在るべき場所へ
教皇エウスタシオ7世は配下の報告を聞き、安堵の笑みを浮かべた。
「報告は以上です」
「ありがとうございます。下がっていいですよ」
あの騒乱から数週間。
後処理は迅速に行われたようだ。
誰よりも張り切って始末に回ったラインホルト、教皇派の勢力やイアリズ伯爵家、ネドログ伯爵家、そしてニルフック学園の名だたる貴族たちの家を中心に。
グラン帝国を平和へ導くための礎が築かれたのだ。
反乱の大義はペートルスにあり――それが今回の結末だ。
少なくとも、民にはそう布告された。
責はすべて亡きルートラ公が背負う形となり、帝国に邪法を広めた大罪人、戦火の根源を作った悪漢として扱われている。
実際、ペートルスが責を負うよりもずっと真実に近い結末だろう。
「無事、帝国に根差す『邪』の根源ルートラ公は討たれました。これにてエレオノーラに課した三つの条件は……まあ、達成されたと言っても良いでしょう」
報告を傍から聞いていたエルメンヒルデは首を傾げた。
「どうでしょうね。エレオノーラ様に課した条件の中には『巫女として働くことを前向きに検討すること』というものがありました。彼女から芳しい返事はもらっていませんが……」
「あと二年ありますよ? その間、あなたが彼女に働きかけるのです」
「はぁ……」
エルメンヒルデは生返事して困り顔を浮かべた。
シュログリ教の発展のためにノーラの幻魔術はぜひとも手に入れたいが。
教皇の煮えきらない態度にどう反応したものか。
勧誘に熱心なのか熱心ではないのか、いまいち理解できない。
「私としては、目障りな公爵派を一蹴することができて小躍りしたい気分なのですよ」
「……他に理由があるのでは?」
「おや、巫女長にはなんでもお見通しですか。実を言うと、本物の『神』が観測できたことに喜んでいるのです。まだ神々は我ら人間を見捨てていない……とね」
「なるほど。彼の主もきっと、平穏の世を望んでいたのでしょう」
神の意向などエルメンヒルデの知るところではないが。
やはりヒトは、何かの庇護を受けることで安心する生き物らしい。
「そろそろこちらも落ち着いてきた頃合いです。……ということで巫女長。あなたを元の任に戻します」
「元の任」
「まもなく講義が再開するニルフック学園の生徒として、知見を広めてきなさい。ついでにひとつ追加の条件を足しましょう。あなた自身が学生としての日々を楽しむこと、です」
「……拝命いたしました」
恭しくエルメンヒルデは一礼する。
彼女の顔にはわずかに微笑みが浮かんでいた。
◇◇◇◇
ニルフック学園は活気を取り戻した。
あれだけの騒動があったにもかかわらず、迅速に対応できたのは生徒会長デニスの活躍があってこそ。
学園長アルセニオの後釜は、学園に巨額の融資をしていた侯爵に決まり、今は生徒たちが一丸となって荒れた学園の復旧に当たっている。
「……というわけで、もうすぐ卒業式です。色々とありましたが、今年も卒業式を開催することができそうで何よりですね」
デニスは声に安堵を滲ませて言った。
生徒会室には役員が全員揃っている。
ラインホルトに不敬を働いたエンカルナやガスパルもまた、皇族兄弟が和解したことで許しを得た。
「んー……卒業式が開催できるのはハッピーだけど、急いで準備したからね。まだまだ不足しているところは多い」
「間に合うのかしらね……殿下、生徒会長の式辞はもう考えていまして?」
エンカルナは心配そうに尋ねた。
デニスは取り繕ったことが苦手で、式辞の類も誰かに書いてもらうことが多かった。
ペートルスやエンカルナを頼り、心にもないことを学園の行事で述べていたのだが……迷いなくデニスはうなずいた。
「大丈夫です。学園のみなさんに伝えたい言葉は考えていますよ。たくさんのご迷惑をおかけしましたから、そのぶん伝えたい想いもたくさんあります」
「そう、良かったわ。けれど、ひとつ問題があるわね」
問題。
エンカルナの言葉にセリノが反応する。
「卒業生の代表ですね。本来はクラスNのペートルス殿、あるいはヴェルナー殿にお願いするつもりでしたが……ご両名とも不在です」
従来、卒業生代表の式辞は生徒会長が行うのが恒例だ。
しかし今年は二年生のデニスが生徒会長を務めている。
そこでクラスNの生徒に代表として話してもらおう……という予定になっていたのだが。
「私としては、生徒会の誰かが代表になっても構わないのですが……」
デニスは面々を見渡す。
彼以外は今年卒業する三年生。
エンカルナ、ガスパル、セリノのうち一名が代表として式辞を述べても問題はないだろう。
しかし三名はどうにも納得できない様子で。
自分は卒業生を代表する器ではない……と謙遜しているようだった。
仕方ない。
ここは役割を買って出よう……とエンカルナが手を挙げようとした、そのとき。
生徒会室の扉がゆっくりと開いた。
「やあ、お邪魔するよ。卒業生の代表を探しているんだって?」
その『音』に誰もが顔を上げた。
ここにいるはずのない彼が、あの人が。
「その役目、ぜひとも僕に任せてほしい」
――ペートルス・ウィガナックがそこにいる。