呪われ姫
ニルフック学園、旧校舎。
荒れ果てた校舎の中でマインラートは深い絶望に沈んでいた。
届いた報せはペートルスの敗北。
反乱は失敗に終わり、ルートラ公は健在。
そしてペートルスは処刑されるという。
「……私たちの敗因はルートラ公の『奥の手』を見抜けなかったこと。まさか旗印たるペートルス卿を一瞬で無力化する術があるなど、誰が予想できましょうか。ルートラ公の用心深さには驚嘆するばかりですよ」
ペートルスに仕えていた刺客、ミクラーシュは苦しげに言う。
反乱軍とマインラートは密に連絡を取り合って共謀していた。
マインラートとしては本気で勝ちに行っていたつもりだ。
それでもなお、訪れたのは敗北という結末で。
「じきに俺も親父から然るべき処分を受けるだろうな。追放刑ならまだマシ、最悪はペー様の後を追ってあの世行きかもしれねえ」
宰相たるスクロープ侯爵の派兵を封じ、反乱軍を支援したマインラート。
もちろん彼も罪に問われることは明白だった。
すべて覚悟の上だった……つもりなのに、いざ死を前にすると恐怖が募る。
「まあ……なんだ。ミクラーシュもお疲れさん。不幸中の幸いは、ペー様が倒れたことで戦が収まったことだ。お前の部下とかコルラードも無事なんだろ?」
「ええ。しかし、ここからどうするべきか。潔く逃げるか、あるいはペートルス卿を助けに行くか」
「ハッ……助けるだって? ペー様を目覚めさせる方法も知らないのに、か? 冗談もそのへんにしとけ」
「道理です。しかし……本校舎の方では、まだ諦めずにどうにかしようとしている方々がいるみたいですよ」
マインラートは訝しげな表情で顔を上げた。
この無人の学園に誰がいるというのか。
「カラスと視界を共有する術にて本校舎の様子を監視していました。たった今、デニス殿下に従者セリノ、ルートラ公爵令嬢、セヌール伯爵令息、そしてノーラ・ピルットが策を立て始めたようです。……ペートルス卿を救うための策を」
ぎり、と。
静かな部屋に響き渡るほど力強い、マインラートの歯ぎしりが響いた。
彼の手は小刻みに震え、呼気は荒くなっている。
その震えは恐怖ではなく――憤怒だ。
「ふざ、けんな……何やってんだ、あの連中は……!」
椅子を蹴り飛ばし、マインラートは旧校舎から飛び出していく。
彼の背を見つめてミクラーシュは嘆息した。
「やれやれ……困りましたね。自身の不甲斐なさと、未来の不透明さに腹が立ちます。人情、などというものは刺客として捨て去ったつもりですが……」
ゆらりと影が舞う。
一瞬にしてミクラーシュは姿を消した。
◇◇◇◇
五人はペートルスを救う手立てを探り、議論していた。
時間がない。
ペートルスの処刑がいつ実行されるか不明な以上、可及的速やかに動かなければならない。
「……わかりました。宗教派との交渉はノーラさんに一任します。可能であれば、宗教派のウォラム侯爵家の令息……ガスパルにも協力を仰ぎましょう」
「ありがとうございます。必ず……やってみせます」
各々が今後の段取りについて議論していると、荒々しく教室の扉が開いた。
一同は驚いて顔を上げる。
そこには顔を紅潮させたマインラートの姿が。
「マ、マインラート! 来てくださったのですね!」
フリッツは瞳を輝かせて立ち上がる。
しかしマインラートから返ってきた反応は、予想外のものだった。
「あんたら……ここで何してる」
「マインラートさん。私たちはペートルスを救うために作戦を立てているのです。あなたがここを訪れたのも……きっと彼を救うため。そうでしょう?」
デニスは顔色が優れないマインラートを警戒しつつも、笑顔を向けて歩み寄った。
しかし彼が差し伸べた手をマインラートは激しく振り払う。
瞬間、セリノがデニスの前に立つ。
「殿下、お下がりください」
「ふざけんな。あんたら、どうしてペー様が反乱を起こしたのか知りもしないで……あいつの気持ちを知りもしないで……! これは遊びじゃねぇんだ、お遊戯じゃねぇんだ!」
怒号が轟く。
激情を乗せたマインラートの叫びが。
「マインラートさん……?」
「遊びじゃねえ、本物の戦だ! 帝国の未来を賭けた大一番だ! ペー様は……ペートルス様は、グラン帝国の未来のために反旗を翻した! それなのにあんたらは! これ以上厄介事を起こして、まだ血を流す気かよ、死ぬ気なのかよ!?」
俺たちは負けたんだ。
もう結末は変わらないんだ。
そんな悲痛な叫びが、マインラートの喉から締め出される。
ペートルスは英雄になれなかった。
大罪人として歴史に名を刻むことになるだろう。
それでもマインラートは彼の雄姿と、帝国のために立ち上がった意志を忘れないから。
これ以上、ペートルスの末期を汚すのは御免だった。
有終の美では終わらない。
マインラートが終わらせない。
「マインラート様。わたしたちの願いはお遊びじゃありません。これ以上帝国の未来を曇らせるつもりなど、欠片もありません」
「あんたに何がわかる。俺はずっとペートルス様と未来を語らってきた。一人でも多くの民が、笑顔で過ごせる未来を。そのためには……ルートラ公の切除が必要不可欠だったんだ。奴の手元にペートルス様の命運が委ねられた以上、もう終わりなんだよ」
「終わりじゃない。わたしたちが諦めてないから……終わりじゃありません」
ノーラの反論にマインラートは舌を鳴らした。
一切の曇りなく反論してくるノーラに、どうしても不快感が隠せない。
「平民に何ができる! たとえデニス殿下がいたとしても……公爵派と優勢な第一皇子派を敵に回して、勝てるわけがない! 下手したらすべての民を巻き込んだ大戦争に発展する! もう終わったんだよ……諦めて大人しくしていてくれよ……」
民を想うからこそ。
マインラートの切実な願いには熱が籠っていた。
民を救うためなら、自分の命だって捧げてもいい。
これ以上、悲惨な未来を迎えないために……少しだけ悲惨な現状を受け入れるしかないのだ。
「ですから、わたしが宗教派を味方につけます」
「は……?」
「宗教派を味方にすれば、天秤はこちら側に傾く……とまでは言えませんけど。つり合いを取ることくらいはできるはず」
「意味わかんねぇよ。戯言も大概にしろ。平民がどうやって交渉の席につける?」
無理もない。
マインラートは何も知らない。
マインラートだけではなく、この場にいる誰もが。
ノーラとシュログリ教の関係性を知らない。
だから言おう、告白しよう。
もう時間がないのだから。
ペートルスの命を救うためならば、己の仮面など。
「わたしが……イアリズ伯爵令嬢、『呪われ姫』エレオノーラ・アイラリティルが。教皇聖下に協力を仰ぎます」