宣告
正直助かった。
エレオノーラでは暴走するヘルミーネをどうすることもできなかったので、ペートルスはいいタイミングで来てくれた。
ヘルミーネの狙いがペートルスならば、あとは二人に丸投げすればいいだろう。
「あ、ペートルス様ッ……! ご、ご機嫌麗しゅう」
「ごきげんよう、レディ・ヘルミーネ。お元気そうで何よりです」
ペートルスに手を離されたヘルミーネは、慌てて礼をする。
いまさら取り繕っても遅いと思うのだが。
とりあえずエレオノーラは状況だけ説明することにした。
「あ、あのですねっ、ペートルス様。こうなったのは深い深い事情……じゃねえな。ヘルミーネの浅慮が過ぎる事情がありまして……」
「わかってるよ。聞いてたからね」
「「……へ?」」
珍しくエレオノーラとヘルミーネの言葉が重なった。
このアホ妹と同じ疑念を持つのは非常に不服だが、今のペートルスの言葉には引っかかるものがあった。
「聞いてたって……どこからですか?」
「僕たちをレディ・ヘルミーネが尾行してるのは先刻から気づいていた。だからエレオノーラを一人にして様子をうかがってみたんだよ」
「つ、つまり……わたしは、餌にされたって、こと?」
「悪いね。でも二人の会話は面白かったから、こうして正解だったと思うよ」
エレオノーラは愕然とした。
ヘルミーネをおびき寄せる撒き餌にされ、一連の流れと暴言をすべて聞かれ、しまいには妹の戯言も聞かれていたのだ。
これはイアリズ伯爵家の恥である。
末代までの恥である。
「ぐ、ぐげっ……ここっ」
悶絶するエレオノーラとは裏腹に、ヘルミーネはこれ幸いとばかりに身を乗り出した。
「そういうことでしたら! ペートルス様、姉に代わって私を愛人といたしませんか!? 私はあんな女よりも気立てがよく美しく、そして可憐な令嬢ですわ! いかがでしょう?」
いかがでしょう、じゃねえよ。
これ以上恥を重ねないでくれとエレオノーラは頭を抱えた。
どういう甘やかし方をすればこんな人間が完成するのか?
一度父のイアリズ伯に問い正してみたかった。
求愛を受けたペートルスは常変わらぬ笑みを浮かべている。
アレが彼のポーカーフェイス、絶対に外されない鉄仮面だ。
「ひとつ誤解を解いておこうか。僕とエレオノーラは恋仲ではありません。そこは理解してもらえるかな?」
「まあ、そうだったのですね……! かえって安心いたしましたわ。あのお姉様がペートルス様と恋仲になれるわけありませんものね!」
その点についてはエレオノーラも激しく同意。
自分にとってペートルスは高嶺の花すぎる。
「それはそれとして、貴女を愛人にするのは悪くない提案ですね」
(ペートルス様ッ!?)
まさかの肯定にエレオノーラは度肝を抜かれた。
極めて真摯で冷静な人物であるとペートルスを評していただけに、この返答は完全に想定外。
ヘルミーネは瞳を輝かせて表情を綻ばせる。
彼女としても提案が簡単に通るとは思っていなかったのだろう。
「では……!」
「けれど、レディ・ヘルミーネ。僕が人を分ける基準はたったひとつだけなんです。それは貴族か平民かではなく、男性か女性かでもなければ、大人か子どもかでもない」
「は、はい! その基準とは!?」
「――僕にとって興奮できる人間か、できない人間か。これだけです」
(ペ、ペペッ、ペートルスッ!!)
その言い方はマズい。
頭がピンク色に染まっているヘルミーネに対して、その言い方は絶対に誤解を招く。
「まあ! ペートルス様ったら……ご安心を。私はどのような要求にも応えてみせますわ!」
「いや……貴女はきっと僕の期待には応えられない。申し訳ないが貴女では微塵も興奮できないのです」
「で、では……姉には興奮されると?」
「部分的にね。主に目玉とか」
あ、これ駄目なやつだ。
ヘルミーネが馬鹿すぎて忘れていたが、ペートルスも大概おかしな奴なのだった。
ペートルスの語る『興奮』は色欲的な意味ではないし、『目玉』はあくまでエレオノーラの呪いの根源に過ぎない。
しかし彼はあまりにも言葉足らずで、あえてそうしているのか疑わしいほどだ。
もしかしたら自分を変人だと思わせて、ヘルミーネに興味を失ってもらう作戦かもしれない。
「め、目玉……あの青みがかった黒い瞳がお好きなのですか? ええと……あ、そうです。異国では瞳の色を変える薄い水晶が流通しているとか。それではいけませんか? 姉と比べれば、私は本当にあらゆる点で優れているのです!」
あくまでヘルミーネは食い下がる。
そのおつむで優れているとは恐れ入った。
不意に彼女は踵を返し、呆然と立ち尽くすエレオノーラの腕を引いた。
「そうよ、お姉様から言ってもらえばいいじゃない。ねえ、お姉様。私はあんたみたいな化け物より、ずっと優れていて綺麗な女よね?」
「え? いやぁ、化け物なことは否定しないけど。頭はたぶんわたしの方がいいし、見た目も素体はわたしの方がかわいいと……うっ!?」
つま先に痺れるような衝撃。
ヘルミーネがヒールの踵で、エレオノーラの足を踏みつけてきた。
たとえエレオノーラが何を言ったとしても、妹がペートルスのお眼鏡に適わないことは揺るがぬ事実なのに。
「失敬」
口を曲げていたエレオノーラ。
またしても体が引っ張られ、何事かと視線を上げると――ペートルスが彼女を抱き寄せていた。
花のような甘い匂いが香り、温かな体温が伝わる。
「レディ・ヘルミーネ。貴女は見目麗しいご令嬢で、魅力あふれる方だ。きっとたくさんの殿方を魅了して、社交界の花となれる逸材だろう」
「な、何を……されているのですか? それなら姉の代わりに私を……」
「だが、その上で言わせていただきたい。僕の個人的な嗜好として、貴女に一切の興味を抱くことができない。そして目の前でエレオノーラが傷つけられていて黙っているわけにもいかない。だから――」
音が消えた。
ペートルスに抱き寄せられて混乱しているエレオノーラでも、それだけは如実に感じ取れた。
鼓膜を叩いていた風の音が、小鳥のさえずりがいきなり遠ざかる。
異変に気がついて顔を上げると……そこには口を開閉するペートルスと、一拍置いて瞳を見開くヘルミーネの姿。
「――」
音が戻る。
するりと耳に舞い戻る音の波。
ヘルミーネは呆然とした表情を浮かべている。
それから取り乱したように二人の横を通り抜けて走り去っていった。
ペートルスが何かを言った。
その事実だけが残っている。
しかしその音はエレオノーラには聞こえず、当事者の二人にだけ聞こえていたようだ。
「ふう……ようやく行ってくれたね。足は痛まない?」
「…………」
「……エレオノーラ?」
「……あ、あの。離してもらって、いいですか……」
「ああ、すまない。勝手に触れて申し訳なかった。こうでもしないとレディ・ヘルミーネは帰ってくれないと思ってね」
抱擁が解かれる。
他人と近ければ近いほど意識が乱れるエレオノーラにとって、今の時間は地獄のようだった。
たとえ相手がペートルスという美男子だとしても例外ではない。
「はぁ……はぁ……」
ペートルスは黙って息が整うのを待っている。
エレオノーラが取り乱すのは頻繁にあることなので、いつもの流れだ。
「っ……ペートルス様。あの……何を、妹に言ったんです、か?」
「正直に気持ちを伝えただけだよ。変なことは何も」
即答だった。
まるでエレオノーラから聞かれることを予想していたように、ペートルスは淡々と言い放った。
何も言ってないならヘルミーネが敗走したのはおかしい。
若干の達成感を覚えつつも、エレオノーラは違和感を覚えた。
まさか自分と同じで、暴言を吐くような人ではないだろうし。
「さあ、帰ろう。今日は楽しかったね」