凶報
「落ち着かれましたか、ピルット嬢」
「はい……ご迷惑をおかけしました」
雨に打たれながらも、セヌール伯爵家にたどり着いたノーラ。
汚れを流し、紅茶を飲んで平静を取り戻す。
ノーラが落ち着くまで、フリッツは黙って座っていた。
突如として起こったペートルスの反乱。
まったく兆候がなかったために、フリッツもまた同じく混乱していた。
「フリッツ様。いったいどうなったんですか……ペートルス様は」
「ペートルス卿が反乱を起こしてから、一週間の時が経ちました。進軍速度は驚異的な速度で、難なく公爵軍を突破しています。ペートルス卿が公爵家に至り、ルートラ公を討つ時も遠くはないでしょう。……その後に他の派閥がどう動くかはわかりません。皇帝派がペートルス卿を脅威と見なして潰しにかかる可能性もあります」
冷静に放たれた事実。
フリッツはノーラを慮って虚偽を述べるような真似はしない。
彼女を想うからこそ、客観的な状況分析を述べた。
「でも……どうしてなんですか? どうしてペートルス様が反乱なんか……」
そこまで言いかけてノーラは口を閉ざした。
なんとなく……だが。
ペートルスが反乱を起こした理由がわかる気がする。
「私にも理解が及びません。ペートルス卿はルートラ公爵家の嫡男。爵位は順当に継げるはずですし、ここまで入念に戦の準備を整えてまでして、戦端を開く意味がわからないのです。ひとつ可能性が考えられるとすれば……」
フリッツは窓の外に広がる暗雲を見つめ、瞳を細めた。
「真実を知るがゆえに、でしょうか」
「真実……?」
「これはまだ噂に過ぎませんが……ルートラ公がとてつもない悪事を働いていたそうです。つい最近、法廷にてその事実が明るみになったとか。実の孫であるペートルス卿だからこそ、ルートラ公を看過できないような……後ろ暗い真実を知っていたのかもしれません」
フリッツの兄オレガリオは貴族たちに殺されていた。
その主導者は他でもない、ルートラ公爵ヴァルターである。
今回の反乱にはフリッツも思うところがあった。
ペートルスは無為な戦を起こすような人間ではない……と。
ノーラは別の理由を考えていた。
だが、それもまたペートルスが反乱を起こした理由のひとつなのかもしれない。
「今はとにかく耐え忍ぶとき。この動乱の規模はあまりにも大きく、私たちにできることは限られています。ピルット嬢も思うところはあるでしょうが……無茶をせずお過ごしください」
フリッツの言うことはもっともだと思う。
だが、ノーラはもどかしさを感じていた。
じきに反乱の終着点はわかるはずだ。
ペートルスが勝利を収めるか、あるいはヴァルターが反乱を鎮めるか。
すでに反乱軍はヴァルターの喉元にまで迫っている。
「……フリッツ様。ニルフック学園はどうなるのでしょうか」
「休校中です。少なくとも、この騒動が収まるまでは再開しないでしょう。ニルフック学園は帝国の有力貴族の集う場。政情が不安定になれば、学問どころの話ではありません」
「…………」
ノーラの胸の内には喪失感が漂っていた。
ニルフック学園は、自分が屋敷を飛び出して触れた新たなる世界。
まるで大切な居場所を奪われたかのような気分だった。
突如として崩れ落ちた日常。
悪夢のようだが、紛れもない現実だ。
フリッツの言う通り、今は待つしかない。
本音を言えば……争いなんて起こってほしくなかった。
だが、こうなってしまったからにはペートルスに勝ってほしい。
ノーラがそう思った、そのときだった。
「フリッツ様。ご主人様より伝言です」
セヌール伯爵家の使用人が慌てた様子で駆けてきた。
彼がフリッツに耳打ちすると、たちまちのうちにその表情が青ざめていく。
固唾を呑んで次の反応を待つノーラ。
しばらく後、フリッツは震える声で二の句を継いだ。
「ペートルス卿が……敗れました」
「へ……?」
頭の中が真っ白になる。
フリッツの言葉の意味が解せず、ノーラは何度も何度も頭の中で言葉を反芻する。
どうしても理解できない。
ペートルスが負ける、などという概念がノーラの中には存在しない。
きっとフリッツも同じだったのだろう。
混乱で頭の中が満たされ、何も考えられない。
そんな彼女の意識をひとつの音が引き戻した。
一羽の白い紙鳩が、そばの窓をコツコツと叩いている。
フリッツは慌てて立ち上がり、窓を開け放った。
「これは……ピルット嬢宛の手紙?」