フリッツ・フォン・ウォキック
「私はセヌール伯爵家を救う。それが嫡子の務めだ」
兄上の口癖だった。
私の兄、オレガリオ・フォン・ウォキックは俗に言う天才である。
勉学、武術、芸術。
何をやらせても一流で、一切の瑕疵がなく。
すべてにおいて完璧な兄上は『セヌール伯爵家の希望』と呼ばれた。
次第にセヌール伯爵家が没落していく中で、彼は何よりも輝いていた。
対して弟の私はどうか。
出来が悪く、何をやらせても挫折して、一片たりとも兄上に勝るところなし。
周囲からの嘲笑は絶えなかった。
『またフリッツ様が失敗されたとか』
『……兄の方は優秀だというのに』
『まあいいだろう。どうせ家はオレガリオ様が継ぐのだから』
当たり前だ。
どれだけ努力を重ねても、天賦の才には届かない。
私もまた、兄上に敵わない人生を当然のように受け入れていた。
輝かしき星の下に生まれた者、光なき暗夜の下に生まれた者。
人とは得てして隔てられるべきなのだ。
大丈夫、貴族に生まれた時点で私は誇らしい。
才能まで求めるのは傲慢だ。
「……フリッツ。お前は優しい子だ。きっと私よりも立派な人間になれる」
――それなのに。
兄上は私にあたたかい言葉を投げかけてくる。
まるで自分の才能を疎んでいるかのように、私の前でだけ悲哀を瞳に浮かべて。
幼い私には皮肉にしか聞こえなかったのだ。
愚かな私を哀れみ、情けをかけてくれているのだと。
跡目を継ぐに際して相手にすらならない私を、懐柔するためだと。
「いいえ、兄上。私は兄上を越えられませんよ。微力ながら支えさせていただきます。せめて足を引っ張らないように」
私が若干の憎悪をこめてそう言うと、兄上は虚しく笑った。
私が十二になったころ。
兄上がとある発明をした。
『光』の魔石の発明。
これまでも光源となる魔石の技術はあった。
だが兄上が発明したソレは桁違いに明るく、そして消費魔力も少ない。
これがあれば帝国の技術は飛躍的に進歩する。
他の魔石にも回路の転用ができるはずだ。
セヌール伯爵家は沸いた。
伯爵家が興ってから今日に至るまで、これほどまでの偉業は成し得なかった。
稀代の大天才、オレガリオ・フォン・ウォキックの登場である。
セヌール伯爵家の名声は瞬く間に広がり、やがて皇帝陛下の耳にも届いたという。
「やはり兄上は天才です。これほど魔力効率のよい魔石を発明するとは……もう人類が夜に怯える必要はありませんね」
手元で兄上が発明した魔石を転がす。
この石がどれほど偉大な代物なのか、魔石の技術に疎い私でさえ理解できた。
美しい。
淡い燐光が瞬き、夜闇の中で光る蛍を想起させた。
「はは……偶然の発見だよ。本当はさ……光源の開発をしていたわけじゃないんだ。別の物を作ってる間に生まれた副産物というか」
「す、すごいです……本当は何を作ろうとしていたんですか?」
きっと大層なものを作ろうとしていたのだろう。
勝手に期待していた私に返ってきたのは、拍子抜けする言葉だった。
「おもちゃだよ。ほら、これ……光る物質を糸に巻き付けて、ぐるぐると回すおもちゃを作ろうとしていたんだ。外国のおもちゃを参考にしてね。その過程で光の仕組みを分析したら、実用的な光の魔石ができてしまったんだ」
兄上は魔石を糸で巻き、空中で何度も回転させた。
光が弧を描く。輝きの軌跡が空間を斬り裂く。
たしかに綺麗だし、美しいけれど。
兄上には似合わない気がした。
「お、おもちゃ……? 兄上、そんな趣味ありましたか?」
「いいや。ダナの弟さんにあげるつもりだったんだ」
「ああ、ダナさんの……なるほど」
兄上の婚約者のダナ嬢。
たしか彼女には幼い弟がいたか。
兄上とダナ嬢は昵懇の仲で、向こうの家との交流も深い。
相手の親族にまで気を遣ってあげるとは……やはり兄上はお優しい。
しかもついでに大発明をしてしまうのだから。
「このおもちゃが完成したら、フリッツにもあげるよ」
「あ、兄上……! もう私はおもちゃで遊ぶ年ではありませんよ!」
「ははっ。そういえば、もう十二か。お前も立派になってきたな」
立派になったと。
兄上はそうおっしゃったが、私にはまるで解せなかった。
この私のどこが立派なのか、兄上と比しても長所が見当たらない。
どこが立派なのかと、聞いてみたくもなった。
しかし返答を聞くのがどうにも怖くて……私は口を曲げた。
私の煩悶を知ってか知らずか、兄上はおもむろに立ち上がる。
「この後、陛下の御前で魔石を披露することになっている。行ってくるよ」
「はい、お気をつけて!」
私は笑顔で兄上を送り出した。
セヌール伯爵家に希望の光が灯っている。
この灯はいつまでも絶えることはないと……そう信じていた。
だが、それきり私が兄上と言葉を交わすことはなかった。
兄上が発明した魔石は今や帝国中に広がっている。
夜闇の中、少し目を凝らせば見えてくる。
あの温かく美しく、それでいて忌まわしき光が。
兄上はもうこの世にいない。
光の恩恵を享受する貴族供に殺された。