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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
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神託

「邪器を浄化することすなわち、彼の人格を消すことと同義なのだから」


「……どういう、ことですか?」


「そのままの意味だよ。邪器は記憶と密接に結びつく。邪器という優れすぎた感覚器官で得た情報は、深く記憶に根差している。とりわけペートルス・ウィガナックは物心ついたばかりのころから、その器官に慣らされてきた。邪器を浄化するということは、彼が三歳のころから蓄積してきた記憶領域を破壊することと同義。わかるかね?」


「わかんない……わかりたくない、です……」


ノーラは現実を受け入れがたい思いでかぶりを振る。

せっかく光明が見えたのに、ペートルスの記憶が消えてしまうなんて。


イクジィマナフの言葉に、エルメンヒルデは釈然としない様子だった。

彼女は頭をとんとんと叩いて首を傾げる。


「ヒトの記憶って、脳にあるんですよね? どうして左耳の器官を切除すると、記憶も消えちゃうんですか?」


「記憶の拠り所は魂だ。君のような式神であれば、どれだけ肉体が破壊されても魂が無事なら記憶を保持できる。しかし、人間は魂を宿す箇所と脳……どちらかが欠ければ記憶を保持できなくなる」


「ほぇー……さすが神様、色々と知ってますねぇ。じゃあ、ペートルス先輩が魂を宿す箇所は左耳ってことですか?」


「一般的な人間は脳に魂を宿すが、邪器を持つような特殊な人間は異なる。邪気と神気は魂を惹きつける性質を持つからね。たとえばエレオノーラ・アイラリティルも、右目を浄化されれば魂が虚ろとなり、正常な人格を保てなくなるだろう」


ジレンマだ。

ペートルスの邪器を浄化しなければ、寿命ですぐに死んでしまう。

けれど浄化すれば記憶が消えてしまう。

どちらを取っても残るのは苦い味で。


いったいどうしたらいいのだろう。

苦悶の表情を浮かべるノーラを一瞥し、イクジィマナフはカウンターに置かれている飲み物を魔法で温め直した。


「これらの情報を与えたうえで、自分で未来を決めろ……などと神託をするのは、さすがに無理があるだろうか」


「…………わたしは」


胸を張って『任せてください』と豪語したかった。

本当なら誰よりも強く、一途に、ペートルスを想っていたかった。

それでも突きつけられた条件に対して、ノーラは迷いなく胸を張ることができない。


「……話は以上だ。疑問点はあるかね?」


イクジィマナフの話を聞き終え、煮えきらない思いでうなずいた。

正直、聞きたいことばかりだ。

吐き出したい不安ばかりだ。


ノーラの心情を汲んだのだろう。

エルメンヒルデが考える時間を稼ぐため、イクジィマナフに適当に尋ねた。


「神様ならなんとかできないんですか? ……って、無礼ですかねぇ……あはははは」


「本意ないが、私は君たちの神でも、シュログリ教の神でもない。あくまで焔神の知己というだけで、人に寄り添う役儀にあらず。……彼ならば意地でも助けようとしただろうがね。アレはまさしく主神と崇拝されるに相応しい神だったよ」


人の道は人の手で切り開く。

己が未来は己の手でつかみ取る。

そこへ至るための助言はすれど、直接的に手を貸すことはない。

それがイクジィマナフという神の生態だった。


「あの……質問です。もしもわたしがペートルス様の記憶を消してでも、あの方の邪器を浄化するとしたら……そのときはただ聖歌を歌えばいいんでしょうか? それとも何か特別な儀式が必要だったり?」


「良い質問だ。聖歌はただ歌うのみではなく、そこに旋律を乗せることで真価を発揮する。先程の楽譜に旋律も記載してある。唱う者はエレオノーラに限られるが、奏者は誰でも構わない」


さすがに自分ひとりで歌って奏でるのは不可能だ。

そういえばペートルスが自分の歌に旋律をつけてくれたことがある。

楽譜を見れば、あの旋律が自然と思い出された。


「……わかりました。答えはちゃんと決めます」


「いいの、ノーラちゃん?」


エルメンヒルデは心配そうにノーラの顔を見た。

ペートルスの記憶を代償に目覚めさせるか、あるいはこのまま寿命の楔に縛られてこの世を去るか。

いっそこのまま逝去した方が彼にとっては楽かもしれない。

どちらにせよ、罪人の汚名を着せられて処刑される――なんて未来は、ノーラは認めないが。


「わたしだけがペートルス様の未来を決めるわけじゃないよ。みんなの尊敬するあの人だから……ちゃんと話し合おう。笑って未来を迎えられるように」


ノーラの言葉を聞き届けたイクジィマナフは瞳を閉じた。


「己が足で立ち、幸福な未来を迎えよ。何ひとつ切り捨てることなく、望んだ結末へ至れ――これを神託とし、結びとしよう。君たちのことをいつまでも見守っているよ」


瞬間、二人は山の中腹に立っていた。

蜃気楼のように消えた神を後に、決意を抱えて帰路に就く。


 ◇◇◇◇


「そうですか。無事に神託を賜ったようですね」


報告を受けた教皇は柔らかく笑った。

やはり神は神、導を与えるものだ。

ペートルスを救う光明も見えた、それと同時に複数の問題も垣間見た。


「完全な解答を残すのではなく、人の選択に未来を委ねられましたか。しかし神より御言葉を賜った以上、シュログリ教皇として蔑ろにするわけにはいきません」


「……では」


ノーラの期待を込めた視線に、教皇は鷹揚にうなずく。


「宗教派は第二皇子デニスを支持します。……とはいえ、直接的に手を貸すことはできません。戦力の供与は不可能。あくまで後方支援、立場の表明に留まります。ペートルスの反乱から、さらに大きく戦火を広げることは避けねばなりませんからね」


「あ、ありがとうございます! 期待に応えられるようにがんばります!」


「まあ……何かとルートラ公爵は宗教派に攻撃を仕掛けてきていましたから。痛い目にあってもらう良い機会でしょう。……さて、エレオノーラ。私は巫女長と少し話がありますので、先に出ていてください」


「承知しました。では失礼します……!」


ノーラが去ったことを確認し、教皇は疲労の濃いため息を吐いた。

彼は重い身体を椅子に沈めて天を仰ぐ。


「私も最後の大仕事をするときが来たようです。まったく、私にルートラ公に……この国は老獪が蔓延って辟易しますね。いつ逝ってもおかしくない老境、死ぬ前にシュログリ教の障害はできるだけ取り除いておかねば」


「笑えない冗談です」


「いえ、冗談ではありませんよ? 私は本気でシュログリ教の未来を憂いている。あなたもそうでしょう、巫女長?」


「左様でございます」


エルメンヒルデは淡々と答えた。

シュログリ教のためならば命をも捧げる所存だ。

それが主の遺志なのだから。


「では、エルメンヒルデ。いえ……エルメンヒルデらしい誰か。あなたが何者なのか存じ上げませんが、私はあなたを信頼しています」


「…………」


エルメンヒルデは、教皇にも身の上を話したことがない。

それでも正体はとうに見透かされていたようだ。


いつから自分が人間ではなくなったことに気づいていたのだろう。

いつから『彼女』と入れ替わったことに気づいていたのだろう。


「エレオノーラたちに戦力を貸せない代わりに、あなたを貸しましょう。シュログリ教のためではなく、自分の意志で動きなさい。今このときだけは、あなたから巫女長の任を解きます」


「……諾了」


踵を返したエルメンヒルデ。

彼女は迷いひとつ見せることなく、ノーラの後を追った。

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