悪役令嬢っぽいツンデレ
大きめの鞄に荷物を詰めて、エレオノーラ……否、ノーラ・ピルットはニルフック学園へ。
まずは自分の部屋がある寮へ向かう。
彼女の寮は平民用の寮で、貴族用の寮とは比べ物にならないほど素朴だった。
しかし古びた離れで育ってきたノーラにとって、むしろ小さな寮は心を落ち着かせる。
これ見よがしに貴族用の寮との間に高い石壁が立っており、露骨に身分の格差を象徴していた。
「くっそ緊張する……」
ノーラは姿見を見てはねた髪を直した。
制服は白いブラウスにスカート、水色のリボン。
リボンの色は学年ごとに変わるらしい。
自分が制服を着ることになるなんて……いまだに現実味がない。
入学試験は簡単なものだった。
金さえ積めば誰でも入学できるらしい。
寮の机に置かれていた紙に目を落とす。
これから自分が割り当てられた学級に向かうのだが……大勢の人間がいる場所に行くと思うと、どうしても足が重くなる。
「わたしのクラスはB……名前の後ろにある(N)ってなんだろ」
それと、学級の名簿に気がかりな点がひとつ。
ノーラの名前の後にだけ(N)という謎の文字がついている。
これはもしや、平民階級であることを示す文字なのだろうか……?
名簿にさえ平民であることを強調するとは……えぐい階級格差だ。
「お、おおっ、恐れることはない。わたしはノーラ・ピルット。普通の女の子、たまたまニルフック学園に入学することになっただけ……それらしく振る舞えばいいだけ……」
必死に自分に言い聞かせつつ、ノーラは教室に向かった。
◇◇◇◇
教室に入るや否や、無数の視線が降り注いだ。
(あ、これダメなやつだ)
瞬間、ノーラは悟った。
教室の入り口で立ち尽くす。
窓際で扇子を仰ぎながら話す令嬢たち、仲睦まじくカード遊びをしている令息たち。
彼らが一様に、小刻みに震えている顔面蒼白のノーラを見る。
入学日なのに仲が良すぎないだろうか。
それもそのはず、ほとんどの生徒はニルフック中等学園から続いて入学してきた者たちで。
だいたい顔見知りなのである。
(やっぱり今から帰ろうかなペートルス様に言えばなんとかしてもらえないかなそもそもわたしが学園に通うとか絶対無理な話だったし入学初日で友達作りに失敗しましたなんて言い訳すれば許してもらえるかもしれないし……)
「ちょっと、邪魔」
ぐるぐると目を回すノーラの体が、不意に揺れた。
側方から押され、彼女はたたらを踏む。
「あっ……ご、ごめめ……んっ、なさ」
「…………」
ノーラを押し退けたのは制服を着た少女。
碧の釣り目にウェーブのかかった金髪。
彼女はなんともいえぬ威圧感を放ちノーラを睨んでいる。
「あ、悪役令嬢だ」
「なんですって?」
「なななっ、なな、なんでもないれす! ご、ごごっ、ごめ」
「邪魔って言ってるのが聞こえない? 入り口に立ってたら迷惑でしょう?」
「はぁいっ……ひっ」
過呼吸になりながらノーラは後退し、少女が入るための道を開けた。
もうだめだ。どこからどう見ても不審者だ。
ノーラの学園生活は早くも終了した。
優雅に、堂々とした足取りで教室に入る少女を目で追う。
彼女が窓辺に向かうと、女子生徒たちが一斉に礼をした。
「バレンシア様! ごきげんよう」
「ごきげんよう。あなたたちも同じクラスになれたのね。中等科に引き続きよろしくね」
「はいっ! バレンシア様と同じクラスになれるなんて、ほんとに光栄ですっ!」
あの悪役令嬢っぽい少女はバレンシアというらしい。
女子生徒に囲まれているのを見る限り、リーダー的な生徒なのだろう。
「わたくしの席は?」
「黒板に席順が張ってあります。バレンシア様は一番後ろの席ですよ」
「わかったわ、ありがとう」
そう、席だ。
とりあえず着席しなくては。
席に座って縮こまっていよう。
女子生徒たちの話を聞いていたノーラは、黒板に歩み寄る。
(わたしの席は……あ、窓際だ。両隣に人がいるよりマシかな)
席を確認し、すぐに踵を返す。
そしてノーラは大人しく自分の席に座っていようと思ったのだが……
「ねえ、あなた」
窓辺で話していた女子生徒が前に立ち塞がった。
バレンシアを囲んでいた生徒の一人だ。
まさかの遭遇戦。
ノーラは臨戦態勢に入る。
「は、はひ」
「見ない顔ね。お名前は?」
「あぅ」
「アゥ? そんな名前の人、名簿にないけど」
――落ち着け。
訓練を思い出せ。
レオカディアから受けた指導を。
『相手をペートルス様だと思ってください。他に親しい人がいれば、その方でも構いません。相手を初対面ではなく、仲のいい人だと思い込んで話すのです』
……そうだ、相手をペートルスだと思って話そう。
それならいくぶんかマシになるはずだ。
「エ、エレッ……じゃねえや。ノーラ・ピルットと、申します!」
「ノーラ・ピルット……? あっ、あんたが……平民のくせにクラスNに選ばれた生徒ね?」
「はい?」
クラスえぬ。
聞き覚えのない単語にノーラは小首を傾げた。
自分の在籍するクラスはそんな名前ではなく、クラスBという名前だ。
「ねえあんた。どういう不正を使ったの? 白状なさい」
「…………?」
「聞いてんの? まさか平民のくせに私を無視するつもりじゃないでしょうね?」
何言ってんだこいつ。
ちょっと頭がおかしいんじゃないだろうか。
一から十まで、言っていることが理解できない。
妹のヘルミーネに似た雰囲気を感じさせる令嬢を前に、ノーラは思考停止した。
他の生徒たちも、ノーラの返答を待っているようだった。
女子たちは口元を隠して笑い、男子たちはニヤニヤと意地悪く笑っている。
これが社交界の洗礼。
まずはこの人が言っている言語の解読から――
「おやめなさい」
聞き覚えのある声が耳朶を打った。
その声はまるで意識を惹きつけるようで、混乱に沈んでいたノーラの頭をも冷静にさせた。
目前の女子生徒の後ろに、さっきの悪役令嬢っぽい人が立っている。
「バ、バレンシア様……?」
「貴族とあろうものが、身分を笠に着て民を脅すなどみっともない。恐喝まがいの横暴は許しません」
「し、失礼しましたっ……」
有無を言わさぬ強い語調に、女子生徒は震えながら離れていく。
さながら先程のノーラのようであった。
そして、なぜか助けられたノーラ自身も同様に震えている。
どうして自分が詰め寄られて、助けられたのか。
何もかも謎のせいで小鹿の気分。
とりあえずバレンシアという生徒に助けられたことは理解できたので、顔面を蒼白にしながらも言葉を紡ぐ。
「あ、あ、あ、あの。ありががっ、ありがとうございます?」
「……貴族として当然の責務を果たしたまで。感謝される謂れはありません」
あ、ツンデレだ。
ノーラの彼女に対する評価は、短い間に『悪役令嬢』から『ツンデレの人』に変わったのだった。