ノーラ・ピルット
「――僕と同じ学園に通うつもりはない?」
「無理です」
即答した。
それはもう一片の考慮の余地もないというか、絶対的に考えられないというか。
とにかく無理なのだ。
「ははっ、即答だね。想定していた答えが返ってきた」
「ペートルス様もご存知かと思いますが、わたしは人付き合いがクソで……うん、それはあんまり拒否する理由にはならないかもしれないんですけど。別に学園に行けない心身上の理由があるとか、そういうわけじゃないんですけど。ちょっと苦しいです」
命令なら行く。
たとえエレオノーラの尊厳がどれだけ破壊され、周囲から白い目で見られて、いじめられたとしても入学する。
しかしこれは勧誘だ。
入学を肯定するか否定するかを問われれば、どうしても否定せざるを得ない。
「君をニルフック学園に入学させたい明確な理由があるんだ。このままルートラ公爵家にいても、右目の呪いの研究は進まない。お爺様が雇った学者も手詰まりだと言っているしね」
「では……学園に行けば研究が進む、と?」
「ああ。ここから動かないよりはマシだろう。あらゆる術を専門とする教授や研究機関が揃っている上に、帝国一の蔵書を誇る大図書館もある」
ペートルスが通うニルフック学園は、帝国最大の教育機関である。
ここを出なければ貴族の名折れと言われるほどの名門で、教育のみならず人脈づくりにおいても重要な場所になっている。
そんな貴族の社交場、もといエレオノーラにとっては怪物の巣窟に飛び込むことなど。
「ペートルス様にご迷惑をおかけしないでしょうか」
薄々エレオノーラも気づき始めていた。
いま目前にいる少年は、このグラン帝国においても相当な権力者であると。
使用人の話や父の反応を鑑みれば、社交界について詳しく知らない彼女にだって察せられた。
彼の名誉を傷つけることは恐れ多い。
自分が衆目に晒されれば、多少なりとも関係のあるペートルスの尊厳を傷つけてしまう。
「……心配症だね、エレオノーラは。僕は君のことを迷惑だなんて思ったことはないよ。君が僕のことを迷惑に思ったことならあるかもしれないけどね……たとえば今とか」
「い、いいい、いえっ! ごごごっ、ご迷惑とかそんな……!」
ペートルスの提案にはたしかに頭を抱えたが、迷惑だなんて思っていない。
正直に言えば嬉しかった。
こんな自分をここまで気にかけてくれて、自分を苛む呪いを解くために手を差し伸べてくれることが。
彼の態度を『優しさ』と呼ぶのか、人に触れずに育ってきたエレオノーラにはわからない。
それでも熱意があるのは伝わっていたから。
「考えさせて……ください。わたしも、いつまでも逃げているわけにはいかないから……きっと、ペートルス様の意向に沿った返答ができると思います」
「わかった。ゆっくり考えて、無理のない選択をするといい」
無理のない選択。
ペートルスはそう言ったが、エレオノーラは無理をするつもりだった。
これまでの生き方を否定しなければ、きっと足を踏みだすことはできない。
◇◇◇◇
「……この設定、大丈夫でしょうか」
「問題ありませんよ。ルートラ公爵家も全力で協力しますので」
エレオノーラの不安げな視線に、レオカディアは強くうなずき返した。
悩み抜いたエレオノーラはペートルスに入学の意思を伝え、来春ニルフック学園に入学する運びとなった。
しかし問題がひとつある。
『呪われ姫』エレオノーラ・アイラリティルは、イアリズ伯爵家の離れに軟禁されているという体になっていること。
つまりエレオノーラ・アイラリティルという名を背負って入学するわけにはいかないのだ。
そこで偽の身分を用意することになった。
「エレオノーラ様……いいえ、ノーラ・ピルット様。あなたは私の父に認められ、ニルフック学園に送り出されるのです。しかと自信をお持ちください」
「はいぃ! わた、わたしは一流の吟遊詩人です!」
その結果がご覧の有様である。
エレオノーラがペートルスと相談しながら作った設定は以下の通り。
【各地を放浪する旅芸人、ノーラ・ピルット。
彼女はある日レオカディアの実家、エックトミス男爵家を訪れる。そこで美しい歌声を披露して男爵に認められたノーラは、貴族仕えとして保護されることに。
正式に宮廷吟遊詩人となった彼女は、ニルフック学園の入学金を用意してもらう。さらに音楽的なセンスを磨くために、彼女はニルフック学園の門を潜るのだった……】
「……やはり設定を変えますか?」
「い、いえ……このままの設定でいきます。だってエックトミス男爵にも話を通してしまいましたし、今から設定を練り直すのも大変ですし……」
ちょっと無理があるけれど。
歌を生業にする吟遊詩人にしては挙動不審すぎるし、旅芸人をできそうな度胸もないし。
明らかにエレオノーラの態度と設定に矛盾が生じている。
壁際で二人を見ているペートルスは肩を震わせて笑っていた。
こんな家の名誉を傷つけそうな設定、エックトミス男爵は突っぱねると思っていた。
しかし彼は『ルートラ公爵家には娘がお世話になっていますし、ペートルス様の頼みであれば』と笑顔で快諾してくれたのだ。
いまさら辞退するわけにもいかない、引くに引けないとこまで来ている。
「エレオノーラ……まあ落ち着いて。入学式まであと三ヶ月もあるんだ。その間に設定を遵守した振る舞いを身に着けていけばいい」
「ありがとうございます。がんばってなりきります」
「……たぶん無理だろうけどね」
ペートルスもレオカディアも悟っていた。
残りの期間でどれだけ設定に近づけようとしても、エレオノーラでは不可能だと。
しかし、ペートルスは面白そうなので泳がせてみることにした。