フリッツの矜持
動力室には、学園中の魔石に魔力を送る機関がある。
輝きを失った光の魔石を復旧するため、多くの魔術師が試行錯誤していた。
「……厳しいな。この調子だと朝までかかるぜ」
魔術の教員が渋面する。
なんとか復旧に取りかかったはいいものの、かなり苦戦している状況。
他の魔術師と同様に復旧に協力していたペートルスは、魔術の回路を見てうなった。
「光の魔石に関する魔術回路にだけ、魔力伝達阻害の刻印が刻まれていますね。第三者が意図的に妨害したのでしょう。いったいなんのために……?」
「さあな。ん魔術回路ってのは、極めて精緻なもんだ。軽く傷がつけられただけでも復元に時間がかかる。学園長……ん、どうする?」
「そうだな……魔術の教員でもお手上げということは、復旧は絶望的か。やむをえまい。今年の舞踏祭は中断するか、日を改めるか……」
学園長は肩を落とした。
ニルフック学園の舞踏会といえば、グラン帝国の中でも一大行事。
学園の権威にも大きな影響をもたらし、融資者の信頼を勝ち取るひとつの要因にもなっている。
そんな舞踏会を中止するなど、本来なら言語道断なのだが……こうなってしまっては仕方ない。
「よし……ペートルス・ウィガナック。今回の舞踏会は中止という旨、来賓に告知を……」
「――お待ちください」
学園長の言葉を遮って声が響いた。
動力室の入り口に佇む少年……フリッツは堂々とした足取りで内部に進む。
彼の姿を見たペートルスは瞳を揺らした。
「フリッツ……」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、ペートルス卿。先程の言葉は撤回させていただきます。この天才フリッツにかかれば、魔石の復旧など児戯に等しく。一瞬で直してみせましょう」
「……! そうか……ありがとう」
ペートルスは深く頭を下げた。
まさかフリッツが協力してくれるとは。
彼の境涯を考えれば仕方ないことで、この一件は自分が責任を負うべきだと感じていたから。
元々ニルフック学園の舞踏会は、ルートラ公爵の協賛によって開催されているもの。
この舞踏会が中止になったところで、ルートラ公爵の面子が潰れるだけ。
兄の仇である公爵の名誉が傷ついたところで、フリッツは何の被害も被らないのだから。
フリッツは魔術回路のそばに屈みこみ、ゆっくりと回路の観察を始めた。
ペートルスは彼の背に語りかける。
「どうやら何者かが回路を傷つけたらしい。光の魔石だけを狙ってね」
「なるほど。動力室の警備はどうなっていたのですか?」
フリッツの問いに学園長が答える。
「動力室の警備は手薄だった。何者かが隙をついて忍び込めるほどにな。まさかこんな悪質な行為をする者がいるとは、思っていなかったのだよ。今後の行事では動力室の警備も厳重にしよう」
「こんな真似をする狙いがわかりませんね。僕やデニスの暗殺を狙って照明を落とした可能性もありますが……それらしき襲撃もありませんでしたし」
「とにかく、犯人は学園側でも探すとしよう」
「…………」
ペートルスと学園長の会話を聞きながら、フリッツは集中して回路の修復を進めていた。
オレガリオ光石の回路はフリッツが改良して世に打ち出した。
自分が設計したものなのだから、修復は造作もない。
それよりも。
彼の目を何よりも引いたのは。
(この魔力伝達を阻害する刻印……そうか、そういうことか……)
丸みを帯びた刻印の文字を見てフリッツは得心がいった。
この舞踏会を中止しようとした犯人も、その犯人の目的も。
さりとて彼は語らず。
淡々と、驚異的な集中力で復旧を進めていく。
そして、十数分後。
「――よし、できました」
「もう終わったのかい?」
「はい。魔力を流してみますね」
動力機関を起動し、魔術回路に魔力を流し込む。
すると……再び眩い光が満ちた。
天より射す星々の明かりではなく、人の手によって創り出された叡智の明かりが。
「すごい……さすがだね、フリッツ。重ね重ね感謝しかない。本当にありがとう」
「ふっ……ペートルス卿にはいつもお世話になっていますから。この程度、感謝されるまでもありません。学園長、舞踏会は続けるということでよろしいですね?」
「無論だ。フリッツ・フォン・ウォキック……やはり君は優秀だな。謝礼は後ほど用意しよう。さあ、会場に戻るがいい」
セヌール伯爵家の希望。
優秀で、天才で、完璧で。
多くの人の光で在れるように……フリッツは振る舞い続ける。
◇◇◇◇
舞踏会の再開が宣告され、参加者たちは歓声を上げる。
ペートルスはフリッツの活躍によって魔石が復旧したと喧伝し、彼を褒め称えた。
会場に戻っていたノーラもひと安心だ。
フリッツのことだから緊張して修復に失敗するのでは……なんて思っていたが杞憂だったらしい。
やるときはやる男なのだ、フリッツは。
「ヴェルナー様、どうしますか?」
ノーラは隣に立つヴェルナーに尋ねた。
彼はため息まじりに答える。
「どうやら二曲目から再開するらしいな。ならば、すでに一曲目は躍った扱いになっているということだ。最低限の務めは果たした以上、俺が躍る意味はもうない。ここで抜けさせてもらうとしよう」
「そうですか……お疲れさまでした」
「ああ。ノーラ、お前との舞踏……悪くなかったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ヴェルナーの言う『悪くない』は相当な誉め言葉だ。
褒められたことにニヤニヤしながらも、ノーラは同じく会場の出口に向かった。
他に舞踏の相手はいない。
ヴェルナーが抜けるのならば、ノーラもお暇させてもらおう。
会場の外に出る。
先程とは打って変わって、見通しがよい。
光の魔石が眩く輝き、ノーラのゆく道を照らしていた。
「ふぅ……とりあえず、これで舞踏会は乗り切った。ったく……本当に貴族連中はクソ面倒な行事ばかりしやがる……ん?」
何か話し声が聞こえ、ノーラは歩みを止める。
まさか逢引とか。
男女が舞踏会そっちのけで、暗闇でイチャイチャ……とか。
もしかしたら口にするのも憚られるような行為をしていたりとか。
好奇心に駆られたノーラはふらふらと進路を変える。
声がする方に向かって、足音を殺しながら。
たどり着いたのは会場の裏手。
薄暗い中で男女二人が……フリッツとダナが向かい合っていた。
「――あなたが魔石の回路を壊したのですね、ダナさん」