予感、渦巻いて
「さ、こっちだ」
コルラードに導かれ、ノーラたちは城の外壁にたどり着く。
外壁の一角に崩れかけた抜け道。
こっそりと開いた抜け道から一人の男が顔を出した。
瞬間、ノーラは飛び退く。
「っ……テメェは……!」
全身を黒装束で包んだ細身の男。
その姿には見覚えがあったのだ。
ノーラは本能が告げた危機感に従い、即座に警戒姿勢を取ったが……コルラードはそんな彼女を宥めるように言った。
「コイツは……ペイルラギとはまあ、色々とあってさ。警戒するのもわかるが、今は味方だ。安心してくれ」
「貴殿はエレオノーラ・アイラリティル殿でござるな。某はペイルラギ。ペートルス様に従う刺客でござる」
このペイルラギという男は、教皇領で自分を殺しに来た刺客だ。
警戒を解かず睨むノーラを見てデニスが尋ねた。
「お知り合いなのですか?」
「この人は……わたしの命を狙いにきた刺客です。それに、シュログリ教の神職の方々を惨殺した残虐な人でもあります」
「そ、そんな……しかし彼はペートルスの配下なのでしょう? ペートルスがそのような命令を出すとは思えませんが……」
「まあまあ、いったん落ち着こうぜ」
コルラードが動揺と警戒が渦巻く面々の間に割って入る。
このままだと良くない方向に話が向かいそうだ。
弁明するようにペイルラギは言葉を紡いだ。
「話せば長くなるが……あのころの主はルートラ公であった。そこで任務を仕損じ、ルートラ公から始末されかけていたところを、ペートルス様に助けられたのでござる。わが師ミクラーシュ、相棒のイトゥカともども、今やペートルス様の手先。信じてくれとは言うまいが、ここは利害の一致ということで見逃していただきたい」
「そういうこと。ペイルラギにはあらかじめ城に忍び込んで、侵入経路を作ってもらったんだ。まあ、ここから一緒に行動することもないからさ。勘弁してくれよ、ノーラ」
「コルラードさんがそう言うのなら……わかりました。今は仲間内で争っている場合ではありませんからね。先に進みましょう」
もちろんシュログリ教の神職を惨殺された過去は忘れない。
水に流すわけでもないが、今ばかりはペートルス救出という目的のために協力しよう。
一行が城の敷地内に侵入すると、ペイルラギは再び外壁の崩れかけた箇所を塞いだ。
一見すれば綻びがないように見える。
しばらくはここから侵入したことはバレないだろう。
「さて……某は他にやるべきことがあるゆえ、これにて失礼する。ペートルス様が閉じ込められている監視塔の地下の鍵は開けておいた。コルラード殿、あとは任せても良いか?」
「おう、任せろ! ……そっちもよろしく頼むぜ」
「委細承知。身命を賭して成し遂げる所存。ペートルス様を、どうかお頼み申す」
そう言い残すとペイルラギは闇に姿を消した。
何を企んでいるのかは知らないが、障害にならないことを祈る。
「よし、城には忍び込めたな。あとはペートルス様を救出するだけだが……なあ殿下。あんたの方が城の構造には詳しいだろ? ペイルラギによると、ペートルス様が閉じ込められているのは地下らしいんだけど」
「はい。地下というと……おそらく監視塔の捕虜収容所ですね。それならば居館の裏庭を抜ければ、目立たずに近づけるでしょう。あとは守衛を無力化して塔に侵入……これはコルラードさんにお任せしても大丈夫でしょうか?」
「おう、任せてくれ! じゃあ行こうか」
「私が先導します。誰かが来たらすぐに合図するので隠れてください。最悪、私ならば誰かに見つかっても問題ありませんから」
三名は足音を殺してデニスに続く。
前を歩くコルラードの耳元にセリノが口を寄せ、殺意の滲んだ声で囁いた。
「……コルラード殿。殿下を相手に『あんた』呼ばわりは無礼が過ぎますよ。今は大目に見ますが……後でわかっていますね?」
「お、おう……悪い……」
◇◇◇◇
監視塔付近にある居館の裏庭を抜け、ノーラたちは監視塔の前にたどり着いた。
しかし監視塔の門を陰から覗き見て、デニスは足を止める。
守衛が入り口を厳重に守っているようだ。
「コルラードさん。無力化を頼めますか?」
「おう、任せろ」
「くれぐれも殺さないようにお願いしますね」
親指を立ててコルラードは進み出る。
彼の指先から伝った魔力は透明な毒霧となり……守衛たちの意識を一瞬で刈り取る。
倒れた守衛たちは呼吸を止めていない。
デニスの要求通り、命までは奪わない速やかな無力化。
さすがはペートルスの斥候だ。
「さーて、それじゃあペートルス様とご対面……」
「――そりゃあ無理な話だな、馬鹿弟子よ」
進もうとした一行の前に、巨大な岩石が降り注ぐ。
何事かとノーラは岩の上を仰ぎ見た。
そこに立っていたのは茶髪の偉丈夫――サンロックの賢者アロルド。
彼の姿を見た誰もが苦い表情を浮かべる。
「賢者殿……まさか、あなたも……」
「おう殿下、そのまさかだ。まあ、俺は元々ラインホルト殿下に雇われた身なんでね。いい歳したオッサンが若者たちの邪魔をしにきたってワケさ」
……ここに来てマズいことになった。
魔術師ならば誰もが知るような重鎮『サンロックの賢者』を相手に、やり合えるわけがない。
ノーラもデニスもセリノも、誰もが計画が失敗に近づく予感を抱いた。
――ただ一人、コルラードを除いて。
「んー……残念だけど、師匠は俺たちの『馬鹿』を認めてくれないんすね」
「悪いな。ガキの遊びって一笑に付すわけじゃねえさ。むしろお前さんたちの選択は……帝国の未来を変える戦いだ。だからこそ、一人の大人として。仕事をしに来ただけだ」
「そっすか。じゃあ……俺も一人の大人として向き合おうか!」
コルラードは懐から短杖を取り出す。
そしてノーラたちに目配せした。
「馬鹿師匠とは俺が遊んでおくんで。あんたらは先に行っててくれよな!」
「で、でも……コルラードさんがいないと! わたしたちだけじゃ、さっきみたいに守衛を退けられません!」
「よく考えてみろよ。師匠がここの警備をしていたってことは……ペートルス様はこの塔の地下にいる。だからもう大丈夫、先に行け!」
図星だ。
アロルドは弟子の推測に舌を巻く。
「……行きましょう、ノーラさん。セリノ、殿を頼みます」
「承知しました。さあ、ノーラ殿」
急がなくては。
ノーラは逡巡を振りきって走り出す。
「コルラードさん……師匠、超えちゃってください!」
去りゆくノーラの期待を受け取り、コルラードは苦笑いした。
「とんでもない応援だな……師匠超えちゃえってさ。まあ、実現するんだけどな」
「ほう、ずいぶんと自信があるじゃねえか? コルラードよ」
「師匠のもとだけで育ってきたわけじゃないですから。『サンロックの賢者の弟子』じゃなくて、刺客『凶鳥』として。
仕事を始めさせてもらいますよ、アロルドさん」
殺意が渦巻く。
見たことのない弟子の姿。
そして、これから見せることになる師の本気。
アロルドは新たなる戦いの幕開けに身震いした。