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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
209/216

エレオノーラ

涼やかな風が吹く。

冬はまもなく終わり、春が訪れようとしている。

ノーラは少しだけ暖かい日差しに瞳を細めた。


帝都エティス。

ペートルスの反乱、ルートラ公の暗殺。

騒動の影などなかったかのように、人々は笑顔で大路を行き交っていた。


結局は貴族たちの世界の出来事。

民にはなんの関係もなく、時は進む。


「ノーラ、そろそろ歩き疲れたんじゃないかな? 少し休もうか」


「ん、そうだね。どこで休もうかなぁ……」


あれからノーラはペートルスと様々な場所を巡っている。

記憶が戻ることを期待しているのではない。

むしろ新たな彼と、新たな人生を歩みだすために。


記憶を失ったペートルスの目には、すべてが新鮮に映っていた。

幸い彼の心根が変わることはなく、紳士然とした振る舞いのまま。


「そうだ! ペートルスは甘いものって好き?」


「甘味か……どうだろう。『前』の僕は好きだったのかな」


「あんまり自分のことは話してくれなかったからさ。興味関心、個人的な嗜好に関してはよくわかんねー人だったよ」


「話を聞く限り、本当に自分を出さない人だったみたいだね……」


ノーラは貴族街の方向に歩きだした。

帝都エティスに初めて訪れた日を思い出す。

ペートルスに連れ出され、衆目の前に晒されたあの日。

ノーラの心臓はかつてないほど高鳴り、初めて見る世界に目を回していた。


今は違う。

どこにいたって一人でも大丈夫だし、でも誰かといるともっと楽しくて。


しばらく歩き、二人は貴族街の一角にあるカフェに着いた。


「ここ……スイーツのカフェ。すっごく美味いんだよ」


初めて帝都に訪れた日……ペートルスに連れてきてもらった店だ。

あのときは対照的に、今はペートルスが期待して目を輝かせている。


入店してノーラはケーキを注文する。

ペートルスの好みがよくわからないので、彼にも別の味のケーキを。

雑談をしながら待つことしばらく。


「お待たせいたしました……!?」


皿を運んできた給仕が驚き目を丸くする。

彼の視線はペートルスに向けられていた。

瞳に宿る感情は恐怖か、あるいは当惑か。

どちらにせよ……貴族街に勤めるような立場の人間なら、ペートルスが反乱を起こした事実は知っているわけで。


ノーラはあくまで笑顔を崩さずに尋ねた。


「……何か?」


「い、いえ……申し訳ございません。こちらご注文の品です」


そそくさと給仕はその場を後にする。

察しの悪いペートルスではない。

彼は何かを感じ取って沈黙を破った。


「あの人は僕を恐れていた。その理由はきっと……君が語ろうとしない、僕の過去にあるのだろうね」


「ま、そっすね。でも知る必要はないと思う。知ったところで過去は変えられないんだから」


ノーラは意図してペートルスの過去に触れないようにしている。

彼が反乱を起こしたことも、呪われた日々を過ごしてきたことも。

語る必要など微塵もない。

どうしても彼が知りたいと言うのなら、語っても構わないが。


「君の言う通り、明日を見ていればそれでいい。けれど……」


……と、ペートルスは言葉を濁した。

彼はなんとも言えぬ表情で眼前のケーキを見た。


「気になることがあるの? それならなんでも言ってよ」


「ノーラ。君と過ごした日々を思い出せないのは、少しだけ苦しいと思うときがある」


「……」


紛れもないペートルスの本音。

この短い間でも、自分はノーラと楽しい時間を過ごしてきたのだと理解できた。

胸の奥にある空白(・・)

これはどうしようもなく埋めようがない。


彼女のことを忘れているのが嫌だった。

どれだけつらいことがあっても……その過去とともに、ノーラと過ごしてきた時間を抱きたかった。


これまでも、これからも。

目前にいる彼女との記憶を失いたくない。


「わぁ……ストレートな言葉」


「すまない、こんなことを言っても君を困らせるだけだね」


「ううん。正直に言ってくれて助かるよ。わたしもね……たまに寂しいって思うときがあるの。前向いていこうぜ! ……なんて言った割には、妙に過去を懐かしむときがあって」


ペートルスの記憶は邪器とともに消え去った。

だが、彼を寿命の枷から解き放つこともできたのだ。

これでいいはず。

あのときの決断は間違いじゃない。


「無理に忘れなくてもいいんじゃないかな。過去の僕よりも君を幸せにすると誓ったけれど……過去の僕の想いだって、なくなるわけじゃないから」


「……そうだね」


ノーラはうなずき、雑談に花を咲かせた。


 ◇◇◇◇


夜、イアリズ伯爵家に戻ってきたノーラ。

今はペートルスを賓客として迎え入れている。

デニス曰く、ペートルスの扱いに関してはもう少し時間が欲しいとのこと。


まだクラスNの生徒とも顔を合わせられていないし、もちろん社交界に足を運んでもいない。

今のところペートルスは重傷により眠っている……ということになっているらしい。


「お帰り、エ……ノーラ」


アスドルバルは少し詰まって『ノーラ』の名を呼んだ。

ペートルスの前でエレオノーラという名前は使わないことになっている。

『ノーラ・ピルット』というペートルスが授けてくれた名前をできるだけ使っていきたい……というノーラ自身の願いで。

少なくとも学園を卒業するまではこの名前を通すつもりでいる。


「屋敷が騒がしいんですけど、なんすか?」


「ヘルミーネとランドルフの婚姻について話し合うため、このあとネドログ伯爵家の方々がいらっしゃって、我が家に泊まることになっている。前もって伝えておくべきだったな」


「あー……じゃあ、あっち(・・・)に行ってます」


「あっち……?」


ペートルスは首を傾げた。

いまだに『呪われ姫』はイアリズ伯爵家の離れに幽閉されていることになっている。

そのうち噂が広がって、ノーラが『呪われ姫』だということも世間にバレるかもしれないが。

よその人間が来るというなら籠へ戻らねば。


ノーラはペートルスを連れて離れへ向かった。



「すっげぇ荒れてる……」


久方ぶりに訪れた離れは酷い有様だった。

ろくに手入れもされておらず、庭の地面がぐちゃぐちゃだ。

おそらく離れに住んでいたままなら何も感じなかったのだろう。

しかし外に出て、多くの景色を見聞したノーラにとっては異常な場所に見えた。

よくこんな場所で平然と暮らしていたものだ。


「ここでわたしとペートルスは初めて出会ったんだ」


「こ、ここで……? でもたしかに……懐かしい感じがする」


古びた家屋のそばに歩み寄る。

呪われ姫として過ごした日々、ここでペートルスと出会って刺激を受けた日々。

今も鮮明に思い出せる。


「初めてペートルスと出会ったとき、わたしは孤独だった。信じられる人も、友達もいない。ここ以外の場所を何も知らない。今こうして多くの人に囲まれていることが、すごく奇跡みたいに感じる」


「……」


「ねえ、今から歌うよ。聴いてね」


月光を浴びてそよぐ一本の木を見上げ、ノーラは息を吸った。

無人の庭に美しい声が木霊する。

いつも憂鬱は歌うことで晴らしてきた。

自分が見られることで恐れられるのなら、せめて声だけは美しくあろうと。


「――♪」


小さいころ、亡き母が教えてくれた歌。

もう最後まで歌いきれる。

十年間歌い続けてきた、その続きを。



「……ふう」


歌唱を終える。

最初から最後まで清々しい気分で。

ペートルスに自分の歌声を聴いてほしいから。


「綺麗な歌声だね」


振り向くと、そこには感動に瞳を揺らすペートルスの姿があった。

彼はいつもこうしてノーラを褒めてくれる。

そこに一切の欺瞞はなく、ただ一途な想いがある。


唐突にペートルスは跪いた。

そしてノーラの手を取る。



「――本当に綺麗だよ、エレオノーラ」


「へ……?」


「僕の愛しの姫君。迎えにきてくれてありがとう」


ノーラの思考は停止した。

だって、ペートルスは『エレオノーラ』の名を知らないはずなのに。


「どうして……」


「美しい歌声、記憶に焼きついて離れない声。思い出したよ……君との出会い、過ごした日々。忘れたくなかった。たとえどれだけ苦しい記憶があろうとも」


視界がぼやける。

エレオノーラの瞳から涙が流れた。


言葉にできない感情が胸の奥から次々とあふれ出る。

何も変わらない、あの日と同じペートルスがそこにいる。


彼は立ち上がり、そっとエレオノーラの涙を拭った。


「君に伝えられなかった言葉を贈らせてほしい」


ずっと伝えられなかった想い。

あらゆる枷から解き放たれた、今だからこそ。



「――愛しているよ、エレオノーラ」

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