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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
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ペートルス・ウィガナック

物心ついたときから、すべてが煩わしかった。


でも僕にとってはそれが当然。

日常だった、世界の摂理に過ぎなかった。


お爺様に植え付けられた邪器――僕の左耳に埋まるもの。

聴覚を人知を超えた領域まで高め、あらゆる『音』との境界を取り払う。

どんな些細な音も僕は聞くことが……できてしまった。

虫の鳴き声、川のせせらぎ、木の葉擦れ。

人の悪意が染みた陰口、対面する者の心臓の鼓動、喜怒哀楽を灯す声色。



ああ、うるさい、煩わしい。

どうでもいいから黙ってくれないか。

今の今まで『静寂』を味わったことがないんだ。

苦痛のない日はなかった、苦悶のない時はなかった。


でも……喧騒に満ちた世界は、僕にとっての当然だったから。

慣れればそこまで悲嘆するべきものでもなかった。


僕が奴を、ルートラ公爵ヴァルターを殺そうと決意した理由は。

まあ、ただの酔狂さ。


…………本当にそうかな?


 ◇◇◇◇


「御眠灰の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。故ルートラ公爵夫妻は、今まさに恩寵満ちる世での長きにわたる働きを終え、焔に召されました。焔神の御許にお導きがあらんことをお祈り申し上げます」


棺に眠る父母の顔を眺める。

とてもじゃないが安らかな顔はしていない。

母ミゲラ、父アベルは十歳の僕と八歳のノエリアを遺して逝った。



――ふざけるな。

何が事故死だ、何が不幸だ。

僕は知っている、このルートラ公爵家で起きたすべてを『聞いて』いた。


『お父様、正直に答えてください。あの子に……ペートルスに、何をしたんだ』


お父様がヴァルターに問い詰めた数日後のことだった。

両親が不審な事故死を遂げたのは。

きっとお父様は僕の左耳に気づいていたんだろう。

僕に似てとても聡明で、有能な方だったから。


ひとつ、お父様が僕と違うとしたら……それは"情"だ。

お父様は愛情に満ちていた、僕はまだ愛情を知らなかった。

なまじ情に厚いばかりに、歯向かってはいけない老獪に逆らい、禁忌に踏み入ってしまった。


邪魔になれば実の子も、その妻も殺す。

孫すらも実験台として利用する。

僕が早くその事実を両親に伝えられていたら……未来は変わっていたのだろうか。


「お兄様……」


ふと、ノエリアが僕の手をぎゅっと掴んだ。

この子も聡く、優しい。

きっと両親の死の裏を悟っている。

そして親と同じ轍を踏む可能性が、彼女にはあった。


『何も言うな』


僕がノエリアの頭の中に声を響かせると、彼女は驚いたように肩を震わせた。

妹だけは僕が守らなければ。

だから優しくなるな、もうヴァルターには近づくな。

僕が代わりに、君の憎悪まで背負うから。


これもまた、理由のひとつ。


 ◇◇◇◇


――十六年。

邪器を埋め込まれた者に定められた、命の長さ。


僕は三歳のころに邪器を埋め込まれたから……十九歳くらいか。

ああ、死ぬんだ。それくらいに死ぬ。

これも小さいころからヴァルターに聞かされていた話だから、別に嘆いたことはなかった。

人の寿命が何十年かで、犬の寿命が十年くらいで、ペートルス・ウィガナックの寿命がきっかり十九年。

それでいいじゃないか。


「ニルフック学園へ入学し、縁を広げよ。お前の手腕と社交性があれば、万事うまくいくだろう」


「承知しました。お爺様の、ルートラ公爵家のために誠心誠意努めます」


僕はヴァルターの言いなりだった。

少なくとも今は……反乱の準備を進めている今は、雌伏の時だ。

傀儡でいい、構わない。

最後に勝つのは……僕なのだから。


「それと……こんな話を聞いたころがある」


ヴァルターは立ち上がり、老いた足で部屋の中を歩き回る。


「学園長アラリル侯は、不老不死の禁術を記した書物を隠し持っているという」


「不老不死、ですか?」


「ああ。ペートルス……儂が最も恐れるものは何か知っているか?」


「いえ……存じ上げません。お爺様に対して敵となり得るものなど、地上に存在しないかと」


恐れるものがないという点だけは、僕とヴァルターの共通点だと思っていた。

しかし、どうやら違うようで。


「――死だ。儂は死が怖い」


奴の一言に僕は刮目した。

何かが――僕の中で弾けた。


「人が決して抗えぬもの、藻掻けども必ず来たるもの。それが死だ。老いていないお前にはわかるまい。肉体が徐々に衰弱し、魂が摩耗していく感覚は」


痴れ事を。

お父様の、お母様の命を奪っておきながら。

僕の寿命を定めておきながら……よくもそんな言葉が吐けたものだ。


今ここでヴァルターを始末することは容易。

音の力を使い、容赦なく縊り殺してやりたい。


だが、それでは意味がない。

意味がないんだ。

ヴァルターの悪行を暴き、正々堂々と挙兵し、大衆の目前で奴をを誅殺し、はじめて悪しきルートラ公爵は討たれたと言える。


「不老不死さえ実現すれば、後継を探す必要もなくなる。禁書を探せ。お前の寿命は残すところ四年。卒業までには間に合うはずだ」


「……承知しました」


構わないさ。

仮にアラリル侯が不老不死の禁術を知っているなら、彼はなぜ禁術を使わない?

決まっている、不可能な理由があるからだ。


そんなことすら察せられないとは……ずいぶんと耄碌しているらしい。

ならば、この男が最も恐れている『死』を贈ってあげよう。


僕に邪器と十九年の寿命を贈ってくれた礼だ。

遠慮せずに受け取るといい。


両親の仇を討つことだけが……僕の生涯の目標だった。


 ◇◇◇◇


だけど。

ひとつだけ、僕の魂を突き動かすものがあった。


「――♪」


ある日、気まぐれに訪れた『呪われ姫』の屋敷にて。

聴き惚れた、衝撃を受けた。

僕が生まれて初めて……美しいと感じた音の波。


エレオノーラ・アイラリティル。

彼女の歌声をいつまでも聴いていたい。


見た者を恐怖させる……そんな性質も、僕にとっては魅力しかなくて。

令嬢とは思えない豪放な性格も。

彼女の右目が、歌声が、心根が、すべてが僕を魅了した。



『ありがとう。僕の……最後の、大切な人』


ああ、そうだ。

初めて人を、好きだと感じた。


彼女に触れるたびに、彼女の音を聞くたびに。

胸の奥が熱くなる。

苦しくなる。



だって、僕の命はあと一年。

僕は誰かを幸せにすることなんてできない。

復讐に囚われた虚しき男、今に散る紅き華。

恋なんてものをするには、あまりに遅すぎた。


だから捧げよう。

エレオノーラ、君の母上の仇を討つ。

君が笑顔で過ごせるグラン帝国の未来を築く。


君を愛することはできない、愛を贈ることはできない。

代わりに安寧の未来を。

そのためには……ルートラ公爵ヴァルターの打倒が必要不可欠だ。


「……また戦う理由が増えてしまったね」


結局、自分のための戦いなんだ。

大義や理由なんていくらでも作れる。

だが、それらは薔薇の棘のようなものに過ぎない。

美しく咲き誇る憎悪を飾り、剣を取ろうじゃないか。



嗚呼――本当に煩わしい。

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