親密と警戒
寮の自室に戻ると、部屋の前には思わぬ人物がいた。
「レ、レオカディア様……?」
「エレオノーラ様……いえ、ノーラ様。お元気そうですね」
ノーラは侍女としてレオカディアを連れてこなかった。
ニルフック学園の生徒はほとんど侍従を連れているが、ノーラは平民の出自という設定になっているため、侍女を連れていると違和感が出てしまう。
本来ここにレオカディアはいないはずなのだが……。
「ど、どうしていらっしゃるのですか?」
「私はペートルス様の侍女としてニルフック学園に滞在しております。まだ荷解きが終わっていないかもしれない、ということでペートルス様から様子を見に行くように仰せつかりました」
「そうなんですね……たしかに。まだ荷物の整理ができてません。手伝ってもらってもいいですか?」
「無論です。私はペートルス様の侍女であると同時、ノーラ様の侍女でもありますからね」
レオカディアが学園にいることは嬉しい誤算だ。
彼女はノーラが安心して接することのできる数少ない相手。
一気に開けた世界で感じていた孤独が、少しだけ和らいだ。
部屋の中に入ると、荷物を詰め込んだ鞄が地面に投げられていた。
すぐに教室に向かったのでまだ荷物の整理が終わっていない。
「必要最低限の私服とか下着とか、予備の眼帯とか……あんまり多く荷物は持ってきてないです。手伝ってもらうほどじゃないかもしれないですけど」
「とりあえず衣装棚に服をしまいましょう。おや、これは……ペートルス様とお出かけになった際に買われた私服ですね」
「あ、そうです。お気に入りなんですよ」
黒地に銀糸を通したコート。
男性用のものだが、ノーラがオリジナルの意匠を加えて違和感がないようにしている。
あとは設定を遵守するために、吟遊詩人の服も用意してもらった。
真っ赤で派手な衣装なのでちょっと袖を通す気にはならない。
どちらにせよ学園では制服を着て過ごすことがほとんどなので、私服を着る場面は少ないだろう。
あとは……そう。
鞄にしまいきれずに担いできた弦楽器を手に取る。
「入学までの期間、がんばって練習したんですけど……聞ける程度にはなったでしょうか」
ノーラが持ってきたのは異国の弦楽器で、魔力を流し込んで操作する物だ。
小さいころに弾いていた楽器を思い出して父のイアリズ伯爵に送ってもらった。
恥ずかしくて人前で披露できる腕前ではないけれど、一応吟遊詩人を名乗るからには楽器は持っておかなくてはならない。
「いつかノーラ様の楽器と歌を聞いてみたいものですね。もしかしたら、本物の吟遊詩人に匹敵するかもしれません」
「い、いえ……そんな。わたしはまだまだ未熟で、素人です。本格的に音楽を教えてもらった試しもないですし……」
「音楽ですか……私は心得がありませんが。ペートルス様は多芸ですので、色々と楽器を演奏されるそうですよ」
本当になんでもできる御仁だ。
しかし、忙しそうなペートルスに教えを乞うわけにもいかないだろう。
それに学園内で下手にペートルスと絡めば、嫉妬的な視線が降り注ぐことは間違いない。
ノーラとしては自分からペートルスに関わることは避けようと思っていた。
「あとはこの本と、予備の眼帯の保管と……」
◇◇◇◇
翌日。
初回の講義を終えてノーラは帰路に就く。
校舎から寮まではだいぶ距離があって、歩くのが大変だ。
大体の生徒は馬車で寮に帰るのだが、もちろんノーラは馬車など乗ることはできない。
帰り際、バレンシアが『わたくしの馬車に乗っていく?』と聞いてきたが丁重にお断りした。
親切にしてくれるのは嬉しいが、さすがに甘えすぎも良くないかと。
一年生の講義は、基本的に二年生の選択制講義に向けて基礎を固めていく方針だ。
算術に政治経済、魔術から社交術に至るまで……国内最大の学園だけあって、学問の専門性は多岐にわたる。
これから一年間、専門とする分野をじっくりと考えていかなければならない。
「わたしの得意分野……なんだろう」
ぼんやりと考えながらノーラは帰路を歩く。
上の空で歩いていたので、彼女は目の前で人が立ち止まったのにも気がつかず。
「のわっ!?」
堅い感触が額にぶつかり、ノーラは奇声を上げた。
人にぶつかったというよりは壁にぶつかったような。
慌ててノーラは退き、頭を下げる。
「ごごごっ、ごめんなさ……」
「あなたがノーラちゃん?」
ハッと顔を上げる。
鼻にかかるような独特な高い声だ。
眼前には桃色の髪を結んだ少女の姿があった。
彼女は後退するノーラに遠慮なく歩み寄って顔を近づける。
「青い髪に右目の眼帯。うん、ペートルスって人から聞いたとおり! ノーラちゃんだよね?」
「は、はい……そうです。ノーラ・ピルットです。あの、決闘の申し込みとか喧嘩ならお断りしていますよ……」
「喧嘩ー? 違うちがう、私はエルメンヒルデ! ノーラちゃんと同じ、クラスNの新入生だよ!」
ようやく得心がいった。
彼女がノーラと一緒に入学したクラスNの生徒だ。
そういえば入学式で一年生代表の式辞を述べていた人は、こんな見た目だった気がする。
「し、失礼しました。あの、よろしくお願いします」
「敬語なんていらないよ。ほら、同じ学年だし! いま講義終わったとこ? 一緒にどっか行かない?」
瞬間、ノーラは悟る。
あ、これは苦手なタイプの人間だと。
初手でグイグイくるし、やけに声が甲高いし、いかにも男に好かれそうな。
裏がありそうな浮ついた女子である。
「あ、うんっと……わたし、このあと用事あるから……」
「あーそうなんだ。じゃあ明日は?」
(うわ出た。今日がダメなら明日に約束を取りつけ奴)
冷静に考えれば素直に付き合えばいいだけの話なのだが、ノーラにはそれが難しいのだ。
当たり前のようにできる他人との交流ができない。
しかし躊躇していても物事が進展しないのも事実で。
「う、うん。明日なら大丈夫、かも」
「おっけー! じゃあ、明日同じ時間。ここで待ち合わせね!」
こくりとうなずく。
エルメンヒルデは笑顔で手を振って去っていく。
ノーラもまた、ぎこちない笑みを浮かべて手を振り返した。