帝都にお出かけ
「……や、やばい。これはやばいですペートルス様」
往来の中、必死に吐き気を耐えるエレオノーラ。
グラン帝国、帝都エティス。
世界最大の都市とも謳われるその只中で……彼女は足を小刻みに震えさせていた。
「大丈夫、ただ人がたくさんいるだけだ。君の輝きに比べれば誰もいないも同然だよ」
「洒落たこと言ってないで早く人気のないところに行きましょう……」
二人がいるのは貴族街で、繁華街に比べれば人はまったく少ないくらいだ。
しかしながら衆目に晒された経験がほとんどないエレオノーラにとって、都の刺激は大きすぎた。
さて、なぜ二人が帝都にいるのかという話。
ことの経緯は先日の会話に遡る。
休日にはエレオノーラと時間を過ごしたい……そんな何気ないペートルスの一言がきっかけになった。
珍しく一日の予定が空いたということで、半ば強引にエレオノーラは帝都へ連れていかれることに。
路地裏に駆け込み、うずくまる。
呼吸を乱すエレオノーラを見てペートルスは苦笑いした。
「通りゆく人々は、誰も君のことを怖がったりしていなかった。呪いで怯えられることを恐れる必要はないんだよ。……とはいえ、いきなり都に行くのは難しかったかな」
「……ごめんなさい。どうしても他の人の視線が気になって……誰もわたしごときに関心を抱くわけないのに……」
こんな調子じゃ駄目だ。
嗚咽を必死にせき止めてエレオノーラは顔を上げた。
屈みこむペートルスと視線が合う。
「はぁ……うざいですよね、すみません。もう喚くのはやめます」
「そんなこと思ってないよ。ただ僕は……レディ・エレオノーラは人前に出ることに慣れるべきだと思っているんだ。呪いの抑制方法がわかった以上、ある程度人との交流は避けられない。君の境遇を考えればつらいのも理解できるけど」
「いいえ、つらくなんてありません。自分の環境に甘えるのは嫌なんで……ペートルス様がせっかく時間をくれたのです。がんばって克服します」
「そうか……その意気だ。君は強いね」
強いというか、あまりにも自分が情けなさすぎるというか。
今一度深く息を吐いてエレオノーラは立ち上がる。
大丈夫……ただ歩くだけだ。
道行く人は自分を奇異の目で見たりしないし、呪いで恐れたりもしない。
薄暗い路地裏から、光満ちる大通りへ飛び出して――
「あ、ペートルス様。やっぱり先歩いてもらっていいですか? 道がわかりません」
「承知したよ。さて、どこへ行こうか? レディ・エレオノーラは行きたいお店とかある?」
「あ、あんまりないです。てか何があるのか知らないです。ペートルス様の……ペートルス様に、ついていきます」
「それじゃ、おすすめの喫茶店に行こうか。甘いものは好き?」
「好きじゃないです。……あ、いえ、なんでもありません大好きです」
◇◇◇◇
"本物"を知らず。
エレオノーラにとって甘味とは――絶妙に舌に残り、しつこくてうざったく、そして食後に気持ち悪くなるものであった。
しかし、その甘味は贋作であると今日知ることになる。
帝都エティスの本格パティシエが作ったケーキを食べ、エレオノーラの概念はひっくり返ってしまった。
これまで実家で食べてきたのは甘味を偽装した、謎の食物であったと。
「その様子だと気に入ってもらえたのかな? 世界中から集めた材料とパティシエによって作られるスイーツは、なかなか美味だろう?」
「正直、甘く見ていました。甘味だけに」
「……うん」
ふわりととろけるパイ生地、軽く深みのあるマンゴーソース、絶妙な酸味のイチゴ。
絶品のタルトを前にエレオノーラの手は止まらない。
添えられた紅茶もさっぱりしていて完璧だ。
「レディ・エレオノーラは今までもスイーツの類に手をつけていなかったよね。当家の料理人のスイーツも悪くないと思うんだけど」
「……あ、気づいていたんですね。完全に食わず嫌いでした。実家の甘味が微妙すぎて……全部そんな感じかと」
おそらく夜会で手の付けられなかった余り物とか、賞味期限間近のスイーツばかりが食事に添えられていたのだろう。
そのせいでエレオノーラは甘味に偏った認識を持っていたらしい。
ちゃんとしたものなら美味いのだ、ちゃんとしたものなら。
「わたし、わりと偏食で。誰も好き嫌いを注意する人がいなかったから、嫌いな食べ物が多いんです」
食べられないものが料理に入っていたら、こっそり庭の肥やしにしていた。
おかげで離れの庭は栄養満点、雑草生え放題であった。
「厳しい躾には辟易することもあるけど、逆に誰からも期待されないのも苦しいよね」
「ペートルス様は……すっごく厳しい躾を受けてそうですよね。特にあのルートラ公爵様とか怖そうでしたし」
「いや、そうでもないよ? 幼少の砌は親に甘やかされ、誰からも期待されていなかった。だからこそ必死に自己研鑽したんだ」
「へー……意外です。やっぱり完璧に見える奴も努力してるんですね」
「僕は完璧に映っているかい? それはよかった」
心底安堵したようにペートルスは息をついた。
他者からの評価と視線を何よりも気にしている彼にとって、エレオノーラの言葉もまた大いに心の糧となるものだった。
怯えていないだけで、彼はエレオノーラ以上に他人の視線を意識しているのかもしれない。
「……あ、もうなくなっちゃった」
「おかわりする? 好きなだけ食べていいよ」
「えぇー……なんか太りそうで心配です。でも……」
「食べたならそのぶん運動すればいいんだよ。今日は羽目を外そうじゃないか」
葛藤するエレオノーラに対し、ペートルスは甘い追撃を仕掛ける。
ならもうひとつだけ注文を……とエレオノーラは追加のスイーツを頼んでしまう。
彼女が嬉しそうにスイーツを食べる姿を、ペートルスは微笑んで見守っていた。