両雄並び進む
ラインホルトは塔の屋上にへたり込み、ぼんやりと茜色の空を眺めていた。
ペートルスが連れ出され、貴賓として招いていたルートラ公が暗殺され、そして弟のデニスには出し抜かれ。
気がつけば何もかもが自分の手のひらから零れ落ちていた。
「……兄上。まだお外にいらしたのですか。そろそろ冷えますよ」
デニスはラインホルトにひざ掛けを手渡す。
几帳面なラインホルトらしくもなく、彼は無造作にひざ掛けを広げた。
沈黙が流れる。
何も言わない兄に対し、デニスはどう語りかけるべきか逡巡する。
まずは……そう、現状報告が最優先だろう。
「ルートラ公の暗殺について……犯人は刺客かと思われます。宗教派の手の者か、あるいはその他の勢力か。現在調査中です」
「アレはお前の謀ではないのか」
「私はこの一件で、一切の血を流すつもりはありませんでした。戦いが起こったとしても、それは信念のぶつけ合いに留めようと」
「そうか。ならば天運までもがお前に味方したのかもしれんな」
諦めたように、ぶっきらぼうに。
ラインホルトは空に言葉を吐いた。
負けたことが、デニスに出し抜かれたことがショックなのではない。
やがて来たる帝国の未来に憂慮が絶えないのだ。
公爵派という三大派閥の一角が崩れ、この先帝国はどうなるのか。
自分がどうにか始末をつけなくてはならない。
ルートラ公が死したことで、今回の責は彼に転嫁することもできよう。
だが、それだけでは丸く収まらないのが実情だ。
「私はどうすればいい……」
「兄上」
頭を抱えるラインホルトの手をデニスが掴んだ。
ゆっくりとデニスに視線を向けると、彼は自信に満ちた表情で笑いかける。
「事後処理は私と一緒にやりましょう。私たち二人で……第一皇子派と第二王子派で仲よく騒動を鎮めると。そう言ったではありませんか」
「お前に何ができる?」
「公爵派の後始末、ペートルスの回復、反乱で生まれた被害者への救済。宗教派との交渉、ナバ連邦との外交、不安定な情勢に付け入る南蛮への対処。ニルフック学園の再開、各権門の軋轢解消。半分くらい私がやるので、兄上は残りの半分をお願いしますね」
ラインホルトは目を丸くした。
まさか、この弟にそこまでできるはずがない。
だが、ここまで諸問題を俯瞰的に見ているとも思っていなかったのだ。
いつの間に賢しく、勇ましくなったのか。
「……甘いな。兄を甘く見すぎだ」
立ち上がり、皇城を見下ろす。
各地で起こった争いに城の衛兵や使用人たちは大わらわだ。
早いところ始末をつけねば。
「デニス、たしかに私はお前に負けた。弱気だったお前はいつしか成長し、知勇に優れた皇子になっていたようだ。しかし……それでもなお、私には兄としての矜持がある。陛下に代わって政を司る責務がある」
「ええ……私もそんな兄上を尊敬しています。小さいころからずっと兄上の背中を見て育ってきましたから、憧れの的なんです。今でも変わらずに」
「嬉しいな。皇子として出し抜かれたことは千載の恨事。だが、兄としてお前の成長と敬愛は何よりも嬉しいものだ」
ラインホルトの顔に笑顔が灯る。
笑ったのなどいつ以来だろう。
最近はずっと眉間にしわを寄せていた気がする。
「お前を頼るとしよう。そして、お前も私を引き続き頼ってくれ」
「無論です。帝国の平和な未来を望むのなら、まずは顔である私たち兄弟が支え合わなくては」
「道理だ」
まもなく日は沈むだろう。
そして夜が明ければ、また日は昇る。
ラインホルトは落陽を見つめて手を伸ばした。
「デニス。諸問題を片づけねばならんが、ここはひとまず私に任せておけ」
「……といいますと?」
「第一皇子として命ずる。お前を待つ人々のもとへ戻り、ニルフック学園生徒会長としての役目を果たせ」
「拝命いたしました」
恭しく礼をして去っていくデニス。
ラインホルトは振り返らずにその場に留まっていた。
あの日が沈みきるまで。
少しだけ、一人で過ごしていたかった。
冷たい風が吹き抜ける。