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呪われ姫の絶唱  作者: 朝露ココア
第12章 呪われ公の絶息
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信念、固く砕けず

ルートラ公爵家に美しい音色が響きわたる。

バイオリンとピアノの二重奏。

ミゲラは息子と娘の演奏を聴き終え、拍手喝采を送った。


「すごいじゃない、ペートルス、ノエリア! もう人前で演奏しても恥ずかしくないわよー!」


ペートルス八歳、ノエリア六歳。

まだまだ楽器の演奏を披露するには幼い年齢だ。

しかし、この兄妹はすでに大人顔負けのレベルに達していた。


「お母様のご指導の賜物です。ノエリアもよくがんばっているね。君のピアノは世界一だよ」


「うん! いっぱい練習してるもん!」


ペートルスの称賛を受け、ノエリアは飛び跳ねて喜んだ。

天賦の才をもつ二人だ。

この子たちはきっと大物になる……とミゲラは微笑む。


「ノエリアはデビュタント前に、すてきなレディになるためのお勉強をしないとねー? ペートルスは……ううん、もう完璧だわ。バイオリンなんて私よりも上手だもの」


「大げさですよ、お母様。まだまだ学ぶべきところも多いです」


ペートルス・ウィガナックには瑕疵がない。

母譲りの才色と、父譲りの知勇を兼ね備え、すでに次期公爵としての頭角を現し始めている。

数ある才覚の中でも特に顕著なのが――


「音楽のセンス。あなたはとっても音を聞くことに優れているのよ。音感……なのかしら? すごい才能ね!」


「……そうですね。そこは僕の長所だと考えています。きっと天からの祝福でしょう」


才能はいくらあっても困りませんからね、とペートルスは笑った。

これはきっと祝福だ。

そう信じなければおかしくなってしまうから。


「それじゃあ、私はこのあとお茶会があるから。お片付けしてお休みするのよー?」


「はい、お母様」


「やったー! お菓子たべる!」


「ノエリア、その前にちゃんと片づけをしないと」


去っていくミゲラを見送り、ペートルスは妹の世話を焼く。

しっかりと妹の教育をするのも兄の役目だ。

楽譜を片づけさせ、鍵盤の掃除をさせ、後始末を終える。

それからおやつの時間だ。


普通は使用人に茶会の用意をさせるものだが、両親の方針で大体のことは自分たちで行うように指導されている。

ノエリアが片づけを終えたことを確認したペートルスは、茶器の準備を始めた。


「わたしも手伝う!」


「ありがとう。それじゃあ、ノエリアは茶葉の準備をっ……!?」


不意にペートルスは左耳を抑えてうずくまった。

彼の持っていたティーカップが床に落ちて割れる。

幸いにも破片は二人に刺さることはなかったが……。


「おにいさま? どうしたの?」


返事はない。

ノエリアは心配そうにペートルスの顔を覗き込む。


「……さい」


「え?」


「うるさい!」


突然ペートルスは叫んで取り乱す。

ノエリアは反射的に後退った。


痛みだ。

ペートルスの顔に浮かぶ表情は苦悶。

激痛に耐えるかのように、必死な形相で左耳を抑えている。

ノエリアはじっとペートルスから一定の距離を保ち、兄の混乱が収まるのを待っていた。


徐々に荒い呼吸が安定し、額の汗が引いていく。

ペートルスはそっと耳から手を離し、狼狽したように周囲を見渡した。


「っ……ノエリア! ごめん、大丈夫だった……?」


「うん。ちょっとびっくりしたけど……」


「ごめんね。怖かっただろう。君にうるさいと言ったわけじゃないんだ」


「わかってるよ。お兄様は人にひどいこと言わないもん」


幼くも聡い子だ。

ノエリアはペートルスに特有の悩みがあることを理解していた。

彼の両親も気づけていない悩みがあり、痛みがあることを知っていた。


「…………ごめん」


「あやまらないで、お兄様はなにもわるくないんだから! お茶会のじゅんび、すすめよう!」


「ありがとう。割れたティーカップは危ないから、触らないようにね」


ペートルスは手袋をはめて破片を拾い上げる。

破片の擦れる鋭い音が、彼の鼓膜を激しく震わせた。


 ◇◇◇◇


「おっ、と……! やっちまった」


マインラートは渋面した。

自分の足元に散ったティーカップの破片、ぶちまけられた琥珀色の液体。


「優雅に茶でも飲んでいようかと思ったのに……災難だ」


手の震えだ。

誰と話しているわけでもないのに、彼の手は震えていた。

おかげで一人でゆっくりと飲むつもりだった紅茶も台無し。


カップケーキをつまみ、彼はぼんやりと床を眺めた。

とてもじゃないが後始末をする気にはなれない。


「こちらにおられましたのね」


「……ああ、君か。俺は西方に政務に出ていることになっていたが……よく俺の居場所がわかったな、バレンシア嬢?」


「道化に騙されるほど鈍くはないもので」


「そうかよ」


マインラートはニルフック学園の旧校舎にいた。

今や使われることのない廃屋、深い森の中。

埃に塗れた場所に彼がいるなど、常人では思いつきもしないだろう。

マインラート・サナーナはひどく汚れと淀みを嫌う令息だと――世間では認知されているから。


「数日間はここに籠りたくてね。前々から準備をしていたんだ。バレンシア嬢も俺とお茶していくかい?」


「結構です。あなたのお父上が……宰相閣下がひどくお怒りです。今から戻って謝罪をすれば、まだ許されるかもしれませんよ」


「許す……ね」


マインラートはおもむろに立ち上がり、足元の破片を踏み躙った。

静かな廃屋に破砕の音が響きわたる。


「ひとつ訂正してやるよ。最後に勝つのは俺たちだ。だから、許すのは『俺たち』。親父や皇城でふんぞり返っている貴族たちを許すかどうか、裁くかどうかは革命の勝者が決めるのさ」


「……」


「もう傀儡は動いたんだ。街道を封鎖して、皇城から動かせそうな戦力を散らして……俺にやれるだけのことはやった。あとはペー様の成功を祈るだけだ。……まあ、あいつが失敗するなんて思ってないけどな」


「まったく……盛大な反抗期ですこと」


ペートルスとマインラートの悪だくみは七年前に始まった。

グラン帝国を瓦解させるというマインラートの野望。

そのためには国に亀裂を入れる必要があった。


だからこその便乗だ。

幸いにも二人の目的は重なっていた。

ルートラ公爵を打倒し、ペートルスが亀裂を入れる。

そこから瓦解させるのはマインラートの仕事だ。


今はただ、雌伏のとき。

ペートルスの勝利を待つのみ。


「俺を連れ戻す気かい? 女の子に乱暴なんてしたくないんだが、あいにく今は本気でね。あいつらに報いるためにも……邪魔をするってんなら、骸を糸くずに沈めることになるぜ」


マインラートは魔力を放ち、バレンシアを威圧した。

そこに浮ついた貴公子の影はない。

ただ国の未来のため、民のために戦う男の姿だけがある。


バレンシアは深く息を吐き、踵を返した。


「ただ確認をしにきただけです。わたくしは(・・・・)邪魔をいたしません。ですが……ご自身が選んだ道の先、どれだけの血が流れるかはよく認識しておくことです」


忠告を置いてバレンシアは去っていく。

わたくしは邪魔をしない……つまるところ、彼女の父であるアンギス侯爵はもちろん邪魔をしにくるのだろう。

すべて承知の上だ。

国内最大の軍事力を有するアンギス侯爵家が動けば――天秤は一気に傾く。


「青い血がいくら流れようが知ったことかよ。赤い血だって仕方ない。今の犠牲は明日の救い……そう信じるしかねえよ」

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