奇人、極まれり
空を裂く猛襲。
天を穿つ猛撃。
戦は徐々に熾烈を極め、戦火は高く舞い上がり。
ペートルス率いる反乱軍は、着実にルートラ公爵家へ迫っていた。
一切合切、予定調和。
敗北の兆しはなく、入念な準備に相応した戦果を得ている。
対外の備えは万端だったルートラ公爵領。
しかし内から食い破る毒虫があるとは思っていなかったのだろう。
鍛えられたルートラ公爵領の騎士団も、反乱軍の奇襲の前に潰走していた。
「て、撤退ー!」
前線の指揮官は撤退命令を出す。
ペートルスの突発的な反乱に対し、急ぎ結成された防衛軍だ。
この戦力で敵うわけがない。
そう判断し、指揮官は一刻も早く逃れようとするが……。
「がっ……!?」
不意に胸に異物感を覚えて倒れ込む。
同様に近くにいた兵士もみな、ばたりばたりと意識を失う。
「できるだけ犠牲者は出したくないんでね。ちょっと眠っててもらうぜ」
無色無臭の毒が戦場に蔓延る。
毒の主、コルラードは力なく笑った。
「戦を仕掛けておきながら犠牲者は出したくないなんて、虫のよすぎる話だけどさ」
「甘いよねー。コルラードさんはさ」
「よっ、新入り! そっちは片づいたか?」
コルラードのそばに一人の少女が降り立った。
殺し屋のイトゥカ……彼女は誇らしげに笑う。
「もっちろん! 向こうの砦はペイルラギと一緒に落としてきたよ。刺客二人に落とされるなんて、ルートラ公爵軍も大したことないね」
「そりゃ寄せ集めの末端だからな。中央に近づけば近づくほど、厄介なことになる。俺たち裏方は反乱軍が進みやすいように、露払いするのが仕事だ。あまり目立ちすぎるなよ」
「一流の殺し屋に何説いてんの? わかってるって!」
「大丈夫かよ……あんたらの親分、ミクラーシュって人は信頼できるけどさ。まあいいや、作戦を続行しようか」
コルラードは立ち上がり、イトゥカに兵士たちを拘束しておくように命じた。
反乱軍の快進撃は止まらず、破竹の勢いである。
勝利を確実なものとするためにコルラードは奔走しなければならない。
「ペートルス様を勝利に導く。それだけ考えときゃいいさ」
「そういえばさー、コルラードさんってペートルス卿とはどういう関係なの? ってか、どうやって知り合ったの? サンロックの賢者、のお弟子さんがさー」
「……話すほどのことでもないさ」
コルラードは自嘲気味に笑って闇へと消えた。
◇◇◇◇
四年前。
ナバ連邦の北部にて。
葡萄色の髪を無造作に伸ばした少年が、地面に寝転がっていた。
一見すれば浮浪者、路傍の物乞い。
しかし彼こそ『サンロックの賢者』の一番弟子、コルラードその人である。
「…………はぁ」
ため息。
一日が始まって、何回ため息を吐いただろうか。
絶えず繰り返されるコルラードの倦怠の吐息は、乾いた風に乗って消えていく。
「やあ、君。少しいいかな」
「…………」
声がした。
けれども動かない、視線ひとつ動かさない。
コルラードは依然として流れゆく雲を眺めている。
そんな彼の顔を覗き込むように、金髪の少年が視界に割り込んだ。
彼の真紅の瞳がコルラードの虚ろな瞳と交差する。
「……ふぅ」
「元気がないようだね。君がサンロックの賢者のお弟子さん、ミスター・コルラードで合っているかな?」
「…………」
「僕はペートルス・ウィガナック。以後お見知りおきを。隣、失礼するよ」
そう言うとペートルスは膝を折り、コルラードの隣に寝転んだ。
ようやくコルラードは視線をわずかに動かして隣を見る。
「……なんなんだよ、あんた」
「いいね。こうして何もせず寝転がっていると、背負っているものを忘れそうになる。許されるのなら、僕もずっとこうしていたい」
「ああ、寝るのはいいぞ。ずっと惰眠を貪ってると、誰にも期待されなくなる。誰にも期待されなくなると、何もしなくてよくなる。……したいことも、したくないこともな」
「もう君には誰も期待していない?」
「はぁ……師匠だけはたまに俺のところに来るよ。その度に逃げてるけど」
コルラードが自嘲気味に言うと、ペートルスは笑った。
「サンロックの賢者様は、弟子に対しては厳しいらしいね。逃げるくらいなら、どうして弟子入りしたんだい?」
「……昔はやる気があったからさ。自分の可能性を信じてたんだ」
コルラードは怠惰になった。
昔はアロルドに師事して日夜奔走していた彼も、今はこの体たらくだ。
なまじ彼は才覚にあふれすぎていた。
比較的珍しい毒属性の魔術に、類稀なる魔術の才覚。
幼少期からコルラードのもとには数多の依頼が舞い込んだ。
だが――舞い込むのは後ろ暗い話ばかり。
やれ毒殺だ、やれ拷問だ。
優しき少年にはあまりにも苦しすぎた。
毒を繰るには純朴すぎて、人情を持ちすぎていた。
この力は、師匠から鍛えられたこの力は。
誰かを傷つけるために使いたかったのではない。
「はぁ……暗殺の依頼ならお断り。てか依頼の類、全部お断り……」
「おや、残念だ。僕は後ろ暗い依頼をしにきたのでね。断られると困ってしまうな。わざわざ隣の大陸から来たんだ」
「と、隣の大陸から? そりゃまた、馬鹿みたいな人だな」
「そう、僕は馬鹿なんだ。馬鹿げた夢を見ている」
次第にコルラードの舌が回ってきた。
不思議とペートルスと話していると、言葉が腹の内から出てきてしまう。
これが人を導くカリスマというやつだろうか。
「その夢っていうのは?」
「お爺様を殺すこと」
「――」
絶句した。
なんの躊躇もなくペートルスは言い放った。
コルラードが何も言えず唖然としていると、ペートルスは空を見つめたまま語り続ける。
「しかもただ殺すわけじゃない。公衆の面前で、孫の僕がこの手で、お爺様の罪を糾弾した上で殺さなくてはならない。今はそのために準備を進めているんだ」
「それをして……あんたになんの意味がある?」
「意味なんてないよ。僕の生涯に意味はない。刹那的に生きることでしか、僕は満たされないから」
コルラードは目を瞠った。
それは彼の生涯に貫く諦観とは真逆、絶えず燃焼する意志の言。
己が淀みならば、彼は上澄み。
あるいは停滞と流転。
時間を空疎に満たす自分が、少しだけ恥ずかしくなった。
昔のコルラードのように、ペートルスは今も燃えている。
「さて、ミスター・コルラード。ひとつ勝負をしようじゃないか」
「勝負……?」
「ああ、剣と魔術の真向勝負。小細工なし、言葉なしの本気の勝負を」
ペートルスは立ち上がり、岩の魔法で作り出したレイピアを構えた。
コルラードはため息を吐きながら立ち上がる。
「俺は不真面目だけど……強いぜ。一応、賢者の弟子だからな」
「承知の上さ。実を言うとね、僕は強者と戦うのがたまらなく好きなんだ。僕に死線を潜らせてくれたら最高だよ」
「はっ……おかしな人だな、ほんとに。意味がわからない」
瞬間、紫色の靄が舞った。
◇◇◇◇
「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり……ってね」
コルラードは読みかけの本をぱたりと閉じた。
研究室の扉が開き、彼の師であるアロルドが入ってくる。
「よお。邪魔したか?」
「いえ、大丈夫っす! どうしたんすか?」
「お前宛てに招待状が来てるぜ。ルートラ公爵家……って知ってるか? 隣のアントス大陸にある、でっかい国なんだけどな」
「もちろん知ってますよ! しかし、公爵家が俺に何の用なんすかねー」
コルラードは白を切った。
ペートルスと知り合い、連絡を取り合うようになったのは三年前のこと。
こうして招待状が来ることも承知の上だったが……師匠のアロルドにもペートルスとの関係は話していない。
怠惰、諦観、絶望。
失意に沈んでいた自分を導いてくれたのは、他でもないペートルスだ。
何もかもが未知の人間性に惹かれ、この人のことをもっと知りたいと、ついていきたいと思って。
未来を最後まで見届けねばならないと――そう思った。
「ま、行くだけ行ってみますよ! だって俺に依頼が舞い込んでくるのなんて、ずいぶんと久しぶりのことですから」
コルラードは主をただ一人に定め、ペートルス以外からの依頼を断っていた。
彼の『夢』のためだ。
もうしたくない、向き合いたくもないと思っていた後ろ暗い仕事だって、臆することなく踏み込んできた。
「俺もグラン帝国にちと用事があってな。せっかくだから一緒に行くか!」
「げ、まじすか?」
「なんだ、嫌そうな顔だな。いいじゃねえかよ」
「ちなみに……用事ってのはなんなんすか?」
「皇帝ベルントの病気が重くなっている。俺も陛下には昔世話になったから、何か力になれないかと思ってな。ラインホルト殿下に雇われたってわけだ」
隣のグラン帝国が傾きかけているというのはよく聞く話だ。
皇帝が病床に伏せてからというもの、第一皇子派と第二王子派が対立を始めていると。
公爵派に脅かされるナバ連邦の国民としては、帝国の支配が揺らぐのは喜ばしいことだが……コルラードはペートルスの斥候として、あくまで俯瞰的に騒動を把握していた。
「なるほど……じゃ、俺と一緒に行きますか! いやー、楽しみだなー!」
凶鳥は動きだす。