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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
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終わる呪い

帝都エティス、皇城の貴賓室にて。

一人の老人が筆を走らせていた。

描かれるは複雑怪奇な魔法陣。


「もう少し……もう少しで、不老不死の禁術の深奥に近づく」


孫の処刑など些事。

彼……ルートラ公ヴァルターにとっては、皇城で巻き起こった騒乱など眼中にない。

ペートルスが連れ去られたことすらも知らなかった。


死にたくない。

老いと衰弱に追われるヴァルターは、何よりも死から逃れることを優先している。

不老不死の禁術さえ完成すれば――あとはどうでもいい。


どれだけの権力を持てど、富を築けど、逃れ得ぬ末期。

人を縛る『死』から逃れてこそ、真なる権力者と言えよう。


「儂は死なん。ゆえに……」


おもむろに筆を置き、机に立てかけた杖を手に取る。

腐っても帝国の政を牛耳ってきた支配者。

そしてペートルスの祖父だ。

己に忍び寄る魔の手は……容赦なく払いのける。


「死を近づけるな、痴れ者が」


杖先から迸った緋色の閃光。

暗闇を駆け抜けた鋭利な光は、躊躇なく城の天井を穿ち抜いた。


瞬間、舞った黒き影。

闇を縫って飛んだ鈍色の短刀。

刃先はヴァルターの周囲に展開された障壁に撃墜される。


「ご年配の割には良い動きをしますね、公爵閣下」


「貴様……ミクラーシュか。飼い犬に手を嚙まれるとはこのことよ。エレオノーラ・アイラリティルの始末にしくじってどこぞへ姿を消したようだが……やはり徹底的に探して殺しておくべきだったな」


「実はあの後ペートルス卿に拾われたのです。ええ、これもまた……彼の反乱の続きと言えましょう」


目にも止まらぬ速さで足を運ぶミクラーシュ。

一流の殺し屋なれど、正面切っての戦いは確実な勝利を逃す。

ましてや相手は恐るべき魔術師として知られ、邪術師の顔も持つヴァルターだ。

油断はできない。


足元から影の刃を伸ばす。

ヴァルターの背後に回り込んだ影の刃は、挟み撃ちする形で迫った。


「戦は終わったのだ。あの愚か者の負けという形でな」


杖にてミクラーシュの刃を弾き、結界にて背後の影刃を弾く。

脅威はヴァルターの膨大な魔力。

体は衰えようが、魔力は蓄積され続ける。

あらゆる攻撃を無効化する結界は、まさしく彼の死への恐怖心を表しているかのようだった。


杖を振り抜くと同時、正面を駆けた閃光。

得体の知れない紅き光をミクラーシュは紙一重で躱す。


「では、私が主に代わって結末を覆すも一興」


命をつなぎ留めてくれたペートルスには恩がある。

たとえペートルスが果てようとも、彼の意志を継ぎ。

ミクラーシュは『任務』ではなく『使命』を果たす。


「十法――《魔梳之印》」


影の波が渦巻く。

ヴァルターは悪寒を覚え、すかさず結界の強度を引き上げた。

だが、削られる。

どれだけ守りを堅くしても紙のように結界が蝕まれていく。


見覚えはある。

そして似通った術を知っている。

ヴァルターは己の知識を頼りに、己の魔力を削っていく影の波を見定めた。


己を囲む結界に邪気を宿す。

生地の隙間に樹脂を塗り込む防水加工のように。

魔力で作られた結界に邪気を編み込み、ミクラーシュの特異な攻撃を弾く。


「っ……!?」


「温い」


そして紅き閃光がミクラーシュの胸を貫いた。

血か、緋色の閃光か。

見分けのつかない美しき真紅が舞う。


「覚悟ーーッ!」


刹那。

ヴァルターの頭上から影が降り注ぐ。


敵を仕留めた瞬間、人には最も大きな隙が生じる。

息を潜めて好機を窺っていたペイルラギ。

彼は渾身の一撃を繰り出した。

いまだかつてない神速、精緻なる技。


ペイルラギの暗器は確実にヴァルターの首を捉えた。

……はずだった。


「浅いな。ミクラーシュと比して、根本の技術が劣る」


刃先。

ペイルラギの刃先に、虫のように小さな結界が接着している。


「な……!」


ピンポイントで防いだのだ。

完全な不意打ち、一流の殺し屋の神髄を。

自分をも上回る神業。

奇跡的な防御を見せつけられたペイルラギは、刮目してわずかに静止した。

そして、その間隙を逃すヴァルターではない。


「ペイルラギッ!」


「ぬうぅ!?」


半身が引き裂かれる。

死の間合いに入った獲物は逃れられない。


せめて最期に一撃を。

ペイルラギが放った暗器は、再びヴァルターに容易く弾かれた。


「まったく……馬鹿な弟子です……」


胸を抑えてミクラーシュは飛び退いた。

あの負傷、もう命は助かるまい。

早々に決着をつけ、緊急の治癒魔術を受ければ一命は取り留めるかもしれないが……ヴァルターを相手に短期決戦は不可能だろう。


そしてヴァルターは手負いのミクラーシュを前に、油断なく周囲の気を探っていた。


(顔を見たことはないが、ミクラーシュには二名の弟子があった。一人は始末した、ならばもう一人は……)


「――そこか」


もう一匹、鼠が潜んでいる。

殺意にて殺意を探り、気配を視た。

窓辺に潜む敵影に歪曲する閃光が迸る。


藪を突けば蛇が出る。

闇を破れば黒き鳥が飛び出す。


「俺をお呼びか、公爵様!」


宙を舞って飛び出した男、コルラード・アスオッディム。

彼は不敵に笑って毒の霧を巻き上げた。


視線が交差し、コルラードは一瞬で悟る。

この老人は己の師、サンロックの賢者と同等……あるいはそれ以上に手強い。

純粋な魔術の腕ならばアロルドに軍配が上がるが、その差を覆すほどの狡猾さが垣間見えた。

ならば、こちらも欺いて殺すのみ。


「お前で最後だ」


炙り出した男を殺せばミクラーシュ一門は破滅。

ヴァルターはコルラードを主に警戒しつつ、背後の瀕死のミクラーシュにも意識を向ける。


放射状に伸びた毒の霧。

そして霧に紛れて飛来する短刀。


「…………」


結界を展開。

ヴァルターの魔力は無尽蔵。

どれだけ攻撃を防いでも魔力が尽きることはない。


死なないために、生き延びるために。

とかく彼は守る術を研究してきたのだから。

命を蝕む毒になど、向けられる殺意の刃になど……屈するはずもなく。

コルラードの攻撃はことごとく弾かれる。


(被弾する前提で突っ込んでくる師匠とはまた違った……徹底的な防御だな。しかも老人なのに反射神経は半端ない。なるほど、こりゃ刺客の天敵だ)


内心で苦笑しつつも、コルラードは焦りを感じていた。

この恐るべき魔術師を落とすには。

他二名はすでに重症……勝利は自分の双肩にかかっている。


それはそれとして。


「なあ爺さん。あんたに聞きたいことがあるんだけどさ」


「……」


答えずヴァルターは杖を薙いだ。

コルラードの頭上を駆け抜ける閃光。

壁が破壊され、光石が埋め込まれた照明が落ちる。


「ペートルス様に邪器を植え付けた理由。教えてくれよ」


どうしても聞かなければならなかった。

主の無念の理由を知る必要があった。

何故ペートルスは苦しまなければならなかったのか。

ヴァルターにもやむにやまれぬ事情があったのではないか。


いかなる事情があったとしても許されることではないが、せめてこの老人が死に至る前に。

聞いておかなくては。


ヴァルターは攻撃の手を止めず。

しかし淡々と口を開いた。


「邪器を使えば不死に至れるのではないかと考えたのだ。だが実験は挫折した。それだけだ」


「へぇ……そうか。そりゃ、あんたにとっては大事な理由だな」


わかりきっていたことだ。

自明の返答なのに、コルラードはどうしても怒りが収まらなかった。

言葉は軽薄に、されど憤怒は燃え上がり。


この老獪の欲望で、ペートルスとノーラは人生を歪められたのだ。

たった十六年の寿命を定められてしまった。


「――死ねよ」


大気が震える。

わずかに吸い込んだだけでも呼吸を忘れる毒気が立つ。

己の怒りによって沸き立つ魔力をすべて毒に変え、コルラードは仇敵を睨んだ。


だが、どれだけの圧を受けてもヴァルターは退かず。

相手に怯えて後退るようでは権威ある公爵の誇りは守れない。


そして、コルラードの『死』という言葉は。

ヴァルターの神経をひどく逆撫でした。


「儂は死なん。儂に……このヴァルター・イムルーク・グランにだけは! 死ねなどと言ってくれるな、痴れ者がッ!」


ああ、狙い通り。

コルラードはヴァルターの本質に触れた。

落ち着きを失わせることに成功した。


とてつもない魔力を帯びた閃光が毒霧を薙ぐ。

同時、息も絶え絶えのミクラーシュが動いた。


「さて……最後の、仕事です……」


落下した照明に駆け寄り、魔力を宿す。

ミクラーシュの魔力を受けたオレガリオ光石が眩く輝き――なおもミクラーシュは魔力を注入し続ける。


「煩わしい……!」


光が爆発。

過剰な魔力を注ぎ込まれた光石は、夜闇を食い破る光を放つ。

ヴァルターの視界が眩んだ。


同時にミクラーシュは倒れる。

満身創痍に、ほぼすべての魔力を使い果たし。

コルラードの撒いた毒霧に体を沈めた。


「ルートラ公……あんたさ、呪われてるんだよ」


当意即妙、以心伝心。

闇の世界に生きる者として通じ合うものがあった。

ゆえにコルラードはすぐに適応し、ヴァルターの死角へと回り込めた。


突き出された毒の刃。

寸分たがわず急所を突く軌道。


「儂が呪われているだと? 世迷言を」


防がれた。

やはり手練れ、数々の死線を乗り越えてきた猛者。


鍔競り合う黒杖と毒刃。

コルラードはヴァルターの皺だらけの顔を正面から見て、やはり笑った。


「生の呪いさ。誰よりも、何よりも、死を恐れている。それはきっと……あんたが生に呪われているからなんだ」


「そうか。ならば、儂は一生呪われていても構わん。死ぬつもりなど欠片もない」


コルラードの背後に屈折した魔力が舞う。

背後、不気味な紅い光。

鋭利な閃光が彼の真後ろに迫っていた。


「さらばだ、死の運び手どもよ」


ヴァルターが杖を弾き、コルラードを押し出した瞬間。



「あああぁーッ!」


息を潜めていたイトゥカが飛び出し。


――ヴァルターの首を掻っ切った。

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