呪いの実験
休日。
ノーラは学園のシンボル、海蛇の銅像の前でそわそわと待機していた。
周囲を見渡すと同じく人を待つ生徒たちが見える。
休日のため誰も制服を着ておらず、もちろんノーラも着ていない。
他の生徒たちは社交サロンにでも行くのだろうか、ドレスの類を着ているが……ノーラは動きやすい服を着てスニーカーを履いていた。
ヴェルナーに依頼し、研究を手伝ってもらうことになったのだ。
今回の実験はノーラ一人では実践できない。
「……待ったか」
やがて背後から声がかかる。
ノーラの待ち人……ヴェルナーは常変わらぬ無愛想な表情でやってきた。
彼もまた制服ではなくレザーチャップスを履いて帯剣している。
「あ、あの……わたしも今きたところです」
「そうか」
「本日はよろしくお願いします……」
「ああ」
会話が続かない。
ノーラとヴェルナーの会話はすぐに終わってしまう。
別にノーラが寡黙な性格というわけではないし、むしろ本質は喧しい類なのだが……どうにも気後れしてしまうのだ。
加えてヴェルナーはこちらに興味がなさそう。
相手がペートルスであれば向こうから積極的に会話を投げかけてくれるのだが、ヴェルナー相手はそうはいかない。
「――あら? ノーラではなくて?」
「……あ、バレンシア」
気まずい二人の空気に、明るめの声が割り込んでくる。
ノーラの同級生……侯爵令嬢のバレンシアが従者を引き連れてやってきた。
何かと孤立気味なノーラを助けてくれる、外見だけ悪役令嬢っぽい聖人である。
今の彼女は絢爛豪華なドレスを着ており、周囲の生徒たちと比べても一際目立っている。
「そちらの方は……テュディス公爵令息ではないですか。クラスNのお二人でお出かけ?」
「……フン」
「あら。鼻で笑われてしまったわ。まあ、この方はこういう性格だしね」
「ご、ごめんなさい、バレンシア。ヴェルナー様も悪気があるわけじゃ……ない、と思う、んだけど……」
そもそも悪気がなければ相手を無視しないのでは?
ノーラはだんだんと自分の言葉に自信が持てなくなってきた。
「いいのよ。服装を見る限り、社交に行くわけではなさそうね?」
「うん。あの……研究のお手伝いをしてもらおうと思って」
「へぇ……わたくしはノーラの研究についてはよく知らないけれど、気をつけるのよ。無茶をして体調を崩したりしないように。よろしい?」
「う、うん。たぶん大丈夫……」
なんというか……保護者みたいだ。
バレンシアは友人というか保護者というか、なんか頻繁に絡んでくる人という印象だ。
学級を先導する立場として、ノーラのことも気にしてくれているのだろう。
バレンシアの厚意には感謝しなくてはならない。
たぶん彼女がいなければ、今ごろノーラは学級でいじめられていた。
「それじゃあね。テュディス公爵令息、失礼いたしますわ」
「……」
優雅にカーテシーしてバレンシアは去っていく。
本当に一つひとつの所作が流麗で、模範的な令嬢だ。
「わたしたちも……行きますか?」
「ああ。さっさと行くぞ」
ヴェルナーに伺うと彼はひとりでに歩きだした。
慌ててノーラも後を追い、ヴェルナーの背後を歩きながら学園の門に向かう。
「貴様に友人がいたとは意外だ。人とは一見してわからんものだな」
「は、はい……友達がいてすみません?」
「その謝罪に意味はない。過剰に謝る癖を改めろ」
「はい、すみません……あっ」
「チッ……」
ノーラはおずおずとヴェルナーの後ろを歩いた。
やっぱりこの先輩は怖い。
◇◇◇◇
手配した馬車に揺られ、やってきたのは南方の森。
厳重に警備された門をくぐり、二人は危険地帯へ踏み入った。
「魔物への呪いの行使か……」
「はい。人とか動物には試したことあるんですけど、魔物にはなくて」
学園内に呪いを行使する対象がいない。
そういうわけで魔物を相手にやってみることにした。
ルートラ公爵家に滞在していたころも、魔物を対象にした呪いの行使は試したことがない。
とはいえノーラ一人で実験するには危険すぎるので。
腕が立つというヴェルナーに同行してもらうことにした。
「効果、あるんでしょうか……? もしも呪いが効かなかったら、そのときはヴェルナー先輩に助けてもらうことになります」
「どうだかな。魔物は厳密に言えば生物ではなく無機物だ。通用しない可能性もある」
動物と魔物の違い。
それは体を構成する物質の違いである。
魔物は体の全てが『邪気』という気体のみで構成されている。
魔力があらゆる事象に変じて魔法となるように、邪気もまた自在に変じて魔物の体を作るのだ。
たとえ肉や骨があるように見えても、その構成物質に炭素は含まない。
ゆえに魔物は無機物と定義されているらしい。
殺しても気体になって消えるし、資源にならないし。
人間にとっては百害あって一利なしの存在だ。
たまに増殖しすぎた動物を減らす環境作用もあるらしいが。
「動物には多少なりとも感情がありますけど、魔物にはないですもんね。そもそも怯えるという概念がなかったりして……」
「……怯えがない、か。それは羨ましくもあるな」
ヴェルナーは少し実感の籠った様子で目を細めた。
再び彼は口を閉ざし、またノーラも沈黙する。
静寂は嫌いではないが、ヴェルナーはこの空気をどう思っているのだろう。
森を淡々と歩く。
時たま鼓膜を叩く鳥の鳴き声、葉擦れ。
雑音の中に土を踏みしめる音が混じった。
ヴェルナーが足を止める。
「来るぞ。準備しろ」
「は、はいっ……あの。わたしの右目を見ないようにご注意を」
「了解。まもなく接敵する。あの茂みだ」
甲高い音を立てて刃が抜かれる。
ヴェルナーは完全に戦闘態勢に入った。
彼が示した茂みを凝視しつつ、ノーラは眼帯を外す。
呪いの効果は最初から強めに調整しておく。
ガサッ……茂みから顔を出した異形。
中型の鹿に見えるが、頭部の角が亀の腕のようになっている。
光のない瞳でノーラたちを凝視しながら、頭部の腕をウネウネと動かしていた。
「き、きもっ……」
魔物を初めて見たノーラの感想がコレだ。
動物には愛くるしさを感じるのに、魔物には微塵も愛嬌を感じない。
なんというか、本能が完全に敵だと認識している感じだ。
(あっちいけ、あっちいけ、あっちいけ……あっちいけあっちいけあっちいけ。あの、あっちいってください……)
あっちいかない。
ノーラと魔物のにらみ合いが続き。
――やがてヴェルナーが動いた。
「これ以上は無駄だ。眼帯をしろ、魔物に呪いの効果はない」
「そ、そうみたいですね……えぇっん!」
ノーラが眼帯をつけようと腕を動かした……刹那。
魔物がこちら目がけて突進、勢いよく蹄で地を蹴った。
ノーラの体がぐわんと後方へ引き戻され、ヴェルナーの背後へ。
彼女は何が起こったのか理解が追いつかず、転びながら尻餅をつく。
目にも止まらぬ速さで剣が振り抜かれた。
跳躍した魔物の後足を斬ったヴェルナー。
体勢を崩した魔物の頭部にそのまま刺突を繰り出した。
頭部の腕を抉り、そのまま脳天まで刃が貫かれる。
数秒後に魔物は動きを停止し、黒い塵となって消えていった。
「わぁ」
「おい、眼帯はしたか?」
ヴェルナーが背を向けたまま尋ねた。
このまま彼が振り返れば、また先日のように斬られかねない。
慌ててノーラは眼帯をつける。
「は、はい! しました!」
「……ケガはしてないか?」
「え、あっ……大丈夫、です」
実を言うと後ろに引き戻されたとき、転んで手をすりむいた。
しかし心配をかけるのも野暮。
ノーラは何事もなかったかのように立ち上がった。
「あ、ありがとうございました。魔物には効果がないみたいですね……ヴェルナー様がいてくれてよかったです。もう検証する意味はないので、早く帰りま……」
「見せろ」
「ひゃうっん!?」
無造作に持ち上げられた腕。
ヴェルナーの鍛えられた手が、ノーラの白く細い手首を掴む。
強引に手のひらをこじ開けられてノーラはたじろぐ。
露になった切り傷。
ほんの少し赤くなっている程度だが、ヴェルナーの目をごまかすことはできない。
「悪いな。俺が乱暴に引いたせいだ。貴様が戦場の初心者であることを忘れていた」
「い、いえ……助けてくださって感謝しています。あの、本当に大丈夫ですので」
「少し待て」
手を離したヴェルナーはポーチから布とビンを取り出す。
布をビンの液体に浸し、ノーラの傷口に当てて縛った。
ひんやりとした感覚。鋭い痛み。
ノーラは苦悶に顔を歪めた。
「こういうとき、治癒魔術が使えれば楽なんだがな。あいにく俺は魔術の類を使うつもりはない。消毒布で我慢してくれ」
「ありがとうございます……本当に、ここまでしていただいて」
ぺこりと頭を下げる。
負傷の対策もしているあたり、ヴェルナーは意外と用意周到な性格なのかもしれない。
ノーラが礼をすると、頭上でフッと笑う声がした。
今まで聞いた冷笑とは微妙に違う。
不思議に思って顔を上げると……そこには微笑を浮かべるヴェルナーの姿があった。
「それでいい。謝罪と感謝は違う。こういうときは『すみません』と言うのではなく『ありがとう』と言えばいい」
「は、はい……ありがとうございます!」
「帰るぞ」
手を離して帰路を歩きだしたヴェルナー。
ノーラも置いて行かれまいと、慌てて彼の横に並んだ。