対峙、未来のために
立ちはだかったエリオドロとアロルドを乗り越えて。
ノーラ、デニス、セリノの三名は監視塔の地下に突入した。
「鍵が開いています。ペイルラギ殿が開けてくれたと言っていましたね」
セリノは扉を小さく開け、慎重に歩みを進めていく。
彼は続くデニスを手で制止した。
「……守衛が見えます。殿下、私が始末するのでしばしお待ちを」
コルラードが離れた今、露払いはセリノの仕事だ。
だが待ってほしい。
できるだけ事は荒立てたくないし、血も流したくないのだ。
「セリノ様。ここはわたしにお任せください」
「ノーラ殿……? 危ないですよ」
「大丈夫です。たぶん」
幻影魔術を発動。
鈍色の靄が三人を包み込み、溶けて消える。
姿が透過されたノーラとセリノを見て、デニスが声を上げた。
「うわっ! ……っと、すみません。守衛には気づかれていないようですね」
幸いにもデニスの声で気づかれた様子はない。
「これがノーラさんの幻影魔術……すごいですね。とても珍しい属性だと聞いていますが、体感できて光栄です」
「これでこっそり守衛さんたちの横を抜けていきましょう」
足音を殺し、息を殺し。
三人は兵の目を掻い潜った。
デニスが経路を指示し、セリノが先陣を切り。
そしてノーラの魔術にて兵の目を欺いて。
監視塔の地下にある捕虜収容所に至る。
「ここのどこかにペートルスがいるはずです。昔の戦争をきっかけに作られた大規模な収容所ですから、端から端まで探すのはかなりの時間がかかります。効率的に探す手段はないものか……」
『ならば我に任されよ』
不意に声が響いた。
何者かとデニスとセリノは身構えたが、心配には及ばない。
ノーラが背負っていた弦楽器から飛び出した七色の光。
式神は人の形を成すことなく、ぼやけた光球のまま宙に滞留する。
「こ、これは?」
「式神です。怪しいものじゃありませんよ」
「シュログリ教の巫術で呼び出されるという霊体……初めて見ました。お母様がシュログリ教の元巫女長なだけはありますね。ノーラさんには驚かされることばかりです……」
呆気に取られたように光球を見上げるデニス。
そんな彼の頭上をぐるぐると飛び回り、式神は誇らしそうに声に喜悦を滲ませる。
『いかにも我はエウフェミアの、そしてエレオノーラの式神なり。ゆえにこそ邪気を敏感に捉えることもできよう。ペートルス・ウィガナックの邪器を探るもまた容易』
左右にフラフラと覚束なく漂い、式神は周囲の気を探った。
『ふむ……こちらだな。あの小僧の気を感じる』
「行きましょう」
式神に導かれ、薄暗い地下を往く。
今やほとんど使われることのない牢獄。
ノーラは歩きながら考え込む。
(妙だ……ここにペートルス様がいるのなら、もっと警備は厳重なはず。でも守衛一人の影も見えない。本当にペートルス様はここにいんのか……?)
奥へ、奥へと進む。
どれだけ歩いただろうか。
やがて式神の進行が止まった。
『……見えたぞ。アレだな』
そう告げると同時、式神はノーラの楽器に引っ込む。
最深部に近い場所には彼がいた。
寝台の上で安らかな寝息を立てる……ペートルス・ウィガナックが。
「ペートルス様……!」
ペートルスが安置されている部屋の鍵は開いていた。
ノーラは警戒も忘れて走り寄る。
そっと彼の体に触れてみる。
温かい。
けれど、どこか冷たくて。
「あの……ペートルス様。わたし、来ちゃいました……」
返事はない。
言葉をかけても、体を揺すっても。
彼はただ眠り続ける。
とても安らかな寝顔だった。
まるで時間が止まったように。
「ノーラさん……どうするのですか? やはり彼は……」
「…………」
やはり彼は、聖歌で目覚めさせるしかない。
しかしそれが意味するところは、ペートルスの記憶の喪失。
今ここで歌うのか?
ノーラは決心ができない。
なんとしても彼を救う覚悟ができたのに……いざこの局面になって、揺らいでいた。
「わたしは……」
「――貴公らにこの政局を覆すことはできない」
揺らぐ決意。
そこに割って入った冷徹な言葉。
声色はデニスにとって何よりも聞きなじみがあり、恐ろしいものだった。
漠然と感じていた不安が輪郭を帯びた瞬間。
事ここに至りて、この大敵が立ち塞がらぬわけがない。
「兄上……」
「デニス、私の言葉は覚えているな。今この瞬間より、お前を正式な敵として認めよう」
ラインホルトが片手を挙げると同時、近衛兵が周囲を取り囲んだ。
やはり罠だったのだ。
衛兵が不自然なまでにいないことも、ペートルスが最奥に配置されていたことも。
すべてはラインホルトの計略だった。
騎士団もサンロックの賢者も、乗り越えられることは承知の上。
きっと弟ならば超えてくる。
弟を認めているからこそ、彼は何重にも策を重ねた。
「さすがですね、兄上は。すべて兄上の掌の上だったというわけですか」
「ここまでたどり着いたのは見事だ。成長を賞賛しよう。だが……帝国の未来は、教育の道具として使うには重すぎるのだよ、デニス。機能しなくなったペートルスを犠牲にするか、あるいはルートラ公と事を構えるか。為政者ならば前者を取るのは必然」
「兄上……僭越ながら申し上げます。私は兄上の『敵』になるつもりはありません。そして帝国の未来を壊すつもりもありません。すべてを救う、そのためにここにいる」
大勢の兵を前にして、デニスは毅然として振る舞う。
絶望はしない。
希望のみを瞳に宿す。
弟の威勢を見て、ラインホルトは眉を上げた。
「ほう。であれば、なんだ? お前は何が言いたい?」
「兄上は……今に限って言えば、私の敵ですらないということです」
瞬間、眩い薄氷が足元を満たした。