高貴なる不審者
朝日を受けて輝く黄金の髪。
目を合わせるだけで吸い込まれそうな真紅の瞳。
精巧なガラス細工のように整った相貌がじっとこちらを見つめている。
得体の知れない青年を前に、エレオノーラは硬直した。
こんな人間は本邸の使用人にいなかったはず。
ひとたび顔を見れば決して忘れられないほどの美しさだ。
「はじめまして。貴女がレディ・エレオノーラかな?」
青年は問うた。
だが、エレオノーラの舌は動かない。
歌を聞かれて恥ずかしいとか、目の前にいる少年が美しいとか、そういう領域の話ではなくて。
――人と話すのが久しぶりすぎる。
エレオノーラは話し方を忘れていた。
離れで独り言ちることはあれど、誰かと面と向かって言葉を発するなど。
「あ、あ、あ、あ、」
「……?」
口をパクパクさせて顔を紅潮させていくエレオノーラ。
彼女を前にして少年は小首を傾げた。
「どぁ……どちら様ですか」
「!?」
しまった、とエレオノーラは咄嗟に口を両手で塞いだ。
しかし吐いた言葉は戻せない。
ていねいに誰何するはずが、とんでもない暴言が飛び出てしまった。
孤独にやさぐれること八年間、いつしか孤独に罵言を吐くことが常習化して……ついに対人にまで悪態が出るようになっていた。
「あ、ふ、しし、失礼しました! わた、わたたっ、たわしがエレオノーラ・アイラリティルです!!」
次には声量を間違えた。
噛み噛みに噛んだ後、発したのは大音量の声。
目の前の青年は軽く顔をしかめて耳に手を当てた。
エレオノーラはサッと青褪める。
相手の鼓膜に深刻なダメージを与えた可能性。
一方的に加害妄想を膨らませるエレオノーラをよそに、彼はにこりと笑った。
「ああ、人違いじゃなくてよかった。ふむ……噂の『呪われ姫』、どんなものかと思っていたが。存外に大したことないのかな……?」
青年は少しずつエレオノーラに歩み寄り、距離を縮めていく。
その度ごとにエレオノーラは一歩退いた。
「ええと……警戒されているのかな? 失礼、名乗り遅れた。僕はペートルス・ウィガナック。怪しい者じゃないから安心してほしい」
ペートルス・ウィガナック。
頭の中でその名前を反芻する。
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
残念ながらエレオノーラは社交もせず、貴族の家名も知らぬ無知。
名前だけ聞いてもどこの家の者かわからない。
「わた、わたしに近づくと……気が、狂いますよ……」
エレオノーラは人に近づきたくないわけではない。
人が近づくことで、相手を狂わせてしまうことが怖いのだ。
彼女の呪いは姿を見た者の精神を蝕み、恐怖を与えてしまう。
「それなんだけど……聞いていたよりも恐怖を感じなくてね。多少の重圧はあるが、それだけだ。レディ、よろしければもう少し近づいても?」
こくり、とエレオノーラはうなずいた。
別に謎の青年がどうなろうと知ったことではない。
ペートルスはゆっくりとこちらへ歩み寄り、次第に距離が近くなっていく。
すでに常人ならば震えながら逃げ出している間合いだ。
しかしペートルスは歩みを止めず、エレオノーラの眼前まで迫った。
「……うん、特に問題はない。ちょっと残念」
「はぇー……」
エレオノーラは驚愕の目でペートルスを見上げる。
この人は心臓に毛でも生えているのだろうか。
「ああ……少し鼓動が早くなっている。多少呪いとやらの効果は見られるが、僕を戦慄させるほどではなかったか」
ペートルスはおもむろに膝をつき、胸ポケットからひとつの瓶を取り出す。
唐突な行動にエレオノーラは呆けていた。
「無闇に近づいた無礼をお許しください、レディ。お詫びに帝都で流行りの香水を」
「あ……」
おずおずと香水を受け取ったエレオノーラは、どうしたらいいのかわからずに固まった。
香水なんてつけたことがない。
そもそも今現在も寝ぐせがはねて、寝間着姿の無頓着さだ。
「あ、あのぉ……ありがたく頂戴します」
「くっ……ははっ! 正直なお方だ。不要なら捨ててもらっても構わないよ」
(ま、またやってしまったぁー!)
再び本音と建前が逆になってしまったエレオノーラ。
せっかく受け取った高級そうな香水を。
いらないと吐き捨ててしまった。
八年間にわたって染み付いた悪態は簡単に隠せるものではない。
ぺこぺこと頭を下げて弁明しようとしても言葉が出てこなかった。
「そろそろ僕は失礼するよ。あと……この敷地にはロード・イアリズの許可を取らずに侵入してるんだ。できるだけ他言は無用で頼む」
「は、はひっ!」
要するに不法侵入してきた、怪しい人間ということだ。
さすがに警備が緩すぎやしないだろうか……と思ったエレオノーラだったが、そもそもこの離れは警備の対象になっていないのかもしれない。
去り際、ペートルスは振り返って告げた。
「また来てもいいかな?」
「え」
あれほど失礼な態度を取ったのに、また来たいとは。
この少年はよほど物好きなのだろうか。
特に拒否する理由もないので、エレオノーラは適当にうなずいた。
「ありがとう。では、また」
こう言っているが、どうせ二度と来ないだろう。
そう思いエレオノーラは離れの中に戻った。