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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第2章 入学
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寒気の中で

霜降りた朝の庭園を、一人の少女が走っていた。

彼女の名はエレオノーラ・アイラリティル。

人呼んで『呪われ姫』。

青い髪を後頭部に束ねて、眼帯をつけていない左目で前を見据える。


広大なルートラ公爵庭園の地形も、今やほとんど頭に叩き込まれていた。

毎朝体力をつけるために通るコースを、エレオノーラは無心で走り続けている。


季節は冬。

寒気が肌に突き刺さるこの季節でも、体を動かせば寒さも和らぐ。

公爵家にやってきたばかりの夏には鳥の声が絶えなかった庭園も、今やエレオノーラの足音が静かに響くのみ。


「…………」


城の周囲を走り終え、再び入り口に戻ってきた。

しかしエレオノーラは息を切らしていない。

ここ半年間の走り込みで、この程度の運動は難なくこなせるようになっていた。


「もう一周……やるか」


午後まで暇だし、もう少しだけ走っていこう。

エレオノーラは特にルートラ公爵家で何を為すこともなく、ただ賓客として扱われているだけ。

仕事もなければ責もなく、とかく暇をしていたのだ。


何もしない生活は楽だ。

エレオノーラ本人としても、そんな生活を望んでいた節はある。

しかしその欲望は実家のイアリズ伯爵家にいたからであって、他家に招かれてまで自堕落に生きたいとは考えていないし、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


さりとて力になれることもなく。

今はただ自分を暗殺しようとした犯人の特定を待つしかない。

暗殺の主犯が明らかになるまで、危険な実家には帰ることはできないのだ。


「ペートルス様……」


走りながら、なんとなく彼の名を口にしていた。

エレオノーラを公爵家に招いてくれたペートルスとは、ここ一月ほど会えていない。

彼にも学業があり、立場的にも多忙を極める人だ。


今、彼は何をしているのだろう。

ただそう思っただけ。

他意はない。


たまにペートルスから送られてくる手紙には定型文が書いてあるだけだし、エレオノーラも事務的に定型文で返している。

彼に会ったり、手紙でやり取りしているうちに気づいたのだ。

あの笑顔はたぶん偽物だし、事を構えるのは面倒だから誰に対しても誠実なだけだと。

ペートルスとエレオノーラの間にはその程度の関係性しかないはずだ。


「たぶんそう。きっとそう。絶対そう。ペートルス様はわたしに興味があるわけじゃない」


それなのに、彼をいつも思い出してしまうのはどうしてなのだろう。

エレオノーラは戸惑っていた。


 ◇◇◇◇


走り込みの後、昼食前の入浴。

これがエレオノーラにとって至福の時間だった。

特に寒い冬は風呂が身に染みる。


「あ゛あ゛あ゛ぁ゛」


相も変わらず下品な声を出しながら温かい湯船に浸かる。

魔石による温度調整も慣れたもので、自分にとって極楽の温度を研究中。

取り付けられた魔石を勝手にいじっていると侍女のレオカディアに相談したら、たいそう驚かれたことがある。


どうやら魔石の精密な操作は普通の人間にはできないらしい。

それこそ温度操作専門の魔術師が雇われているくらいだとか。

もしかしてわたし、湯加減を支配する才能がある……?

……などとくだらないことを考えつつ、エレオノーラは日々を過ごしている。


「~♪」


浴場に響くハミング。

亡き母に教わった歌……を吟じていたかと思えば、最近流行りの歌を奏でだす。

ハミングはいつしかはっきりとした歌声に変わり、浴場に美しい音が響いていた。



そして時間が流れ。


「♪~……っえ。また歌うのに夢中で長湯してしまった……ふやけちまう。わたしの歌声が綺麗すぎるのが悪いよなぁ」


ついつい長湯してしまうのは悪い癖だ。

浴場を使う人間がエレオノーラ以外にいないので、問題にはなっていないが。


このルートラ公爵家には「人がいない」。

ペートルスは学園にいるし、彼の両親は亡くなっているそうだし、妹君も留学中。

唯一公爵家の人間であるルートラ公は、離宮に籠もっている。

そういうわけで貴族用の大浴場はエレオノーラしか使う人がいないのだった。


ほぐれた体を湯船から引き上げ、エレオノーラは出口に向かう。

浴場を出ると、そこには澄ました顔でレオカディアが立っていた。


「あ、レオカディア様……いつも長くてすみません……」


「いえ、むしろいつも長湯してくれて助かります。エレオノーラ様がお上がりになる時間を予測して動けますから」


「わかりました。じゃあ、これからも長い入浴を心がけます……?」


レオカディアは献身的にエレオノーラの世話をしてくれていた。

湯浴み後の着替えくらい一人でもできるのだが、侍女にやらせるのが一流の令嬢ということで、毎回こうして来てくれる。

子どもみたいで少し恥ずかしい。

右目を瞑りながらエレオノーラは尋ねた。


「レオカディア様、無理してませんか?」


「え……? 無理、ですか?」


「なんか動きがちょっと鈍いというか、お顔が疲れ気味というか……あっ、へ、変な顔とかそういう意味じゃなくてですね。純粋に疲れが溜まっていそうだな、と感じたのでっ」


レオカディアはわずかに目を見開く。

あまり表情に変化のない彼女でも、エレオノーラは些細な変化に気づいていた。


「実は……そうなのです。あまり眠れておりません。ですがこれは完全に私情による自業自得。つい夜更けまで編み物してしまいまして……」


伏し目がちになって告白するレオカディア。

中々見せない侍女の様子に、エレオノーラは新鮮な気持ちを覚えた。

夢中になって夜更かし……というのは非常に共感できる。

完璧な侍女のレオカディアが見せた人間らしさに、エレオノーラは言葉を返す。


「それはつまり、裏を返せば今日はぐっすりと眠れるということでもありますね。……ということで、レオカディア様。今日のところはお休みください。わたしのことなんて気にしなくていいですから」


「まあ……お上手なことです。ではお言葉に甘えて、夕時まで少し仮眠を取らせていただきますね」


何事も裏を返してポジティブに……とはレオカディアからの教訓だ。

普段から何事も肯定してくれるレオカディアに、エレオノーラは仕返しをしてみた。


この半年間で多くの使用人と話せるくらいにはなったが、こうして気兼ねなく話をできるのはレオカディアだけ。

大切な侍女には体を大事にしてほしいものだ。

そう願い、エレオノーラは微笑みを返した。

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