フリッツの予知
いよいよクラスNの本質――『未知の力の研究』が始まった。
初回の講義にあたり、ノーラとエルメンヒルデは勝手がわかっていない。
右も左もわからない彼女たちに、ペートルスが簡単に説明する。
「クラスNに担任の教師はいない。定期的な試験もなければ、成績の可不可もない。僕たちがやることはただひとつ……自分の力について研究し、その結果を報告するだけ。結果の報告をもとに、クラスNの生徒で議論をするんだ。とりあえずノーラとレディ・エルメンヒルデには流れを見学していてほしい。今日は……フリッツの発表だったね」
視線を受けたフリッツは長い銀髪を揺らしてうなずいた。
理知的なサファイアブルーの瞳が光り、彼は淡々と言葉を紡ぎ始める。
「はっ。先程も申し上げましたように、私の能力は『未来予知』。ピルット嬢やレビュティアーベ嬢に向けて説明しますと、私の予知は万能ではないのです。不定期に、不安定に……自分の望まぬタイミングでふとしたときに未来が見える。しかも大抵は些末な内容なのです」
「例えば、どんなのがあるんですか?」
エルメンヒルデは率直に尋ねた。
万能ではないにせよ、少しでも未来が見えるのなら活用できそうなものだが。
フリッツは自嘲気味に笑う。
「ふっ……例えば、ですか。つい最近予知したものですと『四日後の早朝は局所的に晴れる』とか。あとは『三時間後に学園の敷地内に兎が迷いこむ』とか。くだらない内容でしょう? 予知を外したことはないのですが、あまりに微妙だとは思いませんか?」
「『俺の口に虫が入り込む』なんて予言を出したこともあったな。日時の指定がなかったから曖昧すぎて防ぎようもなかったが」
マインラートはまさしく苦虫を嚙み潰したような表情で回想する。
日時がわからないこともあって、予知できる事象の規模も不明。
たしかに不確定要素が多すぎて微妙なところだ。
自分の未来予知を蔑むフリッツだが、ペートルスは庇い立てするように言った。
「でも、フリッツの予言が役に立つこともあったよね。予知した喧嘩を未然に防いだり、建物の倒壊を防いだり……決して完全に役立たずってわけじゃないんだ。もしかしたら今後、とんでもない大事件を防ぐかもしれないよ?」
「であればよろしいのですが……この力を発現して五年、いまだに大事件を予知したことはありません。今のところ、ただ煩わしいだけの能力ですね」
フリッツは自分の能力に悩まされているらしい。
さすがにノーラが共に歩んできた『呪い』よりはマシだが、本人なりの苦労もあるのだろう。
何も話さないのも失礼だと思うので、ノーラは素朴な質問をぶつけてみる。
「あ、あの……未来予知の原因というか、どういうプロセスで起こってるのかは……」
「ええ、それを明らかにするのがこのクラスNの意義ですね」
「あ、そうですよね。それを明らかにするのがクラスNの意義ですもんね。クソみたいな質問でごめんなさい」
「いいえ、建設的な質問と言えるでしょう。ピルット嬢のご指摘はそのとおりで、私の予知には法則があることがわかっているのです。それは……『予知が起こる日、必ず星空が見えること』」
フリッツは窓の外を見やり、蒼天を仰いだ。
今は朝なので星は見えないが……まるで視線の先に満点の星空があるかのように。
他三人にとっては周知の事実を、ノーラとエルメンヒルデに説明するように語る。
「私が一年生のころ、クラスNの議論で指摘されたのです。予知が起こる日の天候や行動を記録してみてはどうか……と指摘されまして。そして明るみになったのが、夜空の晴れ具合。雨や曇りの日、星空が見えない日に限って予知は起こらないのです。不思議でしょう?」
不思議だ。
ノーラが抱えている呪いには環境的な要因が介在しない。
フリッツが他の生徒との議論で新たな知見を得たように、ノーラもまた自分の呪いについて気づきがあるかもしれない。
「ゆえに私は一年次の後半から占星術について調べているのです。最近のクラスNの講義では、もっぱら占星術の研究結果を報告していますね。まあ、今回は別の報告になるのですが……あっ、そうです」
フリッツは思い出したように自分の鞄を漁りだす。
小分けにされた袋をいくつか。
袋からは何やら芳醇な香りが漂っていた。
マインラートが真っ先に袋へ手を伸ばし、興味深そうに眺めた。
「なんだこりゃ」
「お土産です。ドライフルーツですよ。この春季休暇の間、私は遥か南方の島……楽園へと行って参りました。水竜を乗りこなすこと約七日、実に大変な旅でした。楽園は年中晴れていて、夜は満点の星空が絶えず輝いているのです。そこで予知の具合を確認して参りました」
瞬間、これまで沈黙を貫いていたヴェルナーが口を開いた。
彼は少し関心を惹かれた様子で。
「ほう。南方に行ったということは、南蛮の住むシェンを越えていったのか。よく死ななかったな」
「ま、まあ……死にかけましたけどね。なんとか護身して生き延びました。護衛の騎士団もいましたから」
「相談してくれれば俺が護衛してやったというのに。この春休み、剣を振るう相手がいなくて退屈していたところだ」
「ヴェルナー先輩にもご自身の研究があるでしょうから。他の方に迷惑をおかけするわけにはいきませんよ」
ノーラはあまり会話についていけなかった。
世界の地理や政情を把握していない彼女には何がなんだか。
とりあえずフリッツに渡されたドライフルーツ入りの小袋を眺めている。
ここグラン帝国も果物の生産は盛んだが、別の土地で育った果物は風味が違うのだろうか。
「で、どうだったのかな? 楽園での未来予知の具合は」
「ええ、それはもう。毎日予知がありました。およそ十日間滞在させていただいたのですが、楽園にまつわる予知が山のように。例のごとく些細な出来事の予知ばかりでしたが、数そのものは爆発的に増加しましたね。やはり星空がよく見える日ほど、未来予知が起こりやすいのは間違いないようです」
「なるほど。グラン帝国は夏ごろに雨季が多い。となると、冬季の方が予知は発動しやすいみたいだね。この冬季休暇の間で、しっかりとフリッツの研究は前進したようだ。それなら次は……天候に関わる占星術に的を絞っていくべきかな」
「そうですね。気象占星術をもう少し詳しく探ってみるべきでしょう」
「気象占星術をやるってんなら、俺が新しくペンデュラムを作らないとな。同じ学級のよしみで割引してやるよ」
「ええ、お願いします。素行はともかく、マインラートの腕は認めていますから」
ペートルスとマインラートの意見に対し、フリッツはしかと首肯した。
こうして意見を出し合い、協力できる範囲で力を貸し、クラスNの講義は進められていく。
「二人とも、どうかな? こんな感じで講義は進めていく。なんとなくわかった?」
ノーラはこくりとうなずく。
隣のエルメンヒルデは元気よく手を上げて質問した。
「研究の発表はどういうペースでやるんですか?」
「一週間に二人ずつ。つまり、一日につき一人の研究成果を発表する。特に進展がなくても、どういうことをやったのかを報告してもらえると助かるよ。明日はマインラートの報告、そして来週は僕とヴェルナーの報告。君たち二人は……再来週でいい?」
とにかくなんでもいいから、自分の力について調べろと。
ノーラはどうやって自分の呪いを研究すればいいのか理解していないが、そこはペートルスに相談するなりしてどうにかしよう。
講義の後、さっそくノーラはペートルスに相談してみることにした。