謝罪
貴族に掃除をさせるとは何事か。無礼者が。
ノーラは愚痴りながらクラスNの窓を拭いていた。
ニルフック学園では、生徒に清掃の義務が課せられている。
普段から使用人が味わっている苦労を生徒に実感させるため……という目的があるらしいが、誇り高い貴族からは不満も出る。
一部の高慢な生徒は他の者に清掃を押しつけているらしい。
ノーラはその標的にならないよう気をつけつつ、学園生活を過ごしていかなければならない。
「どうすっかなぁ……」
窓ふきの傍ら、再来週の発表に向けてノーラは計画を立てていた。
ペートルスの悪戯により、右目に籠められた呪いがいかに強力なものかはクラスNの面々に知れ渡っただろう。
あとは自分の研究に専心すること。
一般クラスの予習と復習も大事だが、元々ノーラは呪いの研究を目的として入学したのだ。
本懐を忘れてはならない。
とりあえず『目』についての文献を漁ることは決まり。
同時に右目の実践的な研究も進めていく必要がある。
ルートラ公爵家で行っていたように、動物を対象にして出力の強弱をつけてみるなど……試行錯誤しなければ。
仮に右目を用いた実践的な研究を行うとして。
右目を人に向けるのはダメ。
学園が飼っている動物に向けるのもダメ。
実験体がないという事実にノーラは難儀していた。
「私は串焼きが~ 好きだ~♪
でも串焼きは私を好きじゃない~♪
だから串焼きを食べると~ お腹がー痛くなる~♪」
頭を悩ませるうち、いつしか思考放棄して口ずさんでいた歌。
母との思い出の歌……なんかではなく、適当に思いついたリリック。
意味も論理も彼方に置いてきた。
掃除しているうちにお腹も空いてきたし。
そうだ、今日の昼食は串焼きにしよう。
「串焼きは生焼けー 私も生焼けー♪
だから串焼きと私は~ 似ていると思う~♪」
「……おい」
「でも串焼きは私を嫌うー 私も串焼きを嫌う~♪
だから串焼きと私は 仲良くなれない……」
「…………おい、貴様」
「ひぅうんっ!?」
なんとも言えぬ奇声を上げて飛び退いたノーラ。
何度目かの既視感を覚えつつ、彼女は恐るおそる振り向いた。
拭かれて綺麗になった窓から透ける陽光に照らされ、輝きを放つ濃い茶髪。
殺意すら籠もっていそうな灰色の切れ長の瞳。
「おヴェっ、ルナー様……」
「吐きながら人の名を呼ぶな」
「すっ、すっ、すみません!」
「もう少し貴様は堂々としたらどうだ? いま珍妙な歌を恥ずかしげもなく歌っていたようにな」
ノーラの顔は瞬く間に紅潮した。
あの壊滅的センスの歌を聞かれていたとは。
今日はクラスNの講義がないから、教室に誰も来ないと油断していた……。
よりにもよって一番聞かれたくない危険人物……ヴェルナーに聞かれてしまうとは。
「あの、忘れてもらってもいいですか?」
「無理だ。串焼きへの揺るがぬ情熱と、自身の未熟を重ねる謙虚さ。生焼けの串焼きに人生を喩える歌詞、冷静に考えれば深いかもしれんな。さて、完全なる人の焼結は何時になるものか……」
「冷静に解釈しやがる……」
完全にフリーダムに吟じていた歌詞をこうも真剣に考察されると、なおさら恥ずかしくなってしまう。
ノーラは口を真一文字に結んで、これ以上学園では歌うまいと決心した。
歌うことが趣味といえども、人に聞かれる恥を考えたら歌わない方がマシだ。
「歌が好きなのか?」
「好きというか……まあ、好きです。あの、わたしは旅芸人上がりの宮廷吟遊詩人という設定……じゃねえや。そういう出自なので」
「そうか。貴様の歌声は悪くない。誇れる武器があるのは良いことだ」
「は、はぁ……えっと。ヴェルナー様はなぜこの教室に?」
これ以上自分の出自を詮索されても困るので、ノーラは話題を変える。
ヴェルナーはちらと視線を逸らし、後頭部のあたりを右手で掻いた。
「謝罪だ。そういえば、このあいだ貴様に斬りかかったことを謝罪していないと思ってな。今日の掃除当番が貴様だったことを思い出し、謝罪に来たというわけだ。この前はすまなかった」
「……斬りかかったこと? そんなことありましたっけ」
「まさか忘れているのか? 貴様が右目を見せた際、俺が斬りかかっただろう。ペートルスに止められて事なきを得たが」
ノーラは記憶を探る。
そういえばクラスNの初回講義の後、そんなことがあった気がする。
カーテンの裏でもぞもぞしていたら、ヴェルナーがカーテンを開けて……目にも止まらぬ速度で抜刀して。
「あー……思い出しました。別に気にしてないしいいっすよ」
「軽いな。自分が殺されかけたのだぞ?」
「ヴェルナー様も故意じゃなかったんでしょう? わたしの呪いを考えれば、あの反応もやむなしかと。逃げ出すか、気絶するか……あるいはヴェルナー様のように襲ってくるか。そんなものです」
ノーラにとっては慣れたことすぎた。
化け物扱いされることも、命の危機に晒されることも。
どんなに冷酷な目で見られても傷つくことはもうないし、自分の呪いのせいで死んだのなら仕方ないことだと割り切っているのだ。
しかしヴェルナーにとってはその限りではない。
明らかにノーラの反応は異常すぎたし、自分の命を軽んじすぎている気がして。
自らの命に固執するヴェルナーにとって、彼女の返答は妙に違和を感じるものであった。
「……気に入らんな」
「へっ!? な、な、なにかお気に触りましたでしょうかっ!?」
「いや。俺個人の気分として、言葉以外で詫びをしなければ気が済まないと思った。何か困っていることはないか?」
「えっ。本当にわたしは怒ってないし、お詫びもいらないんですが……」
ノーラは戸惑いつつ顔を上げた。
すると絶対に引き下がらない感じのヴェルナーの瞳が。
何か適当でもいいから、謝罪的な代償を要求しなくてはならないに違いない。
これが世に言う謝罪ハラスメントなるやつ。
「あっ、そうだ。ヴェルナー様ってお強いですか?」
「愚問だ。俺の生きる意味――それは勝利。絶対的な力と、己を証明する強さこそが……」
「じゃあお願いがあるんですけど。わたしの研究を手伝ってもらえませんか?」