オレガリオ光石
姿を現したマインラートは表情を殺していた。
いつもは軽薄な笑みを浮かべ、周りをからかってばかりの彼。
しかし今日は目が笑っていない。
「よっ、エルメンヒルデちゃん。こんなところでどうした? ずっと外にいると風邪ひくぜ? 俺が温めてあげようか?」
相変わらずエルメンヒルデに対する態度は変わらない。
そしてノーラが眼中になさそうな態度も。
それでも普段と調子が違うことは明白だった。
「結構です。フリッツ先輩を探してたんですよ」
「へぇ。やっぱりエルメンヒルデちゃんは優しいね。あんな奴を気にかけてあげるなんて。でも、あんまり首を突っ込むべきじゃない。そっとしておいてやれよ」
「マインラート先輩は何か知っているんですね?」
エルメンヒルデの問いに彼は答えなかった。
ただ肩をすくめて首元の赤いスカーフを弄ぶ。
「貴族にとっては常識なんだけどなぁ。ま、エルメンヒルデちゃんは長いこと巫女として勤めているそうだし……知らないのも無理ないか。これからフリッツと関わる上で地雷を踏まれても困るし、少し話しておくかな」
マインラートはため息を吐いて校舎の壁に寄りかかった。
それから彼は夜空を見上げる。
光源がなくなったせいで星がよく見える。
綺麗な空だ。
「今じゃグラン帝国の至るところに使われてる光の魔石。アレはフリッツの兄貴……オレガリオ様が発明したものなんだ。明かりの魔石は今までにもあったが、今使われている魔石は燃費が段違いでね。これがない生活なんて考えられなくなったくらいだ」
光の魔石。
ノーラは想起する。
そういえば数年前くらいから、本邸が一気に明るくなったことがある。
やがて父が離れにやってきて、新型の光の魔石を仕入れたから取り替えなさい……と言ってきた記憶もある。
エルメンヒルデも覚えがあるのか、彼女はぽんと手を打った。
「……あ! もしかして『オレガリオ光石』って……!」
「そう、俺たちの身の回りにある光源の正式名称だな。さっすがエルメンヒルデちゃん、博識じゃないか。今から五年前に発明されたもので、フリッツの兄貴の名前を冠している」
無知なノーラは正式名称を知らなかった。
ここまで黙って話を聞いていて正解だったと思う。
マインラートは平民のノーラとまともに話をしてくれないので、完全にエルメンヒルデに任せきりだ。
「でも……エルンたちがフリッツ先輩を探しているのと、何の関係が?」
「あいつは故障した魔石を修理できる。だからペー様もフリッツに助けを求めたわけだ。だが、技術的な面とかそういう問題じゃなくて……あいつに魔石を修理させるのは酷ってもんなんだよ。今はそっとしておくべきなんだ」
「……」
「納得できないって顔だね。オレガリオ様はな、殺されたんだよ。詐欺師の汚名を被って」
「え……?」
マインラートの声が一段と低くなった。
彼の怒気は……心なしかエルメンヒルデにも向けられているような気がする。
「皇帝陛下の御前で、オレガリオ様は発明したばかりの魔石を披露する機会を与えられた。だが、魔石は光らなかった。実験の段階では光っていたのに、何度やっても、日を改めても本番では光らない。そのうち諸侯の間に不信感が募っていって……オレガリオ様は陛下を欺こうとした詐欺師の汚名を着せられた。で、処刑されたってわけ」
「そんな……でも、こうして今は実際に光っているわけだし。処刑までするのは、やりすぎなんじゃ……?」
「ああ、君の言う通り処刑はやりすぎだ。セヌール伯爵家は皇帝派、第一皇子派の派閥でね。稀代の天才、超優秀と言われたオレガリオ様がセヌール伯爵家を継げば、第一皇子派がぐっと有利になる。そこで彼を失脚させようと目論んだのが他の派閥だ。陛下の御前で実証が失敗したのも、敵対する諸侯が仕組んだんじゃないかと俺は疑っている。……で、第一皇子派に敵対する勢力が結束してオレガリオ様を処刑に追い込んだってわけだ」
グラン帝国の政情は複雑だ。
権威は一枚岩ではなく、皇帝派、公爵派、宗教派などに分かれていて……その中でも皇子同士の対立など、非常に複雑な情勢になっている。
ノーラの実家、イアリズ伯爵家は第一皇子派だったと記憶している。
「オレガリオ様を処刑に追い込んだ諸侯。その中にはエルメンヒルデちゃん、君のお父上のアナト辺境伯も入ってるんだぜ?」
「……そうですか。ならば天命かもしれませんね」
「おいおい、怖いこと言うなよ。……ま、娘の君は関係ないか。陰謀を主導したのはペー様の祖父、ルートラ公爵。つまりフリッツにとって、ペー様は兄の仇の孫……ってわけだ。だからペー様も申し訳なさそうにフリッツに頼んでただろ? ジジイの尻ぬぐいをさせられるペー様もかわいそうだな」
今までペートルスとフリッツの間に不穏な気配はなかった。
むしろ良好な関係に見えたのに。
そんな因縁があったとは……人とは中々わからないものだ。
「フリッツは兄の遺志を継いで魔石の完成に取りかかった。今度は御前で妨害なんてされないよう、徹底的な対策をしてな。そして見事効果の証明に成功し……『オレガリオ光石』が完成したってわけだ。だが、死人は戻ってこない。フリッツに光の魔石を修理させるってことは、兄が理不尽に処刑された過去を思い出させるってことだよ。わかったかい?」
エルメンヒルデは押し黙った。
いかに自分の行動が無神経で、独りよがりなものだったのか。
自分もまたオレガリオの仇の娘だというのに。
話を聞いていたノーラは、そのとき初めて口を開いた。
「それなら……なおさらフリッツ様を探すべきじゃないですか」
「はん? ああ、ピルット嬢いたんだ。オーラがなさすぎて気がつかなかったぜ」
「うっさい。マインラート様は、このままフリッツ様を放置していいと思ってるんですか?」
「そりゃそうだろ。傷ついた奴はそっとしておいてあげるのが……」
「でも、ダナ様はフリッツ様を追いかけなかった」
瞬間、マインラートは閉口した。
ノーラの口からダナの名前が出てきたことに驚いたのだ。
「ダナ嬢は……そうだな。元々オレガリオ様の婚約者で、そのままフリッツの婚約者になったらしい。二人の関係性については詳しく聞かないが……あんまり仲は良くなさそうだな」
「つらい過去を思い出して逃げ出したのに、婚約者まで追いかけてくれないなんて……そんなの。そんなの、フリッツ様がかわいそうじゃないですか。わたしだったら婚約者くらいは……心配してくれてもいいんじゃないかって思います」
「……ピルット嬢。そりゃ押しつけってもんだ。あんた、フリッツの境遇を何も知らないだろう?」
「知らないです。でも、誰からも目を向けられないつらさは知っています。理不尽に人生が歪められることのつらさも知っています」
「それとこれとじゃ別問題だ。とにかく今は大人しく待って……っておい!」
ノーラは駆け出した。
誰になんと言われようとも、今はフリッツを探すべきだと思った。
自分とフリッツでは環境が違う、積み重ねてきたものが違う。
彼の気持ちを理解したつもりになっているだけかもしれない。
でも、笑っていたのだ。
銀色のハンカチを婚約者に贈ることを、舞踏会で婚約者と踊ることを……心待ちにして優しく笑っていたのを知っていたから。
かりそめの婚約でも、彼にとっては大きな支えになっていたに違いないと。
きっと寄り添ってくれる人が必要なのだと、ノーラは身勝手に考えていた。