったランドルフは、今回こそ確実に殺すためにやってきたのかもしれない。
交換留学というイベントを利用して……。
「に、逃げなきゃ……」
彼女はそろりと足を動かし、教室の出口へ向かった。
そして扉に手をかけた、その瞬間。
「待ってくれ。少しいいだろうか」
嫌な声が聞こえて、ノーラはぎこちなく振り向く。
人の波をかきわけてランドルフがやってきた。
「君は……聞きたいことがあるのだが、」
「な、な、なんだよ! わた、わたしは……そう簡単にはやられねぇからな!?」
「いきなりどうした? しかし間違いない。その声、もしや……」
「く、来るなら正々堂々と来やがれ! 放課後、朱の刻……校舎裏にて待つ!!」
「……は?」
いっそ暗殺に来るなら、真正面から受けて立とうではないか。
そう思い立ちノーラは宣戦布告した。
冷静に考えれば暗殺を企てるような人間が正面から来るはずないのだが、今のノーラは混乱していて頭が回っていなかった。
珍奇な言葉を吐き捨てて走っていくノーラ。
そんな彼女の背をランドルフは呆然として見つめていた。
「あー……ランドルフさん、気にしないで! ノーラさん、いつもあんな感じだから!」
「そ、そうそう! あの子、ちょっとおかしいからさ!」
「平民の生まれだからな。俺たちには理解できないところもあるのさ」
「ノーラ……平民……?」
生徒たちが慌てて取り繕うも、ランドルフは眉をひそめていた。
あの少女はどう見ても元婚約者のエレオノーラだ。
ノーラという名前ではないし、平民でもない。
現在の婚約者、ヘルミーネが言っていた。
エレオノーラを屋敷の外で発見し、呪いの効果も受けなかったと。
その件に関してはイアリズ伯爵から箝口令が敷かれているものの……それと何か関係があるのかもしれない。
「朱の刻、校舎裏か……」
ノーラに言われた言葉を反芻する。
それからランドルフは何事もなかったかのように、生徒たちとの交流に戻っていった。