その布の意味は
「はい! 右! 左!」
「おおっ、おお……!」
「ここでターンだよ!」
「おおっ!?」
ノーラの視界がくるくると回る。
目先には優雅に舞うエルメンヒルデ。
舞踏会まで一週間を切り、ノーラの舞踏にはより磨きがかかっていた。
定期的にヴェルナーやエルメンヒルデに練習の相手になってもらうことで、ようやく人並みの動きができるようになってきた。
カドリールを終えて手を解いたノーラは、満足げにうなずいた。
「よっしゃ……今のはミスせずにできた気がする! エルンのおかげだよ!」
「いい感じじゃない、ノーラちゃん? というか、よく片目だけでそんなに踊れるよね。平衡感覚とか崩れそうだけど」
「まぁ慣れってやつかな。わたしにとっては片目だけの世界が普通なんだ」
「すごー。私もノーラちゃんの真似してさ、片目だけで一日過ごそうとしたことがあるんだよ。でも気持ち悪すぎて一時間でギブアップ。片目でダンスなんて絶対無理だねぇ」
もう眼帯をつけたままの生活には慣れた。
最初は奇異の目で見てくる生徒たちの視線が痛かったが、今はもう気にならない。
しかし、そんなノーラは絶妙に浮いている。
クラス内での交流はそこそこ増えたものの、さすがに舞踏会で平民出身と言われるノーラの相手をしてくれるほどの令息は見当たらない。
「しかしね……ノーラちゃん、見違えたよ」
「へ?」
「ほら、すごく綺麗になってる。お化粧のおかげかな?」
エルメンヒルデはまじまじとノーラの顔を見つめた。
最近はレオカディアから化粧の指南もしてもらっている。
「ど、どうだろう。ちゃんとできてるのかな……?」
「ばっちり! やっぱり素材がいいんだよね。もうちょっと見た目とか気にしてみたら? 令息たちにモテモテになるかもよ」
「いやー……そういうの柄じゃないっていうか。まあ、公の場に出るときは善処するけど」
長らく引き籠りだったのだ。
見た目に気を遣えと言われても、なかなか難しい。
まずは簡単なところから慣れていくしかない。
「もうダンスはほぼ完成かな。で、ノーラちゃんのお相手は見つかった?」
「うーん。いや……いないんだよなぁ」
「そっかぁ……よし、ちょっと待ってて」
エルメンヒルデは何かを思いついたように顔を上げ、教室を飛び出していく。
ひとり取り残されたノーラはゆっくりと椅子に腰を沈める。
最近はダンス続きで疲れが溜まっていた。
エルメンヒルデが待っていろと言ったので素直にここで待つ。
心を無にして虚空を見つめていると、不意に教室の扉が開いた。
「……ここにいたか」
「あ、ヴェルナー様。おつかれさまです。今日はエルンに練習に付き合ってもらったので、練習しなくても大丈夫ですよ」
「そうか。これを渡しにきた」
ヴェルナーが懐から取り出したのはベージュ色のハンカチ。
隅にはテュディス公爵家の印章が刺繍されていた。
手触りの良い布を指先で確かめ、ノーラは小首を傾げる。
「なんすか」
「……持っておけ」
「え、ちょ」
持っておけ。
それだけ吐き捨ててヴェルナーは去って行ってしまった。
追いかけようにもエルメンヒルデに待機を命じられているので。
呆然と立ち尽くす。
ノーラはただ手元に残されたハンカチを弄ぶしかなかった。
「おっまたせー!」
数分後、エルメンヒルデが勢いよく戻ってくる。
彼女は慌ただしくスキップしながらノーラの前に立った。
そして、ノーラの手元にあるベージュ色のハンカチを見て笑顔を引っ込める。
「えっ。ね、ノーラちゃん。それなに?」
「なんかヴェルナー様にもらった。持っておけって」
「なにっ……!? 先を越されたか……!」
なぜかショックを受けている模様。
衝撃に目を見開くエルメンヒルデに、ノーラは釈然としない気持ちで尋ねた。
「どしたん?」
「い、いやぁ……ノーラちゃんって舞踏会は一曲しか踊らないんだよねぇ?」
「うん。最低でも一曲は躍れってマインラート様に言われてるし。本当は躍りたくないんだけど」
「そうだよね……ふーん。しかしヴェルナー先輩がねぇ……」
ゆらゆらと体を揺らしてエルメンヒルデは口元を歪めた。
彼女はポケットから一枚の布を取り出す。
またもやハンカチだ。
今度は黒い布地で、隅には謎のシンボルが刺繍されている。
「これ、あげるよ」
「なんすか。今日はハンカチをあげる記念日か何か?」
「舞踏会当日はさ、他人から見えるように胸元にハンカチを入れておくといいよ。エルンがあげた黒いハンカチと、ヴェルナー先輩があげたベージュ色のハンカチ。好きな方を入れておいて。……あ、どっちもはダメだからね!」
「えぇ……?」
そして先程のヴェルナーと同じように、エルメンヒルデは一目散に走り去っていく。
いったい何が起こっているのか?
その謎を解明するため、ノーラは友人のもとへ向かった――
◇◇◇◇
「舞踏の申し込みよ」
バレンシアは単刀直入に答えてくれた。
ハンカチを異性に贈ることで、舞踏の相手をしてほしいという意思表示になるらしい。
それを見えるように出すことで肯定の返事になる。
「え、え? そうなんだ……」
つまりヴェルナーとエルメンヒルデは、ノーラを舞踏の相手に選んでくれたということ。
しかし、ふと疑念が頭をもたげる。
「舞踏会のダンスってさ、同性で踊るのはご法度だよね?」
「当たり前でしょう。練習ならともかく、公衆の面前ではマナー違反よ。そんな当たり前のことを聞いてどうしたの?」
「い、いや……なんでもない」
エルメンヒルデは女子生徒だ。
おそらく、きっと、たぶん女性だ。
あの髪がウィッグで、胸が詰め物の可能性も否定できないが。
なぜエルメンヒルデはハンカチを渡してきたのだろう。
ノーラをからかうつもりだったのか、情けをかけてハンカチだけでもくれたのか。
とにかく舞踏会で飾るハンカチはヴェルナーのものにした方がよさそうだ。
「その様子だと、お相手が見つかったようね。よかったじゃない」
「うん。これでクラスNの恥晒しにならずに済むよ……」
よくよく考えてみれば、ヴェルナーも適当に踊って抜け出したい派閥。
ノーラと同族なのだ。
それならクラスN内で結託して凌げばいい。
問題はヴェルナーが卒業する来年以降に、誰と踊るかだが……そこは後で考えよう。
「ふふ、舞踏会が楽しみね。わたくしの父も見にくるから気合を入れないと」
「バレンシアのお父様……アンギス侯爵様だっけ。あの『妙齢なる道徳騎士団』を麾下に置くっていう」
「『壮麗なる慟哭騎士団』よ……? 帝国内でも最大勢力の騎士団なんだから。……そうだ。よかったらわたくしの友人として、父にノーラを紹介させてもらえないかしら?」
「え、ええぅ!? わたし、一応平民だよ!?」
「そんなことどうでもいいわ。舞踏会は交流を広げる場なんだから、別にいいでしょう。よろしくね?」
有無を言わさぬバレンシアの圧にノーラはおずおずとうなずいた。
特に拒絶する理由もないし、ここは仕方なく受け入れておこう。
唯一の問題はノーラの正体が『呪われ姫』だとバレないかどうかだが……学園で堂々と生活していてもバレていないし、大丈夫だろう。