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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
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末期、ここにあり

戦場に出たヴァルターの体は震えていた。

武者震いではない。

正真正銘、恐怖による震えである。


黒き持馬を撫でると、勇ましい鳴き声が響く。

ルートラ公爵家の城門前に集うは数多の兵。

公爵派の要を守る熟達の兵士たちは、みな一様に高い士気を誇っていた。

主の孫……ペートルスの急襲という事態をもってしてもなお、彼らは勇み足で戦場に出た。

ただ一人、将のヴァルターを除いて。


「愚かな……」


独り言ちた侮蔑は、孫に向けられたものか。

あるいは……


「閣下! 目前にペートルス・ウィガナックの軍が迫っています!」


「…………皇帝派からの援軍は」


「そ、それが……援軍は見込めない状態です。しかし我らの士気は高く、退くことはありません! 勝機は充分にあるかと!」


軍師の激励に対し、ヴァルターは言葉を返さず。

ただ固く握りしめた杖を仰ぐのみ。


本来であれば、皇帝派は帝国の均衡を保つために派兵してくれたはずだ。

しかしマインラートの暗躍によって、宰相が意のままに兵を動かせない。

客観的に見れば戦況はペートルス側が圧倒的に優勢。

周囲に包囲網を敷かれ、援軍は断たれ……ペートルスの長年の準備が功を奏している。


「できることならば、戦場になど立ちたくはなかった」


ヴァルターは己の実力と権力とを信じている。

それでもなお、万が一にも死ぬ可能性がある。

わずかな死の可能性が何よりも怖いのだ。


孫には常に完璧に、万能に振る舞うように指導してきた。

そんな孫を潰せるだろうか。

もしもペートルスが自分の策をすべて掻い潜ってきたら?

その先に待つのは己の死だけだ。


「……儂は死なん」


 ◇◇◇◇


「僕がお爺様を殺す」


包囲網完成の報を受け、ペートルスは進軍を再開する。

ようやく、ようやくだ。

もうすぐ悲願を果たせる。


彼の視線の先には、数多の敵兵は映らない。

布陣を敷くヴァルターでも、亡き両親でも、愛しきエレオノーラでもない。


「何も見えない」


無だ。

余命わずかなペートルスに未来はなく、この先の景色など見えるはずもない。

ただただ暗闇がどこまでも広がっている。

願わくはこの闇の世界へ、憎き祖父を道ずれに。


不老不死など許さない。

このまま偉大なる公爵として死ぬことも許さない。

最低最悪の大罪人としてあの世へ逝ってもらう。


「音よ――」


衝撃波が戦場を駆ける。

ペートルスに飛来した攻撃のことごとくが撃墜され、敵兵が吹き飛ぶ。


戦場は特に耳障りだ。

鋼の打ち合う音、魔術の爆発音、気勢を上げる兵士たち。

あらゆる音が轟音となってペートルスの鼓膜を叩く。


「ああ……早く静かな場所へ行きたいものだね、お爺様」


――見定めた。

戦場の奥地、公爵軍の最後方にて。

馬にまたがり杖を携えたヴァルターの姿を。


テモックから戦場を見渡し、戦況を把握する。

戦況はペートルス側が有利だが、このまま戦が長引くのは彼の望むところではない。

敵であろうと、味方であろうと……帝国の未来を築く者たちの血が流れることは。

早々に決着をつけるべきだ。


「ミクラーシュ」


『はい、聞こえていますよ』


「後方に切り込み、僕がヴァルターを討つ。コルラード率いる部隊とともに、露払いを頼む」


『ふむ……ペートルス卿の実力は信頼していますが、精鋭揃いの師団に単身で挑むのは……』


「僕がやると、そう言っている。何ひとつとして障害にはなり得ない」


『承知しました。コルラードに伝え、すぐに動きます』


悲劇の芽は十五年前に蒔かれていた。

ペートルスが邪器を植え付けられたその瞬間から、こうなることは決まっていたのだ。


多くの血と涙が流れている。

自分が起こした戦で悲劇が生まれている。

だからせめて、一刻も早く帝国の腫瘍……ヴァルターを取り除かなくては。


テモックを一気に滑空させる。

ペートルスは迷いなく後方へ切り込んだ。


「て、敵襲……っ! ……敵将、ペートルス・ウィガナック!」


公爵軍の戦慄とともに衝撃波が駆ける。

最前線の兵は倒れたが、精鋭揃いのヴァルターを守る師団。

魔術師らが結界を展開し、衝撃波を防ぎきる。


「公爵閣下をお守りせよ! 馴染み深い顔とて容赦はするな!」


反撃の一手。

師団はペートルスに向けて、あらん限りの攻撃を叩き込もうとした。


だが。

左方から毒々しい霧、右方から霞のような殺意。

戦場を軽やかに動き回り、潜り込んでいた毒牙が動きだす。


「ペートルス様、俺らがついてるぜ」


「まったく無茶な要求をするものです。イトゥカ、ペイルラギ……合わせなさい」

「了解だよー、先生!」

「ペートルス卿に救っていただいた我らが命、報恩のときでござる」


側方を突かれた部隊は瓦解する。

ペートルスに警戒心を向けていた敵兵は不意を突かれ、大半の戦力が無力化。

間隙を縫ってペートルスとテモックは大きく前進した。



そして――


「ルートラ公爵ヴァルター・イムルーク・グラン! 悪しき邪法により帝国を混迷へ導く者よ……この剣にて貴殿を討つ!」


剣の切っ先をヴァルターへ向ける。

いつしか両者の距離は一騎打ちの間合いまで縮まっていた。


「いまさら反乱を起こしたことを咎めはしない。もうお前には……期待すらしていないのだからな」


震える声でヴァルターは言った。

彼は黒き杖を構え、ゆっくりとペートルスとの距離を詰める。


「使い終えた道具は廃棄するのみ。これ以上……儂に死を近づけるな」


「覚悟……!」


テモックの嘶きとともに、ペートルスは加速した。

剣を携えまっすぐに。

悲願を、ヴァルターの首を。

救い(イマ)を求めて剣を振るった。



ヴァルターの側方を駆け抜けたテモック。

今、主がヴァルターを討ったはずだ。



だが……何か、おかしい。

自分の背が異様に軽く、冷たい。

風が背を撫でている。


『――?』


テモックは背後を見る。

そこには……空中へ投げ出され、地へ落ちゆく主の姿があった。


「ペートルス。お前にその邪器を植え付けたのは儂だ。自分が操る人形に、細工を施さぬわけがあるまい。儂は……万が一にも死にたくないのだからな」


 ◇◇◇◇


耳鳴りだ。

煩わしい、甲高い音が響いている。


左耳、様々な喧騒が統一された。

蝉が鳴いているような、焼けた高音だ。

そして、しばらくしてから何も聞こえなくなった。


眼前、様々な悲劇が統一された。

無尽に広がる暗闇。

ああ……僕の未来みたいに真っ暗だ。



僕は……負けたのか?



きっとそうだ。

音と視界が『終わる』前に、左耳に激痛が走った。

ヴァルターが杖を掲げ、邪法を行使しているのが見えた。


どうして思いつかなかったんだろう。

この左耳を植え付けたのはヴァルターなのに、用心深い奴が仕込んでいないはずがなかったんだ。

僕らしくない見落としだ。

八年以上かけて戦の準備をしてきたのに……結局この末路か。



でも……


『すまない――みんな』


今までの煩わしい世界に比べれば。

この暗闇と無音は、ずっとマシかもしれないね。

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